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ご相談例六の続き②欠点を魅力に変える方法

2010年10月26日 | なんでも仙人のメッセージ
「お待たせしてわるかったのぅ。では魅力について話すとしよう。」

「はい!」

なんでも仙人は言葉を大切に扱うように、ゆっくりと話しだした。

「全体によいエネルギーの渦が巻くこと、これを『魅力』というのじゃ。」

「全体に!」

私は息をのんだ。

「自分の完璧さを求めることが、魅力につながるのではない。
全体によいエネルギーの渦が巻いたかどうか?が、魅力に関わってくるわけじゃ。
みなは魅力的な人とは、特別な人を思い描こうが、
全体によいエネルギーの渦を巻くことは、実は誰にでもできる。」

「誰にでも?」

「そう。」

なんでも仙人は力強く頷いた。

「どうやったら全体によいエネルギーの渦が巻けるんですか?」

「ふむ、それはじゃ・・・、
先ほども申したが、人は自己重要感を渇望しておろう?
誰しも人から感謝されたいと思うておる。
ゆえ、お互いの足りないところや、苦手なところを補い合い、
その際感謝の言葉を心から伝え合えた時、そこにはお互いが喜ぶ愛のエネルギーが満ちるのじゃ。
これが全体によいエネルギーの渦が巻くということのひとつの例でもある。」

「なるほど!」

「他にもあるぞ。
誰かが感動する話をしていたとする。
その話を聴いている者は、うんうんとうなずきながら熱心に話を聴こう?」

「はい。」

「それだけで、聴き手の者が、話し手に十分に与えているのじゃよ。」

「えっ?話し手が与えているんじゃなくて?」

「ふむ、一見話し手が与えているように見えよう?」

「見えます。」

「しかしな、自分の話を熱心にうんうんと聴いてもらうことは、
話し手の自己重要感をグンとアップさせているのじゃよ。
つまり話し手は、聴き手からエネルギーをもらっているということじゃな。」

「なんと!」

「しかしたいていの話し手は、それに気付かない。」

「はい、気付きません。」

「自分が与えている側だと思っている。」

「そうですね。」

「もし話し手がそのことに気付いて、
『今日はこんなに熱心に話をきいてもらって、本当にありがとうございました!嬉しかったです。
わたしもみなさんからエネルギーをいっぱいいただきました。』と伝えたら、聴き手はどう感じるかな?」

「そりゃぁ嬉しいですよ!
素敵な話をしてくださった方からそんな言葉をいただいたら、
きっとすごく嬉しくなると思います!それだけで、今日一日、いい笑顔でいられると思います。」

「そうじゃろ。つまり、これが魅力。
これが全体によきエネルギーの渦が巻くということじゃな。」

「なるほど!」

私は深くうなった。
魅力的な人って、誰でもなれるんだ。
特別なことじゃないんだ。
上手く話せなくても、うんうんと聴いてるだけでも、魅力的な人になれるんだ。

なんでも仙人はそんな私の心の動きを、ニコニコしながら見守ってくれている。
とても嬉しそうだ。

「人はみな自分の至らなさを許せないでいる。これではダメだと鞭打つ。
しかし至らない自分でも、魅力的な人になれるんだと知った者の心が、どれくらい救われるか・・・。
分るかね?」

「はい、分かります!」

「それを人に教えてあげなさい。」

「はい!」

「さすれば、それだけで人が救われる。みんなが元気になれるのじゃ。
世の中によきエネルギーの渦が巻こう?」

「はい!」

「これこそが、最大の魅力!欠点を魅力に変える方法ぞ。」

「!!」

なんでも仙人と話していると不思議だ。
今まで見ていた世界が、全く違った輝きに満ちた世界に見えてくる。
世の中は何も変わっていないのに、見ている景色や、人の輝きまで違って見えてきてしまう。
まさにパラダイムシフトだ。

