とっても神経質にならざるを得ない話題で
普段だったら、あえて触れることをしないようなテーマなのだけど・・・。
ニュースで、ある市が条例を制定したのを聞きました。
生活保護に関する条例で、生活保護を受けている人が、遊興や賭博などをしているのを
見かけた場合は、通報(?)すること、というような内容。
条例なので、通報しなかったからと言って処罰されることはもちろんないそうです。
この条例制定にあたっては、当該市および市議会に多数の賛同の意見が寄せられた旨
市長がのべていらっしゃいました。
大賛成!と諸手を挙げても言えないが
絶対反対!!!でもないわけで、これまた、モヤモヤするニュースでございます。
誰が生活保護を受けているのか、近隣の人がどうやって知るんだろうか・・・?
子どもがいたら、いじめられたりするのではなかろうか・・・・?
そんなことが気になって仕方がありません。
しかし、反面、
様々な事情により、困窮に困窮を極め、最後の砦としての生活保護で
なんとか生活をおくっているお気の毒な方、ではなく
本来の姿とはかけ離れた状況で、生活保護を受けてのうのうと暮らしている厚顔な
人の存在を憤慨している自分もいるのです。
”本当に苦しかったら、現物支給だって喜んで受けるでしょうに”と思うのですね。
生活保護、という制度は
やはり、本当にやむにやまれぬ状況で、苦しい生活をおくっている人たちのために
”あまりに気の毒だから、みんなで何とか助けてあげられないか”という
いうなれば善意・相互扶助の気持ちからスタートしたと理解しています。
誤解を恐れずに言えば”してあげる”という、上から目線もあるかもしれない。
だから、それだけに、
最後の最後まで頑張って、本当にどうしようしようもなくなった人たちの救いの手を
当人たちも感謝の気持ちで、ありがたく大切に使われていたはずなのではなかったのかな?
そして、ありがたいけれども、やはり”施し”を受けているという惨めさから
何とか抜け出そうと頑張る、
それが本来の姿だったのでは?と思うのです。
上記のような状況の人を前に、普通の人は、四の五の文句を言う事はないのでは?
でも、善意や相互扶助からの制度だったものも
どういうわけか、いつしか”受給者権利”のような、もらって当然、もらわなきゃ損、的な意識
が前面に感じられて、大変に不愉快な気分になります。
医者の友人が言っていましたが、生活保護を受けている人たちの医療費は全額無料。
(税金によって、私たちが肩代わりしているってことですね)
必要もないのに受診するし、必要もないのに薬も欲しがる。
病院側も損するわけじゃないから、どんどん受けるしどんどん出す。
薬は転売してるかもしれないけど、証拠もない。
悪循環だそうです。
その話を聞いて、キーッ(怒)と思ってしまったわたくし。
ちょっとにているな、と感じるのは介護制度です。
これも、高齢化社会の中で、老老介護により共倒れになるような事の無いように
お互いに少しずづお金を出し合って、支えあいましょうよ、の制度だと思うの。
なのに、
あのうちのおばあちゃん、要介護支援3なんですって!
週に3日もヘルパーさんに来てもらってるのよ!その間、あの奥さんテニススクールに
行ってるんですってよ!
うちのお父さんも、介護認定してもらわなくちゃ損だわよ!
というような、流れを見聞きすると
「それって本末転倒なのではありはしないか」と思ってしまいます。
はじめは、本当に困っている人がありがたく受けていた制度。
だけれど、いつの間にか”権利”になって
感謝もせず、大威張りで文句言いながら受けてるの・・・。
なんだか、なんだかモヤモヤです。
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