紀勢線一身田駅、ここに初めて来たのは昭和59年。旧型客車が牽引されていた午後に高校生がデッキからぶらぶらして大丈夫なんと思っていた中学校の外周。
橋南中での総体で一身田から阿漕まで遠征にいくのに乗ったのは旧型客車でなくレッドトレイン50系だった。
そう、サロンエクスプレス東京も団体臨時が来た日もあった。
80系南紀の通過時は授業中でも気になるほど轟音。
そして国鉄の分割民営化が実施されることになった。
62年3月下旬紀勢線津-紀伊勝浦間に乗車。新宮行が8時台に設定されていた頃。紀伊長島で南紀に抜かれたダイヤだったが、新宮まで乗りとおした。
新宮から紀伊勝浦はくろしお381系に乗って、勝浦でマグロを食べ、帰りは80系の南紀で帰った。国鉄時代の思い出
子どもたちに伝えたい昔のポスト、駅舎、ローカル線
キハ11
ぞろ目もあることも今日は遭遇せず
間もなく終焉を迎える4048
赤いのもいることを教える
駅員無配置になったことも
標識の意味も
稲穂とのコラボも今しか伝えられない。
見送ることも今伝えておこう