「さてそち、自分の体に対して少しは罪悪感が減ったかね?」

「はい。今まで自分の体の弱さを責めていたのが、なんだか少しゆるんだような気がします。
いい子いい子してあげたい気分になってきました。」

「ふむ、それはなにより。」

なんでも仙人は嬉しそうにほほ笑んだ。

「自分の体を愛おしく思ってあげられたら、それだけで体も心もずいぶんと軽くなる。」

「そうですね。」

「自分の今のままの体に感謝することは、とても大切なことなのじゃよ。」

「はい。」

「さて自分の体への感謝が感じつくせたら、ぜひこの言葉を使ってみてほしい。」

  
『わたしの体はみんなのおかげで、どんどん元気になっていく』                      

「思考は現実化する。
ゆえ、最初からこの言葉を使ってもよいのじゃが、
それだと欠点を最大の魅力に変える域にまでたどりつかぬのじゃよ。」

「!!」

深い!深すぎるなんでも仙人!
わたしは心の中でうなった。

「人はな、全体で学んでいる。
どれだけ自分を許してあげられたか?どれだけ相手を許してあげられたか?
それを学ぶために、人は何度も生まれ変わっては人生の続きを生きている。
欠点は最大の魅力になる輝きを含んでいるのじゃ。
そのことをみなが知った時、多くの者が救われる。この世が天国へと変わるのじゃ。」

「はい!」

「さぁ、みなで欠点を魅力に変えようぞ!」

ご相談例六の続き

2010年10月25日 | なんでも仙人のメッセージ

「えっ?体の弱さが最大の魅力になるんですか?」

「そうじゃよ。」

「全然分かりません。」

なんでも仙人はしばらくわたしの言葉を待っていたが、
わたしがさっぱり分らない様子なのを見て、ゆっくりと語りはじめた。

「そちは魅力とはなんだと思うかね?」

「魅力ですか?そうですね・・・、
魅力とは長所のことだと思っています。自分のいいところですね。」

「ふむ。長所のぅ。
そちらの世界では、長所をいいところ、短所をよくないところという捉え方をする。
しかしこれは自分の側からみたものの見方であって、
全体で見てどうか?という観点でものを見ていない。」

「全体で?」

「そう。わしらの世界では、常に全体を見てどうか?という捉え方をする。
そちらにとって欠点と思っていることが、全体で見た場合、どういう意味をもつのか?とみるわけじゃ。」

「う~ん・・・、
例えば私の風邪をひきやすいという欠点で言えば、
全体で見た時、どういう意味があるのでしょうか?」

「そち、人に頼るのが苦手であろう?」

「はい。苦手です。」

「ついなんでも自分でやりすぎてしまうよな。
こんなこと頼んだら相手に悪いかなぁと気を遣ってしまい、
自分でやった方が気楽でいいやと、つい仕事を抱え込み、疲れてしまう。」

「・・・おっしゃるとおりで。」

わたしはトホホとため息をついた。

自分でいろいろ抱え込んだものの、体が疲れてしまって寝込むということが、私は今までに何度もあった。
そんな自分が情けなくて嫌だった。

なんでも仙人はそんなわたしを、優しいまなざしで見守ってくれている。

「そちはまわりの人に頼れるチャンスを、与えられているのだよ。」

「えっ?」

「もっと言えば、
まわりの人に頼れるチャンスを、自らに設定して生まれてきているのだよ。」

「・・・?!」

「そちは体が疲れやすい自分を、ずっと責めてきたよのぅ。情けない自分だと。」

「はい。」

「しかし全体で見ると、そちが人に頼れる機会、または周りの人がそちに力を貸す機会が、
うまい具合に用意されていることが分る。
そしてそこに、まわりの人への感謝を表現できる、絶好の機会があることも・・・。」

「!」

「人に頼ることが苦手なそちにとって、
これらの機会は自らが自分に与えた、天の恵みでもあるのじゃよ。」

「自らが自分に与えた?」

「そう。」

なんでも仙人はにっこりとほほ笑んだ。

「今の体の状態でもできることがある。
いや、今の体の状態だからこそ、できることがある。
それは思い切って人に頼ってみることじゃ。人に甘えてみることじゃ。
その際、『申し訳ない・・・』や、『ごめんね』と自分を責める気持ちで頼まないこと。
それだと人に十分に与えることはできない。」

「人に十分に与える?」

「そうじゃよ。」

「頼んでいるのに、人に十分に与えるって・・・いったいどういう意味ですか?なんでも仙人。」

「ふむ。人はな、誰しも人から感謝されたいと思っている。
自分は役に立っていると感じたい生き物なのじゃ。」

「はい。感謝されたいです!」

「人はみな自己重要感を求めているのじゃよ。
『人から必要とされたい』『人から感謝されたい』と渇望している。
しかしなかなかに人は、感謝の気持ちを言葉で伝えてはくれぬものじゃ。」

