『居酒屋 松野』改め『不純喫茶 松野』で~す。

今年から、磯の浦で期間限定の「純喫茶」みたいなのをやってます!
純喫茶と言っても、今まで通りアルコールもありまっせ! 

今年の鍋パーティーは中止にします

2011年03月17日 20時18分53秒 | Weblog
3月17日の読売新聞夕刊にこんな記事が載っていました。

その記事を、そのまま書かせていただきます。


母と妻眠る道路脇「ごめんな」

 母と妻の遺体が道路脇に放置されている。行政に収容を要請すると、「手が足りない」と断られた。東日本巨大地震で壊滅的な

被害を受けた宮城県女川町。同町女川浜の無職平塚義勝さん(66)は、愛する人の亡がらを目前に、ただ手を合わせるしかない。

 地震が発生した11日午後、平塚さんは近所の知人宅にいた。慌てて自宅に戻ると、足の悪い母みのりさん(93)が、近くに住む妹

に助け出され、自宅前の路上で椅子に座っていた。傍らには妻ヒロ子さん(61)がいた。「どうやって逃げようか」。そう考えてい

たところ、巨大な津波が襲ってきた。

 大量のがれきとともに、あっという間に約10㍍流された。しっかりみのりさんの腕を脇に抱えていた。2人とも胸まで水につか

り、がれきに体を挟まれた。「苦しい、苦しい」。みのりさんはそううめき、しばらくして息を引き取った。

 「おばあさん、ごめんな」。がれきの間から何とか脱出した平塚さんは、泣く泣くその場を離れ、町立病院に向かった。ヒロ子

さんは見失っていた。

 翌日、現場に戻ると、がれきの下敷きになっているヒロ子さんを見つけた。がれきをノコギリで切り、遺体を引き出すと、地面

に横たえて毛布を掛けた。みのりさんの遺体は、がれきのすき間から見えるが、外に出せない。
 
平塚さんは今、身を寄せている町総合体育館から毎朝約15分歩いて現場に向かう。2人の遺体に手を合わせるためだ。

 「寒いだろう。冷たいだろう。きょうも出してあげられなくてごめんな。もう初七日なのに・・・」

 一緒に暮らしていた長男の勝さん(38)とは、まだ連絡がついていない。



こんな記事を見たら、とても飲んで騒ぐ気持ちにはなれません。

僕は、今年の鍋パーティーの費用を、少ないですが義援金で送ろうと思います。『チリも積もれば山となる』って言うでしょ。

そう言う事で、今年の『居酒屋松野 海開き鍋パーティー』は中止させて頂きます。

勝手して、どうもすみません。けど、被災された人たちに何かしたいんです。

『出来ることを、出きる時に、出来るだけ』なんです。




2011年 夏のアイテムをゲット!!

2011年03月15日 18時56分17秒 | オフシーズン
先日、コンガリー新店長とりかママとアニマルたーちゃんの4人で岸和田カンカンの

ムラサキスポーツと波達に行って来ました。

そこで、今年のトランクスやビーチサンダルなどを買いました。

サンダルは、迷わず決まったんですが



トランクスを迷っていると、アニマルたーちゃんが「俺が、選らんだるわ」

と言って買ったのがこれです



そして、コンガリー新店長とりかママがお薦めするので買ったのがこれです



この後、波達に寄ると可愛い小物があったので娘達のホワイトデーのプレゼントを買いました。



毎年現金支給だったんですが、たまにはこういうのもいいかもと思い・・・

思ってたより娘達が喜んでくれたのには、こちらが少し驚きました

それから、おもしろい物を見つけたのでコンガリー新店長とアニマルたーちゃんの

3人お揃いで買いました。そのおもしろい物とは、これです



今年は、3人揃って海に行く時はこのパンツを穿いていく事にしました




またまた期間限定・・・?

2011年03月15日 17時58分49秒 | オフシーズン
昨日、柿の種調査委員のY木君が「松野さん、またこんな柿の種を見つけました」

と出してきたのが、この『柿の種チョコ』です。



「でかしたY木君。早速ブログにアップしてそれから頂くわ」



これは、ほんまに美味しかったです。

早速、明日スーパーを廻って探してみます。

見つけたら、大人買いをするつもりです





お見舞い申し上げます

2011年03月14日 16時19分14秒 | Weblog
東日本巨大地震で被災された皆様に、改めてお見舞い申し上げます。

そして、この地震で大切な人を亡くされた皆様に心からお悔やみ申し上げます。

そして、不幸にもこの地震で亡くなられた皆様のご冥福を心よりお祈りします。

未だ1万人以上の人が行方不明と知り、今はただ一人でも多くの方が無事に救出

されるのを祈るだけです。

僕が住む大阪も、近いうち南海地震が発生すると言われています。

この震災を教訓に、自然の驚異に対して人間はどうすればいいのか改めて考えさ

せられました。津波に対して作った頑丈な防波堤も、ものの見事に破壊されていま

した。これからは、自然に立ち向うのではなくどういう風に逃れるかを考えたほうが

良いのではと思いました。

今日、ラジオで言っていた言葉が僕の胸に突き刺さりました。

それは『私達が何気なく生きている今日は、昨日亡くなった人たちが痛切に生きた

かった日なんです』と、改めてご冥福を心からお祈りします。


どうでもいいはなしですが・・・Part 2

2011年03月06日 08時29分24秒 | オフシーズン
家のキッチンをリフォームしました。

それは、今年の元旦の晩飯を食べている時でした。

嫁はんが「あんた、明日は休みなんやろ。明日は、お墓参りと初詣に行くで。

あぁ、それとキッチンのショールームも見に行くで」僕が「えっ、正月でショー

ルームなんか休んでるんとちがうか?」と言うと、嫁はんが広告を差し出して

「明日からやってんねん」から始まりました。


そして2月の末の晩飯を食べている時、嫁はんが「3月の2日からキッチンの

改装工事に入るから、2日の晩は隣のスシローに食べに行って3日の晩はコ

ンビニ弁当にするから」それを聞いて、僕は心の中で思わずばんざいをし

てました。それは、久しぶりに寿司が食べれるからでした。この時、自分でも

思いました。まるでガキみたいやなと


3月2日の朝のうちの最後のキッチンの姿です。長い間『ご苦労さん』でした。



そして2日、仕事から帰って来たら何もなくなってました。



そして3日、仕事から帰って来たら見違えるようになってました



僕から見れば、これは一種のマジックにしか見えませんでした。

たった二日間でこんなに変わるものかと・・・

これで、しばらくは嫁はんの機嫌も良く怒られずにすみそうです

以上、どうでもいい話でした。