YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

私が見た事・感じた事 in London~女性の社会進出の話、接客の話、そして最近の社会情勢の話

2021-10-07 14:59:25 |  「YOSHIの果てしない旅」 第6章 ロンドン滞在
                    △市民の憩いの場のハイドパーク(PFN) 

・女性の社会進出の話
 ロンドンの街には、多くの婦人労働者が目立った。駅員、バスの車掌や運転手、店員、事務員、マネージャー等々、女性達が色々な分野で活躍していた。彼女達は労働が好きなのであろうか。
 日本では結婚すると主婦業に専念するが、イギリスは社会機構が違って女性に働き易い環境になっているのでしょう。社会福祉と男女同権が確立され、家に閉じこもる必要がないのであろう。しかし、現実は一般労働者にとって共稼ぎをしないと生活は楽ではないから、と私は感じた。    
 いずれにしても、彼女達の働いている姿を見ていると、頼もしさを感じた。

・接客の話
 イギリス人は、ソ連人程ではないが接客は眞にスローモーであった。
レストラン(ウィンピー ハウス レストランの従業員はテキパキとやっていた)へ入って何か注文してもなかなか持って来なかったり、商店で先客の人がいると、その人の用が終るまで次の客の面倒を見なかったりした。先客に割り込むなら、「後で」と言われ、注意されるのがおちであった。
 イギリス人は1人1人の客には親切に対応するが、纏めて、或いは適切な接客サービスが出来ない国民の様であった。
イギリスでは、レストランに入り注文しても、なかなか料理が出されなくても又、店に入って先客がいる場合、相手にされなくても時間や順番が来るまで待つのが心得(マナー)であると承知すべきである。

・最近の社会情勢の話
 今日(1968年10月25日)のDaily Mirror(大衆紙)の紙面は、『学生達がLSE(London School of Economicsロンドン経済大学)を解放』と大きな見出しでトップを飾っていた。
「これは来る27日(日)、このLSEを本拠として、ベトナム戦争とウィルソン政府の対アメリカのベトナム戦争援助に反対して、学生・労働者達を中心に大掛かりなデモが予定される」と掲載されて、それらのデモに関する記事で賑わっていた。
 このディスガスティングなベトナム戦争とアメリカ援助反対デモの計画は、2ヶ月前から予定・準備され、かなり荒れるのではないかと報じられていた。そして結果としてかなり荒れ、大勢の学生・労働者が逮捕されてデモは収束した。
 シーラやレストランの人々の意見は、「彼等は戦争反対、平和と言っていながら、自分達自身が勝手に〝戦争〟(デモによって警官隊と衝突し、大勢の負傷者を出していると言った意味)を起こし、一般市民を巻き込んでいる。ナンセンスである」と言って、このデモには賛成していなかった。
 その他に新聞紙面を賑わしている記事は、ジャックリン ケネディさんとオナシス氏の結婚に関する記事、ローデシア問題、そしてメキシコ オリンピックの話題であった。そうそう半月前、Mrs. Sheila(私のシーラと同じ名前)と言う婦人が6子の赤ちゃんを産んだ、と言う事でも話題を呼んでいた。
 毎日、新聞を読んでいた訳ではないが、火事、殺人や強盗事件、或いは自殺の記事について、殆んどお目に掛かった事はなかった。そして、あれだけ自動車が街に溢れ、時には車も人も信号を守っていないのに、それらの交通事故の記事、或いはあれだけダブル デッカー バス(赤い二階建てのバス)が走って多くの人々が飛び乗り、飛び降りしているのに死傷事故の記事等がないのが不思議であった。イギリス人の交通道徳の高さが証明されているのか。 
 今日10月25日現在、メキシコ オリンピックで日本とイギリスは、仲良く金メダルを4個ずつ取った。最近どうも米ソが余りにもメダルを取り過ぎて、このオリンピックの世界に於いても二極化が激しくなっているようだ。私は、「日英ともがんばれ」と応援したい心境であった。