「そうですね。自分の欠点を責めるばかりで、
助けてくれる人に対して、『ありがとう』よりも、『申し訳ない』という気持ちの方が強いです。
素直に感謝を伝えられていないと思います。」

「人はな、どのものも得意なことや苦手なことがあり、長所や短所をもっている。
何もかも完璧なものなどありはしないのじゃ。
人の世は、その足りないところをうまく補い合い、助け合って感謝を伝え合うことで、
人間関係がうまくいくように仕組まれておる。」

「そうなんですか!」

「そうじゃよ。
なのに人は、自分に対し完璧さを求めることにばかり意識を向け、
人に助けてもらうことや、感謝を伝えることをおろそかにしてしまいがちなのじゃ。」

「そうかもしれません。」

「足りないところは、それが得意な人に補ってもらい、その時に大いに感謝する。
すると相手の自己重要感が高まる。
もし相手に苦手なことがあり、それがそちの得意分野であれば、手をかしてあげる。
すると相手から喜ばれ、そち自身の自己重要感も高まるというわけじゃ。」

「なるほど!」

「これこそが人に与えるということ。」

「!」

「さてここからが本題。欠点を魅力に変える方法じゃが・・・。」

「そうそう!それです。それを教えてください!なんでも仙人!」

「ふむ。先ほどそちに『魅力とは何か?』と尋ねたよのぅ。」

「はい。」

「そちは魅力とは長所のことだと申した。」

「はい、言いました。」

「魅力の本当の意味とはな・・・。」

「本当の意味とは?!」

ニマッ。(笑)
「どうしよっかなぁ。」

「ちょっとちょっと!そういうのやめてくださいよ!」

「続きはコマーシャルの後で・・・。」

「おーい!!」

       ・・・ということで、魅力の本当の意味については、明日のブログでお伝えを

ご相談例六 病弱な自分を責めてしまう

2010年10月24日 | なんでも仙人のメッセージ

わたしはすぐ風邪をひき、よく寝込んだり薬を飲んだりします。
もともと子供の頃から体が弱い方なので、疲れやすく、昼寝をしないと体がもたない時が多いです。
そんな自分を「情けないなぁ。」と責めるもう一人の自分がいます。
風邪薬を飲むとき、罪悪感を感じながら飲んでいます。
「また風邪ひいたのかな?」「弱い自分。」「気力で治さないと…。」「薬ばかり飲んでちゃ体に悪いなぁ。」と。
思考は現実化すると頭では分かっているのですが、ついマイナスな思考が頭をよぎってしまいます。



「それは辛いのぅ。二重に自分を痛めつけてどうする?
そちは『普通は・・・。』とよく思おう?
『普通はこんなしょっちゅう風邪ひかないよね?』『普通はこれくらいで、風邪薬飲まないよね?』と。」

「はい、思います。だから罪悪感を感じてしまうんです。」

「ふむ。何と比べての普通か?」

「何なんでしょうね?
あんまり具体的に考えたことがなかったのですが、
『元気な人』『健康な人』『薬をあまり飲まない人』と比べてでしょうか?
たぶん夫と比べているんだと思います。」

「夫と比べて、体が弱い自分を責めておるのかね?」

「そうですね。これじゃダメだと思うわけです。」

「なぜダメなのかね?」

「ダメって思われているんじゃないかなぁ?と思っているから。
昼寝をする自分も、ダメって思われてるんじゃないかなぁって。あきれられているのではと・・・。」

「ふむ。」

なんでも仙人はわたしをしばらく見つめていたが、静かにこう言った。

「弱さを強さに変えようぞ。」

「えっ?弱さを強さに?そんなことできるんですか?」

「できるよ。すべての弱さは、そちにとって強さになる強力な魅力を含んでいる。」

「強力な魅力?」

「そうじゃよ。
自分の欠点を克服するのではなく、弱さを認め、素直に表現する。
頼るところは頼る。その時に相手に感謝の言葉を伝える。
分るかね?完璧を求めることが素晴らしいのではない。
弱さを魅力に変えられることが素晴らしいのじゃ。
自分の弱さを魅力に変えられる人が、人の弱さも魅力に変えられる人なのじゃよ。」

「う~ん・・・、なんか難しいですね。
具体的に私のことで言えば、『風邪をひきやすい』という欠点が、どう魅力に変わるのですか?」

「『少し体が弱い』『休養を取らねば体がもたない』
これがそちにとって弱点であり、自分を責めてしまうところよな。
ならば、それがあることで人に与えられるものとは何か?」

