涙目筑前速報+

詰まるところは明日を知る。なだらかな日々につまずいて
向かうところはありもせず、未来の居場所だって未定―秋田ひろむ

ナンバーガールの思い出

2022-12-12 13:20:31 | 音楽
音楽のハナシ。

ナンバーガールが再び解散してしまった。
ナンバーガールが再び解散してしまった。



彼らが最初に活躍していた90年代後半。
俺はドラゴンアッシュにハマっていた。
同じロッキンオン系の畑であったのにも関わらず、俺はナンバーガールを知らなかった。知らなかったのだ。

彼らの名前を初めて知ったのは、アジアンカンフージェネレーションのアルバム「君繋ファイブエム」の収録曲「N.G.S(ナンバーガールシンドローム)」だった。
当時NGSのタイトルの意味すら知らず、友人のモロに何の略が尋ねたところ、「それはナンバーガールという連中の事を歌っているんだ。バカ野郎」と言われた。
いや、バカ野郎とは言われていなかった気がする。言われたかもしれないが。

バンド名からしてピンとくるものがあったので、ベスト盤を聴いてみることにした。
一発でカマされてしまった。俺は虜になってしまった。

向井秀徳のジャキジャキいっているテレキャスターの音に、田渕ひさ子のうねりを上げるようなギター、やたらと手数の多いアヒトイナザワのドラム、ルードで直線的な中尾憲太郎のベース。
この4人は突っ走っていた。若者が意味もなくその辺の道路をいきなり突っ走るように、全力疾走していた。
何だこの4人は。こんな連中が俺がドラゴンアッシュにハマっていた時にいたのか。何で俺は見落とした!?
俺は激しく後悔した。

既に時遅く、彼らは札幌の地で終演を迎えていた。
解散してしまっていたのだ。

しかし彼らは引き続き音楽活動を続けており、俺はそんな今の彼らを一目見ようと、ライブに足を運んだりした。
東京・吉祥寺の銭湯、弁天湯で田渕ひさ子が「透明少女」を歌った時は、改めて何て良い歌なんだと魅入ってしまった。
九段会館のホールで向井秀徳アコースティック&エレクトリックを観に行ったときは、あのメガネはYUIの「CHE.R.RY」も歌えるのか!と感動した。
年末のフェスであるCDJでZAZEN BOYSを聴いたときは、「Riff Man」で途中から移民の歌のアレンジを入れてくるバンドサウンドに感動し、「6本の狂ったハガネの振動」ではR&Bのようなアレンジが効いていて、CD音源とは全く違う良さが出ていたことに、こいつらはCD音源の予習とかじゃ生温かったと、これまた感動していた気がする。

そして2019年、彼らは突如として再結成をする。
俺は狂喜乱舞した。

俺が見逃してしまった彼らの姿が、今度こそ観られるのだ。
もう見逃さずにはいられなかった。

2019年の12月。CDJ19/20。
とうとう念願のナンバーガールライブを観る事が出来た。
個人的にはこれまで観てきたCDJの中で、一番感動した年だったのかもしれない。
この年のセミを務めたナンバーガールとトリを務めたサカナクションは、今も俺の記憶の中で燦然と輝きを放っている。

初めて観たナンバーガールのライブ。彼らは年を取っていた。
しかし、彼らはまだ突っ走っていた。年を取ってもなお、まだ突っ走っていたのである。



「ギターによる焦燥音楽 それすなわちROCK」
ナンバーガールの「透明少女」のPVにあるセリフだ。
まさにその焦燥と疾走感があの時みたナンバーガールにも詰まっていた。

あの日観た彼らの姿は、思い出の中のナンバーガールではなく、解散を経て各々が各々の道で研鑽を積み、再結成を迎えたナンバーガールの今であった。
だが、その根底はやはりギターによる焦燥音楽そのものと言わんばかりの疾走感だったのである。

俺はまたしても感動してしまった。


そんなナンバーガールが2度目の終演を迎える。
再々結成があるのかどうかは分からない。
ただ、向井秀徳は今回の解散コメントでこうも述べている。

また稼ぎてえと思ったら、何度でも時を超えて我々は集まり、福岡市博多区からやってまいります。

解散時の写真は、全員幸せそうだなと思った。やり切った奴等の悔いの無い顔をしていた。
そういうことだ。そういうことなのだ。

願わくばまた彼らを観に行きてぇ。
俺はそう思って、昨日は久々にハイボールを飲んだ。

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