私が見た事・感じた事 in London~「私はイギリス人か」の話とギリス人の質素・経済的(ケチ)な話

2021-10-06 21:28:40 |  「YOSHIの果てしない旅」 第6章 ロンドン滞在
    △タワーロンドン

・「私はイギリス人か」の
 日本での異国人(この場合、白人を指す)は、見立つ存在であった。しかしロンドンに於ける日本人である私は、そんなに目立つ存在に感じられなかった。
 ロンドンには色々な人種が住んでいた。特に目立ったのがアフリカ人(どこのアフリカ人分らなかった)、インド人、パキスタン人等であった。やはり多くの植民地を獲得していた、或は、七つの海を征服した過去の栄光の影響なのであろう。
 そのお陰か、私に対し最初から、「何人か」と聞かれた事は1度もなかったし、私も意識して日本人である、と言う事もなかった。
 そんな理由からか街を歩いていると、私の顔、意識も自分自身イギリス人であるかの様に錯覚する時もあった。部屋に帰って鏡に映る自分の顔を見たら、どことなくイギリス人の顔に成りつつあると感じられた。

・ギリス人の質素・経済的(ケチ)な話
 イギリス人をケチに感じたのは、間違いであろうか。パブでの彼等はビールを飲むのではなく、時間をかけて舐めるように少しずつ飲んでいた。彼等はビールを飲みに来るのではなく、安く時間を潰せてお喋りしに来ている、と私は判断した。
それから、イギリス人のタバコの吸い方だ。彼等の吸い方は、「もう吸えません」となる様な根元まで吸って、半分程度なら捨てずに元の煙草入れに戻し又、後で吸うのであった。その証拠に、街を歩いていても半分程度吸った吸殻は、落ちていなかった。落ちているのは、殆ど根元まで吸った吸殻であった。タバコが高い所為か、ケチな吸い方をしているのであった。中には刻みタバコを買って、自分で紙を巻いて吸っていた。
 まだある。彼等の買物は念が入っていた。高い物を買う訳ではないのに品物選びに時間をかけていた。イギリス人は安くて良い物を選ぶ、経済的な国民でした。
 又、買うお金がないのならいざ知らず、ヨレヨレのコートや服を着ている人がやけに多かった。一部を見て全体的な判断は良くないが、何となく質素倹約的、悪い言い方をすれば、ケチの様にも見えた。イギリス経済は斜陽化し、服も買えなくなってしまったのか。


私が見た事・感じた事 in London~テレビの話と酒場の種類の話

2021-10-06 08:35:05 |  「YOSHIの果てしない旅」 第6章 ロンドン滞在
・テレビの話
 イギリスのテレビ(TV)は、3チャンネルしかなかった。その内の2チャンネルは国営放送である。従って民間放送は、1チャンネルだけであった。
それに引き換え日本は、1~12チャンネルまでの間に6~8チャンネルもある。選択幅が出来て見たい番組が多くなったその分、視聴者にとって有益になっているのであろうか。否、逆になって来ているように私には感じられた。  
 私が会社の寮に入った当時(昭和38・9年)は、食堂に1台TVがあっただけで、そのTVを皆で仲良く見ていた。当然、個々のチャンネル権はないので、現在映し出されている番組を皆で見て楽しんだ。しかし個人的に夜7時から○○がある場合で是非見たい時は、「皆さん、7時から○○があるのでチャンネルを回したいのですが、宜しいでしょうか」と他の寮生にお伺いを立て、皆の意向でチャンネルが変わった。そして、皆でTVを楽しみ、その番組を通して寮生同士の会話がそこに成立していた。
 しかし私が寮を出る昭和43年頃は、部屋に各自がTVを置き、個々で見るようになった。当然、食堂での寮生同士の会話がなくなり、食事が終るとサット自分の部屋に引き上げ、閉じこもるようになった。公休日になっても、朝から晩までTVにかじり付いている寮生が多くなった。食堂での寮生同士の触れ合い、会話もない、殺伐とした感じの寮に変わってしまった。
 本題に戻るが、チャンネルが多いから良い番組も多いという訳でなく、多い分くだらない低俗番組が多くなって来たのも事実であった。私を始め、多くの日本人は分っているのだが、「その気安と手短に時間が過ごせる」と言う事で、それら低俗番組から逃れられないでいた。
 イギリスのTVは、自分の見たいチャンネルや番組が少ない所為か、シーラの家族は殆どTVを見ていなかった。シーラの家に滞在中、一番見ていたのが私でした。
テレビでしか時間を過ごせない日本人(私)は、テレビに喰われてしまったのだ。イギリスにいると、くだらない情報と低俗番組を見て楽しんでいる日本人の末が、思いやられそうな気がして来るのだから不思議でならなかった。