「えっ?人に与えられるものですか?
何でしょう?
助けてくれた人にお礼が言えること。
感謝できることですかね?」

「他には?」

「えっ?人の痛みが分かる優しさとかですかね?」

「他には?」

「えっ?まだあるんですか?」

「あるよ。
そちにとって最大の魅力になるものが、そこに眠っておる。」

「最大の魅力?」

「そう。」


   さぁ、なんでも仙人はどんな最大の魅力が眠っていると言ったのでしょうか?
              続きは明日のブログで・・・。

ご相談例五 夢や目標が見つからなくて焦る

2010年10月23日 | なんでも仙人のメッセージ

 夢や目標が見つからず、焦る人がいます。
特に四十代を過ぎた頃から、「人生の折り返し地点なのに、これでいいのか?」とふと考えたり、
夢や目標をもって頑張っている人を見ると、焦ったり、うらやましく思ったりするそうです。
どうしたら夢や目標を見つけられるのでしょうか?



「夢や目標を見つけられないと、なんだかいけないこと・・・みたいに聴こえるが?」

「いや、そういうわけじゃないのですが・・・。」

「そちらは夢や目標というと、どういうことを思い浮かべるかね?」

「そうですね、自分の好きなことでお店を出すとか、
本を出版するとか、スポーツで優勝するとか・・・、
その人が叶えたいことを、夢や目標って言うんじゃないでしょうか?」

「ほぅ。なるほどのぅ。」

「具体的であればあるほど、夢や目標は叶いやすいって、セミナーで聴きました。期限を決めるとか。」

「ふむふむ、なるほどのぅ。そりゃ、焦るわな。」

「えっ?」

「だって、そんな具体的な夢や目標をもっている人は、そう多くはないからのぅ。」

「そうなんですか?」

「そうじゃよ。
そちらは夢や目標をもっている人は素晴らしい。
夢や目標に向かって頑張っている人は、輝いていると思おう?」

「そうですね。」

「そこがそもそも間違っておるのじゃよ。」

「はい?」

「夢や目標というから、分からなくなってしまうのじゃよ。
課題と言いかえてみると分かりやすい。」

「課題?」

「そう。課題とは、一人一人が『今世こう生きよう』と決めてきた目標じゃな。
それを達成することが、とても素晴らしく価値ある学びなのじゃ。」

「価値ある学び?」

「そうじゃとも。そしてその課題とは、そちらが思っているより、実にシンプル。」

「シンプル?」

「そう。
例えば『嫌なことは嫌って言おう』とか
『一人で背負いすぎない』とか、
『自分の中にある輝きを知り、存在価値を確かめよう』とか。」

「そんな簡単なことなんですか?」

「簡単かな?
課題とは、シンプルであっても、達成するのがとても難しいものなのじゃよ。
その者にとってはな。
場合によっては、一生かかることもある。」

「そんなに?」

「そうじゃとも。
『夢や目標が見つからない』『人生の折り返し地点なのに・・・』と焦る者もおろうが、
心配せずとも、自分が今世こう生きよう!と決めてきた課題に、
どの者ももうすでにちゃんと向き合っておる。」

「えっ?」

「向き合っておるのじゃ。
ただ本人が気付かないだけで・・・。」

「本当ですか?」

「本当じゃとも。」

「では・・・、どうしたら今世の課題に気づくのですか?」

「それはのぅ、日々起きる出来事をよ~く観察していたら、分かるよ。
いったいどんな出来事があったのか?どんな人と出会っているのか?
出会いとはお互いに課題と課題の奇跡的な組み合わせにより、向き合っておるからのぅ。」

なんでも仙人は一呼吸おいた。

「よいか?みなは夢や目標という言葉に踊らされ、自分の本来決めてきた課題を見失っておる。
そして『自分は夢や目標がない・・・』『こんな人生でいいのか?』と、自分の価値を過少評価し、
落ち込んでしまっておるわけじゃ。
実にもったいない話じゃ。
焦らずとも、どの者も自分が決めてきた課題に、もうすでにちゃんと向き合っておる。
何もしていないわけじゃない。
どの者も果敢に課題に取り組むチャレンジャーなのじゃよ。
そのことをどうか忘れないでほしい。」








