YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

コーラ、バナナ事件と荻との別れ~アジャンタ、エローラ見物とインド横断鉄道の旅

2022-02-22 13:46:40 | 「YOSHIの果てしない旅」  第10章 インドの旅
・昭和44年2月23日(日)晴れ(コーラ、バナナ事件と荻との別れ)
 久し振りに10時までユックリ寝ていた。今日も昼食時、インド人と張り合った。食堂で私と荻はコカ・コーラを頼んだ。いつも食堂ではビンのまま持って来たが、この店はコップに入れて持って来た。飲んでみると水っぽい感じがした。『インド人め、人のコーラを飲んでその分量だけ水で薄めたな。』と我々は1口飲んで直ぐ分った。しかし私と荻は全部飲んでしまって、これが失敗であった。しかも生水を飲まない様にしていた私は、飲んでしまった。これは、油断であった。
払う時になって、「貴方達は注文した我々のコーラを半分飲んだから、半分の代金しか払わんぞ。」と我々は言った。
「コーラ全部飲んで、如何して半分だけなのだ。」と店員。
「人のコーラを飲んで、その分、水を入れたコーラなんか全部払えるか。」
「飲んでいない。」
「飲んだ。水を入れて補充したのだ。薄くなってコーラの味がしなかったぞ。だから半分しか払わない。」
「否、飲んでないし、水も入れていない。」
「ボトルでコーラを持って来てくれ。もう一度試して見るから。」
「コーラは売れ切れて、もう1本も無い。」
「無い事はないだろう。おかしいではないか。」
どう考えてもインド人はおかしい。これは証拠隠しだ。それにしても如何してコーラを飲んでしまったのか、しかも全部。これでは我々としても、証明する事が出来なかった。
我々は、『インド人に負けてたまるか。』の一念で店側と、「飲んだ」「飲まない」、「半分払う」「全部払え」、「ボトルを持って来い」「売れ切れた」と英語で完全に通じ合わなかったが、押し問答を繰り返した。そして最後には、インド人に負ける運命にあった。時間を費やすし、疲れるし、最後は『1ルピー位、まぁいいか』と思ってしまったのだ。思ったら負けなのだ。現実には、『たかが1ルピー、されど1ルピー』と思って戦っても、敗れるのであった。
 ずるいのはお昼の事だけではなかった。今日、バナナ1房(一本の大きさは、日本の輸入バナナの半分か3分の1程度。食事代わりに私は度々買っていた。)を買った時もそうであった。1ルピー出して買ったのであるが、ボンベイでは12本付いて来たのに9本だけであった。そこで又も、「3本少ない、3本よこせ」、「駄目だ」の繰り返しの応酬であった。インド商人はがめついし、ずるかった。外国人旅行者は彼等の鴨になっていた。
そうこうしている内にこの時は、英語が話せる人が現れて、「如何したのか。」と尋ねられ、事情を説明した。シーク教徒のその方が今回、私を助けてくれて、バナナ3本取り返してくれた。英語を話せるインド人は、カーストの上層部に位置する人、若しくはシーク教徒の人達であった。彼等は我々の様な貧乏旅行者を公平に見てくれた。特にシーク教徒の人達にはインド滞在中、随分助けて貰った。 
 午後、何もする事が無かった。今夜の11時、荻はマドラスに向けて旅発つと言う。彼はマドラスから船でペナンに渡り、マレー半島を南下し、シンガポールから日本に帰る、と言っていた。渡辺も明日の早朝、旅立つとの事。
 夕食の後、私は何だか寂しい、落ち着かない感じになった。そして夜の11時過ぎ、荻は去って行った。荻とは2月11日、ボンベイの食堂で偶然逢って以来2週間弱、共に過した。私は彼と出逢えた為、ボンベイの滞在やアジャンター・エローラの旅が楽しく出来た。そんな荻と言う旅人と別れるのは、淋しかった。彼とは色々な所で出逢ったが、もう逢える事はあるまい。『達者で、そして、無事に日本に帰国してくれ。』と願った。
 その夜、私は変な夢を見た。ホモに襲われ悲鳴をあげ、そして目が覚めた。薄明かりの中、時計を見るとまだ未明であった。



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