・酒場の種類の話
 ロンドンには飲み屋がパブしかないが、東京には養老の滝の様な大衆居酒屋から、赤提灯、小料理屋、割烹料理屋、バー、サロン、キャバレー、スナック等色々な店がたくさんある。飲み方、酒の肴、雰囲気、色気、値段等で我々は飲み屋の行き先が変わる。要するに選択幅が広いのだ。
しかしその反面、歓楽街はサロン、バー、キャバレーの赤い灯青い灯の看板やネオンで、けばけばしさがあった。そしてそこへ行くのは若い人やサラリーマンが結構多かった。
 ロンドンの若者がパブで飲んでいるのを殆んど見掛けなかった。何故ロンドンの若者は、酒で憂さを晴らす事をしないのか、不思議であった。飲む金がないのであろうか。ビールなんて安いから金ではない、と思うのだ。 
 そして、彼等の飲み方(スタイル)は、ワンパターンで酒のツマミも無く地味であった。


私が見た事・感じた事 in London~トイレの話と交通マナーの話

2021-10-04 11:46:42 |  「YOSHIの果てしない旅」 第6章 ロンドン滞在
    △ロンドンのハイドパークのアヒル

・トイレの話
 ロンドンでは、街の中、地下鉄の駅や国鉄のターミナル以外の駅、又はレストランでもトイレが無かった。私が働いていた有名で客席が多いいウィピー ハウス オックスフォード店でもトイレは無かった(でもスタッフ用のトイレはあった)。従って街に出かけた場合は実に不便であり、出たくなってからのトイレ探しはもう大変であった。
イギリス人はおしっこ、うんこをしない国民なのか。そんな事はない。それでは必要がないのか。
 日本では公共的施設はもちろん、デパート、レストランやラーメン店さえ必ずトイレはある。だから日本人(私)は出掛ける際、出そうな感じがしなければトイレへ行かないが、出たくなったら辺り構わず、動物的にその辺りのトイレへ駆け込む。
 シーラにこの件について話をしたら、彼女は「私達は出そうな感じがしなくても、出掛ける前に必ずトイレへ行っておく習慣がある」と言っていた。成る程と思った。イギリス人は出掛ける前に、『自己防衛』をしているのであった。

・交通マナーの話
 イギリス人は、礼儀や守るべき事は守る国民であるが、交通信号の赤信号を守らない国民の様であった。
例えば、信号が赤の時で車が来ない場合、歩行者は平気で信号無視して道路を横断していた。又、ドライバーも、歩行者や他の車がない場合、当たり前の様に信号無視して進んでいた。
 交通ルールを守らないで、新聞、TV等に交通事故のニュースがないのが不思議なぐらいであった。彼等は安全が確保されれば赤でも行ってしまうが、決して無理な横断や運転はしていないのであった。
 イギリスだけでなく、私はヨーロッパ各国の車をたくさん乗った経験がある。ヨーロッパの人々は、決してスピードを出さず、安全運転に徹していた。だからこそ赤信号でも時には、『進め』になるのであろう。
 信号を守って道路横断や車を運転して事故が起きている日本の国は、いったいどうなっているのであろうか。益々、交通戦争が激しくなっているのが現状であるのに・・・。