ご相談例四  許せない人がいる 

2010年10月22日 | なんでも仙人のメッセージ
五十代の主婦のお悩みです。

「うちの隣に、主人の親戚が住んでいます。その人がやたらとわたしに文句を言ってくるのです。
うちは主人が事業をしていて、以前はわたしも手伝っていました。
お隣に住む親戚も、この事業を手伝ってくれています。
ところがわたしが病気になってしまい、事業を手伝えなくなってしまいました。
お隣と顔を合わせるときまって、「もっとこうしないと。」「こうあるべきじゃないの?」と
わたしに文句を言ってきます。それがとてもストレスになっているのです。
自分でもこんな病気がちな自分が嫌で、情けないと思っています。
家族に迷惑をかけているのも分かっています。
こんな自分を消してしまいたいと思うこともあります。
けれどこんなふうに責められるなんて、あんまりだと思うのです。
文句を言ってくる隣の親戚が嫌で、憎くてたまりません。どうしたらよいでしょうか?




ふむ、なぜこの五十代の主婦は、隣に住む親戚からこのように文句を言われ続けているのか?

隣の親戚が嫌で、憎くてたまらないと申しておるよな。

このように人から責められた時、たいていの者は相手を恨む。
しかし、誰かを恨んだり憎んだりしているうちは、状況は何も変わらないのじゃ。
なぜなら、出会っている意味をまるで分かっていないからじゃ。

出会いには必ずお互いがもっと楽に生きられるヒントが隠れている。

ではこの二人の出会いにどんな意味があるのか?

この五十代の主婦は、病気になってしまった自分をたいそう責めておる。
「自分でもこんな病気がちな自分が嫌で、情けないと思っています。
家族に迷惑をかけているのも分かっています。
こんな自分を消してしまいたいと思うこともあります。」と申しておるよなぁ。

この五十代の主婦は自分のことを嫌っておるのじゃよ。

★自分のことを嫌っていると、あなたを嫌う人が目の前に現れる。
★自分のことを大切に思っていないと、あなたのことを大切に扱わない人が目の前に現れる。
★自分のことを責めていると、あなたを責める人が目の前に現れる。
★自分は役に立たない人間だと思っていると、あなたのことを「役に立たない」と言う人が目の前に現れる。


なぜ現れるのか?

気づいてほしいからじゃよ。

「あなたはとても大切な存在なのだ。」と。

「あなたはかけがえのない存在なんだ。」
「あなたは生きているだけで、価値ある存在なんだ。」
「あなたは愛される存在なんだ。」
「あなたは役にたっているんだ。」
「だから自分を責めるのはもうおやめなさい。」
「自分をこれ以上痛めつけるのはもうおやめなさい。」
「あなたを本当に責めているのは、隣の親戚ではない。あなた自身なんだよ。」
「そのことにどうか気づいてね。」


あらんかぎりの愛のメッセージを送っている。
けれど人はなかなかこのメッセージの意味に気づいてはくれぬのじゃよ。

人を責めておる者は、一見相手を攻撃しておるように見えるが、そうではない。
自分自身を責めておるのじゃ。

人を責める者は、自尊感情が低下している者の特徴でもある。
つまり、お隣の親戚もまた、
「自分のことを許していない」「自分のことを好きではない」「「自分は役立っていない」
という感情をもっていることが伺える。

この点二人は鏡になっている。共鳴しあい、引き寄せ合っているということ。

この五十代の主婦が、「わたしは生きている価値がある存在なんだ。」と少しでも自分を認めてあげられた時、
相手から責められる回数は格段に減っていく。

なぜなら、自分がゆるめば相手もゆるむからじゃ。

相手が嫌い、相手が憎いと言うておるうちは、学びの本当の意味が分かっていない。

相手を変えようとしてもかわらぬが、自分が楽になれば、相手も楽になり、攻撃してこなくなる。

その者をいじめるために、このような出来事が起こっているのではないのだよ。
自分も相手も楽になれる生き方を知ってほしくて、このような組み合わせでお互いに学んでいるのじゃ。

ここにすべてが潤う答えが存在する。

相手から責められた時、言葉どおり受け取ってしまうと、とても傷つく。
そんな時は、ぜひ次の言葉を自問自答してみてほしい。

「なぜ自分はこんな言葉を耳にしているのか?」
「この人と自分はどこが共鳴しているのか?」
「自分は自分自身を責めていないだろうか?」