私が見た事・感じた事 in London~女性優先の話と老夫婦の話

2021-10-04 09:36:31 |  「YOSHIの果てしない旅」 第6章 ロンドン滞在
  △タワーブリッジ(PFN)

・女性優先の話
 ロンドンの男性は、女性にとても親切にしていた。バスや電車内では優先的に女性を座らせるし、乳母車を引いた婦人がバスに乗車する時、或は街の中の階段を利用する時等、見知らぬ男性がサット乳母車を持って手助けしていた。なるべく婦人を労わるその立ち振る舞いは、立派であると感心した。
 ある時、私は乳母車を押して階段を利用しようとしている若い婦人を見掛けた。サット手を差し伸べ、彼女と一緒に乳母車を運んだ。「Thank you」と言われ、何か良い事をした様な、爽やかな気持になった。

・老夫婦の話
 公園でも、街の通りに於いても、老夫婦が仲睦まじく手を取り合って歩いている姿をよく見掛けた。その姿は若い男女がしているよりも、何かお互い人生を生き抜いて来た安らぎさがあり、人々に仄々(ほのぼの)とした印象を与えていた。
 もし日本で、(老)夫婦が手を繋いで、或いは腕を組んで街を歩いていたら、なにか様似ならないのはどうしてであろうか。江戸時代の武士は、絶対に妻や女性と一緒に歩かなかった。昭和になっても妻は人前では決して夫と手を繋いで、或いは腕を組んでデレデレして歩かないのが普通であり、又「妻は7尺下がって夫(師)の影を踏まずに後に付いて行く」と言う風習があるからか・・・。


私が見た事・感じた事 in London~心のゆとりと感謝の心の話

2021-10-03 07:27:00 |  「YOSHIの果てしない旅」 第6章 ロンドン滞在
・心のゆとりと感謝の心の話

 Londoner(ロンドン人)は、駅構内、列車内、バス車内、或は街を歩いている時、日本人と違って人を押し退けてでも先に行こう、と言ったせせこましさはなく、時間的余裕を持った人々の様に見うけられた。
 
 又、感謝の言葉を常に発していた。例えば、肩等が触れ合った時、彼らは素早く「Excuse me」と言っていた。それに引き換え、我々日本人は肩をぶつけても、知らん顔で行ってしまう。無礼千万が罷り通っているのが現状であった。
 
 感心する事は、乗車券を発売・改札してもらった時、バスを降りる時、乗客が駅員や車掌に「Thank you」とお礼を言っている点であった。それから買物した時、レストランで注文の料理が出た時、お金を払って去る時、道を尋ねた時、人に何かをしてもらった時等、ロンドン人は自然と感謝の言葉を店員さんやウェイトレスさんに表していた。日本は私を含め「ありがとう」の言葉は無かった。

 『ロンドン人の心の広さ』、『相手の立場や人権を尊重する国民』だとつくづく感心させられた。


私が見た事・感じた事 in London~制服とイギリス紳士の話

2021-10-01 14:30:53 |  「YOSHIの果てしない旅」 第6章 ロンドン滞在
・制服とイギリス紳士の話

 イギリス人は制服好きな国民のようであった。衛兵を始め、警察官、鉄道係員、バスの運転手や車掌、ウェイトレス、そして無断駐車を取り締まる婦人係員(女性警察官ではない。無断駐車をしている車に違反切符を発行している婦人)まで制服を着用していた。
衛兵でも制服は異なるが、バッキンガム宮殿の衛兵、ホース・ガードの衛兵、そしてロンドン塔の警備兵(ビーフィーター)の制服は、特に格好が良かった。
 日本でも制服が統一化、平均化している様であるが、イギリスの彼等の制服の方が、何となく似合っていた。制服の本場、発祥地はイギリスであるから、それは仕方がなかった。
 「イギリス紳士の制服」と言えば、背広に山高帽子、そして手にステッキ(小雨が多い所為か、ステッキの変わりにコウモリ傘を代用)を握っている。そんなイギリス紳士のスタイルを映画等で何度も見た事があった。
 そしてロンドンに於いても、私は背広に山高帽子そして手にコウモリ傘の紳士を何度か見掛けた。しかし伝統と歴史を重んじるイギリスで、しかもロンドンのシティ(商業経済の中心地)や繁華街に於いても、彼等と出会う(見掛ける)事は難しい確立になっていた。
 ビートルズやヒッピーの時代になってしまい、これも時代の流れなのか、ステッキを持った背広に山高帽子の紳士達は、何処へ行ってしまったのでしょう。

私が見た事・感じた事 in London~アンダーグランド(ロンドンの地下鉄)の話

2021-10-01 11:30:22 |  「YOSHIの果てしない旅」 第6章 ロンドン滞在
・アンダーグランド(ロンドンの地下鉄)の話

 ロンドンに来た日、シーラの案内で初めて乗った地下鉄の第一印象は、車内の色は茶色、車内灯は薄暗い電球なので、薄暗い感じがした。そして車内でタバコを吸って良いらしく、吸殻が床に散乱して汚い感じがした。
私はウィンピー ハウス レストランへ通っていた時、毎日地下鉄を利用していた。そんな事でアンダーグランドについて気が付いた点を一言、述べたいと思う。 
 運賃は、パリやモスクワの地下鉄の様に全線均一でなく、駅ごとに異なる運賃形態(遠距離低減制)になっていた。そして乗車券は、日本と同じく出札口で目的駅名を言って買うか、自動券売機で買う事になっていた。乗車する場合は、改札入場の際に改札係に〝パンチを入れて貰う〟、これも日本と同じであったが、違うのは乗客の方から「サンキュー」と言って改札係にお礼を言っていた。また改札係も「サンキュー」と返礼していた。駅を出場する時も、乗客は係員に「サンキュー」と言って乗車券を渡していた。日本とは何か立場が逆の様に感じた。これは何もロンドンだけでなく、北欧、フランス、オーストリア等もそうであった。 
 乗降客の多い駅のエスカレーターは見ものであった。上り3列、下り3列の計6台が、轟音と共に人波をスピーディに捌(さば)いていた。このエスカレーターを使用する時は、『Stand on the right side』と指示が書いてあり、右側に立つのがルール(今日、東京では左側)となっていた。左側は急いでいる人の為に利用されるので左側に立っていると、「Excuse me !」と言われ、右側に移されます。ホームへ行く主な手段は、エスカレーターだが、所によってはエレヴェーターや階段だけの駅もあった。又、ロンドン中心地は地下深く潜って走るが、郊外に出ると地上を走る線区もあった。
 朝のラッシュ時間は、乗り切れない場合があった。そんな時、無理に乗り込むと駅員に、「Next train」と言われ剥ぎ取られる。日本では無理に押し込むが、ロンドンは逆であった。乗りそこなっても誰も駅員に文句を言わなかった。
 冒頭に述べたが、車内は薄暗く、長時間新聞を読んでいると目を悪くするかも。車内が空いている場合は、タバコの喫煙が許されるので、それらの吸殻が床に散らかっていて、ロンドンの地下鉄はモスクワやパリよりも汚かった。公衆道徳のあるイギリス紳士淑女が乗る電車のこの状況には、幻滅した。
 車掌は、列車の中間車両の客席に乗り込み、ドア扱いをしていた。中間に乗り込む事によって、列車全体が良く見えるようになっている。10両編成でも左右5両分を見れば良いのだから、安全性は高まる。これは、良い方法であると思った。
車掌は乗客の乗降後ドア扱いが終り安全確認後、列車がまだホームを進出し終わらなくても、客席に腰を下ろしてしまう。混んでいる時でも、乗客が車掌の為に一人分席を空けて置く、或いは乗客が車掌に席を譲るのであった。乗客は混んでいてもドア開閉用車掌スウィッチ附近の席を空けて置くように配慮していた。日本で『混雑している時、乗客が立って、執務中の車掌が客席に座る』なんて考えられなかった。車内が空いている時、車掌は駅間走行中に新聞を読んでいた。
午前と午後のティー タイムの時は、指定されたホームに用意されたティー ポットを自分のカップに入れて車内に持ち込み、仕事中に拘わらずその時間帯は飲んでいた。当然、運転士もティーを飲みながら運転をしていた。
 こちらも鉄道員の制服、帽子はあるが、帽子を執務中でも被っていなかった。又ヘアー スタイルも、各自個性的であった。
 主要駅の朝夕のラッシュ時間帯は、ホームに複数の駅員が出場していたが、彼等は赤色旗や合図灯を携行していなかった。旅客がホーム下に転落等、運転士に緊急停止合図をする時、ホームに備えられた緊急停止ボタンが無いのに、どの様な合図方をするのか疑問であった。又ホームにいる駅員は、列車がホーム進入前、進出後、「進路ヨシ、乗降ヨシ、後部ヨシ」等の指差確認・称呼もしていなかった。
 イギリスには鉄道係員服務規程があるのか、無いのか分らないが、日本の国鉄を始め、私鉄各社の服務規律(規程)にうるさい人には、さぞこちらの鉄道員は弛んで見えるでありましょう。列車本数や乗降客が多い割に彼等は、確かにのんびりとやっているように見うけられた。しかしそこは当然、彼等はやるべき事はやり、守らなくてはならない事は守っている。要するにポイントを押さえて仕事をしている、と私は見た。
 ロンドンの地下鉄、又地方行きの鉄道も、車内放送や構内放送はなかった。従って、放送に頼らず乗客各自が気を配り、目的駅に着いたら降りるのだ。言葉も地理も良く分らない私でさえ、勘違いをして降りる駅を間違えたのは、1回だけだった。
それに引き換え日本のある私鉄では、駅で放送し、発車したら車掌が次の駅名を2度放送し、又到着間際に再び2度している。その他にドアが開く方向、忘れ物、禁煙案内、席の座り方、窓の開け閉め、啓蒙、会社の観光PR等の案内放送を行なっている。それはまさしく必要以上の放送で、しつっこく、騒音公害に感じられた。
 案内放送がなくても初めて乗る人は、気を使って乗っているので誤って乗り降りする様な事はないし、分らなければ他の乗客に尋ねる等方法もある。尋ねれば人は親切に教えてくれるものだと思う。それが人間社会ではなかろうか。ロンドンの不案内旅客には、ホーム等にある『行き先・乗り換え電光表示案内板』が有効的に利用されていた。私はこれに大変お世話になった。
日本では最近、人は人、自分は自分の事しか考えない、後は無関心の風潮になって来ているように感じられる。その点、こちらの乗客の質は、非常に良かった。
 気付いた事だが、電車内に学生や子供の姿を殆ど見掛けなかった。日本は逆で、車内は学生や子供の天国だ。彼等の車内での行動は、目に余る時もあった。特にこちらの婦人が幼児や乳児を連れて電車に乗っている姿を一度も見なかった。どうしてだろう、不思議であった。きっと幼児乳児を連れて乗る必要がなく、自分の住んでいる地区で用が足せるのだ。ロンドンだけでなく、パリや他の都市でも学生や子供は、余り目に付かなかった。
 ロンドンの国鉄終着駅は、ヴィクトリア駅、パディントン駅、ウォータール駅、リヴァプール駅、キングス クロス駅等8駅以上ある。東京、上野、新宿駅の終着駅に集約される事なく、ロンドンから各方面へ鉄道網が施設され、終着各駅の連絡は、地下鉄網によって結ばれていた。
 駅待合室、ホームや車内は、薄暗いが、世界で一番早く出来たので仕方ないかもしれません。ロンドンのアンダーグランド(地下鉄)は、安全、正確、迅速、且つ便利であり、素晴らしいと私は感じた。

私が見た事・感じた事 in London~パブの話

2021-09-30 06:28:52 |  「YOSHIの果てしない旅」 第6章 ロンドン滞在
・パブの話
 
 パブ(Public House)には、Public Bar(パブリック バー)、Lounge Bar(ラウンジ バー)、そしてSalon Bar(サロン バー)があった。ただ単に「パブ」と言った場合は、このパブリック バーを指します。パブを強いて日本語に訳せば「大衆酒場、或は居酒屋」が適当な言い方でしょう。
 パブリック バーはロンドン郊外や下町に点在し、一般民衆や労働者を対象にした酒場でした。そのパブリック バーへ入ると、床はコンクリート、テーブルは粗末な作り、そして室内は何の飾りっ気もなかった。タバコの煙が充満している中で、人々はビールを飲み、そして会話を楽しんでいる、そんな感じがするのが特徴であった。
ラウンジ バー、或いはサロン バーは、ロンドンの繁華街界隈に点在し、上品な雰囲気の中で高級感を楽しみながら、静かに飲みたい人々が対象となっていた。昔、上流階級の紳士淑女が対象とされていた、と言う。従って店内の装飾は凝っていて、床は絨毯が敷き詰められ、テーブルや椅子もクラシック調(ヴィクトリア調的)の由緒あるものを感じた。
 要するに酒場のスタイルが分かれてあるのは、階級制度の名残でもあるが、今では自分の好きなスタイルのパブを利用出来ます。
パブリック バーで飲むのか、ラウンジ バー又はサロン バーで飲むのか、その時の条件しだいで選択されるべきです。気安さ、又は酒代を考えたら、或いは民衆の雰囲気を感じたいのならパブリック バーの方を選択すべきであり、格調、或いは静かな気分で飲みたいならラウンジ バー又はサロン バーであろう。しかし服装には注意した方が良さそうだ。
 イギリスはウィスキーの本場であるにも拘らず、パブリック バーでもラウンジ バーでも酒の主役はビールであった。ウィスキーを飲んでいる人は、私の見た範囲でいなかった。
 初めてカナダ人とラウンジ バーへ行った時、ビールの注文は彼がしました。ロンドンで2回目にパブへ行った時、私が「ビァ、プリーズ」と言っても、ビールは出て来なかった。出て来たのは、バーテンの早口英語で最初、理解出来なかった。
ソ連、北欧、フランス、スペインやイタリアでは、「ビァ プリーズ」と言うと、小瓶のビールを出してくれたし、ミューヘンやウェールズでは大ジョッキで出してくれた。所がロンドンでは違っていた。バーテンは「ビールの種類は何になさいますか。ラガー、ビター、スタウト等が御座いますが」とか、「瓶のビールにしますか、それともジョッキにしますか」、又「ジョッキは一杯にしますか、それとも半分ですか」と、お客の飲みたい種類のビール、飲み方を事細かく聞いて来た。
大概の人は、「A pint of lager beer, please」と言って、ジョッキのラガー ビールを注文していた。私もたどたどしい英語でバーテンに注文した。これは日本の各種メーカーのビン ビール、又はウェールズで飲んだビールに味が近かった。「ラガー」と言う言葉を日本で聞いた事があるので、普通のビールをラガーであると理解した。
3度目以降は要領を覚えて、ラガー ビールを注文する事にした。目的のビールが出され、市民の中に混じって飲んでいると、私もロンドン市民になった、或はイギリス人に似て来た様な錯覚になるのでした。又、この一時が侘しい私のロンドン生活での「オアシス」でもありました。   
 多くの人はジョッキ1杯を注文していたが、中には半分注文し、それを舐めるように飲んで、長時間に渡ってパブに入り浸っている人もいた。
 バーテン(男性、女性、或いは店のおばさんやその主人)から出されたビールにその都度お金を支払い、カウンターで立って飲んでも、テーブルまで自分で運んで飲んでも、どちらでも良かった。パブリック バーは、チップが要らないので気を使う必要もなく、又経済的にも助かった。   
 不思議な事に、ビールを飲むのに『酒の肴』がないのが、イギリスの酒場であった。日本では考えられない事なのだが。私は彼等がそれらを注文、若しくは食べているのを1度も見掛けなかった。 
感心する事は、日本の酒場の様に人の迷惑にも拘わらず大声を出したり、酔ってクダを撒いたり、と言う人に出会った事がなかった。パブリック バー或はラウンジ バーは、市民の社交場であった。
 そうそう、「階級制度」と言えばシーラの話によると、今でも歴然と王様から平民まで分かれ、その階級制度が存在し、生活に深く根付いているとの事であった。しかし、短い滞在期間ではどの様にそれらが影響をしているのか、私には知るよしもなかった。


ウィンピーレストランの収入と生活支出の収支決算の話

2021-09-29 09:51:15 |  「YOSHIの果てしない旅」 第6章 ロンドン滞在
・ウィンピーレストランの収入と生活支出の収支決算の話
  • オックスフォード店=1968年9月21日から10月2日まで計10日間(午後4時から11時まで。9月23日、30日は月曜日で休み。週6ポンド)。従って合計10ポンド
  • ヴィクトリア店=10月4日の計1日(正確の労働時間不明で2時間程度かな)。 
  • アールス コート店=10月5日から6日まで計2日間(正確の労働時間不明で2時間以下)。但し、9月29日から10月5日までの1週間分は、無断欠勤や出張で労働時間が不確定の為、賃金は非常に少なかった。        
・ボンド ストリート店=10月8日から11月2日まで計23日間(11時から午後7時まで。10月14日、21日、28日は月曜日で休み。週約10ポンド12シリング)。従って合計約42ポンド8シリング。
☆ボンド ストリート店の賃金明細を示すと週基本給~£13.7s.9d、差し引かれたものはイ~年金4s、ロ~その他16s.8d、ハ~税金£1.15s、 差引週賃金~£10.12s.1d(10ポンド12シリングと1ペニー=約1万604円)であった。
○収入~約54ポンド(①+②+③+④)
○支出~部屋代~24ポンド(週3ポンド×8週分)、日本料理店食事代~5ポンド3シリング、写真現像代~5ポンド10シリング(たまげるほど高かった。横浜出航からロンドン観光した写真現像代金。シーラとロンドン観光した写真は全て現像できなかった。何者かに私のカメラを悪戯され、中に収まっていたフイルムを駄目にされた。折角シーラに会いに来て、彼女及び彼女と一緒に撮った写真は一枚も無い。残念悔しい)、その他~ジャンパー代、ジーパン代、リック代、食料品代(週2ポンド程度)、生活用品代、事務用品代、地図代、郵便代、トランクの船便代、ビール代、タバコ代、査証代、査証用写真代、コレラの予防接種代、交通費代(週1ポンド)等々。
○決算~ロンドン滞在は大幅ではないが、結局赤字。
9月21日から11月2日までの皿洗いの仕事は、今後の旅の資金作りに全くならなかった。少ない残り手持金が多少減った程度で済んだのがせめての慰めであった。

*イギリスのお金は、1pound(1ポンドは約1,000円。正確には1,004円)は20shillings(1シリングは約50円)、20シリングは240pence(単数はペニー、複数になるとペンスと言う。それで1pennyは4円)、240ペンスは960farthings(1ファースィングは約1円)であった。
また通常の呼び方の他に硬貨の種類によって、sovereign(「ソヴリン」と言って1ポンドの金貨)、crown(「クラン」5シリング)、florin(「フロリン」2シリング)、half-crown(「ハーフクラン」2シリング6ペンス)等がある。普通の硬貨の種類は5s、2s、1sそして6d、3d、1/2d、1d、があった。
 その他に注意する事は、£は数字の前に、sやdは数字の後に書く事や、ペンス(単数はペニー)の前に「アンド」を入れて読む事になっていた。
 イギリスのお金は慣れないと複雑なので、最初の頃私はお金の計算方に悩まされた。