「モーストリー・モーツァルト」11月で、音楽プロデューサーの某氏が、朝比奈と小澤のことを書いている。
わたしはそのなかのある記述が気になって仕方がない。
それは、「彼が癌に冒されていることを知っていたわたしは」というくだりだ。
この部分を読んで、わたしはこのかたへの信頼が揺らいでしまった!
怪しい・・・・。こういうこと簡単にかけるものか!
どうして朝比奈が癌ということを本人の生前に知っているわけがあるのか。
それを知った経緯は書いてないが。。。
知っていた人は、息子の千足さん、もうひとりの息子で住友銀行へ勤務しているかた、奥さんたち・・・・・に限られているのである。
それは、わたしが朝比奈さんの評伝を書いている関係で、千足さんから聞いたことである。
朝比奈は93歳になった秋、名古屋公演を最後に舞台に立つことはなく、年末に逝った。
その数年前から癌だったが、「高齢のこともあり、父は意外と気が弱いところもあるので、本人には知らせなかった」と千足さん。
「オーケストラ、それは我なり 朝比奈隆 四つの試練」の最後のほうを読んでいただけばわかると思うが、この某音楽プロデューサーが知るはずもないのである。
わたしは朝比奈さんが亡くなってから初めて千足さんから聞いた。
彼いわく。「オーケストラ、それは我なり」から引用しよう。
<90歳を超えてからは、仕事ができる状態ではなかったのですが、周りがカバーして、維持の気力で父は仕事をつづけてきたんです。実は、父は長く癌をわずらっていました。
本人には隠していたんですが、まず戦慄洗顔になってしました。手術しても体力がないから治らないし、手術をしたら父にもバレますし。放っておいたといえばそうなのですが、シカゴ交響楽団を指揮したときから前立腺癌の兆候はあった。90歳になる前に癌はみつかっていたのです。ほかにもいろいろ癌があったようですが、いちいち調べることはしなかった。
東京での仕事が増え、先生、先生と言われて体調も上向きになりましたし、文化勲章をいただいて天皇陛下が演奏会にいらしたというのも父を元気づけました。父の直接の死因は食堂癌でしたが、これが見つかったのは最後のコンサートとなった名古屋公演の後でした。
本人は健康だと思っていても寿命はあるわけですし、仕事ができる限り放っておこうと、弟と話し合ったのです。母には父の病気のことは内緒にしていました。父は母と二人だけで住んでいたので、母がもし知ったら黙っていることはできないだろうと感じて、そうしたのです。おふくろに知らせたのは、名古屋公演のときでした。
そのとき町子(朝比奈隆の妻】は「知らなくてよかった」と千足に感謝の気持ちを表した。
私が二十一世紀を迎えるにあたってという問いを発したとき、「わたしはまだまだ生きるつもりだから」と力強く応えた朝比奈がすでに病を抱える身だっったとは……。
わたしの脳裏には、晩年の一連のコンサートの様子がつぎつぎに浮かんでは消えていくのだった。>
某プロデューサーって、いったい・・・。
彼は、わたしの本をよんで、自分も知っていたと勘違いしてしまったのか・・・・もうご高齢だし・・・などと、想像してしまった。
そういえば、音楽界では、評判が?。
演奏家をある協会へ斡旋して・・手数料がなんとか。その話を聞いたときは、まさか、と信じていなかったけど・・・今回、それは本当かもしれない、と考えてしまった。
なにより、彼のこれまで書いてきたことが???になってしまったわたし。
「オーケストラ、それは我なり 朝比奈隆 四つの試練」の解説も、音楽関係者の物書きでは最長老ということでかいてもらっていた。もっとも最初はなんといっても、朝比奈応援隊の一番手である評論家の宇野功芳さんに描いて欲しかったのだが、「高齢で、解説書くには本を全部読まないといけないでしょう・・・いまの自分には期限をきられて読む体力がない」とおっしゃったということで、このかたになったのだったが。
文庫が出版されたら、このかたとごいっしょにお食事でも、といっていた編集者も、彼とのお食事は??とのわたしの質問に、無言だったよね。
完全に引いていたよね・・・。
暑い夏・・・頭もぼうっと、勘違い・・・ってわけでしょうか。
出典を明らかにしてほしいですよね。。。こういう大切なことって。。。。
いったい、どこのどなたからいつごろ、聞いたのでしょうか!
わたしはそのなかのある記述が気になって仕方がない。
それは、「彼が癌に冒されていることを知っていたわたしは」というくだりだ。
この部分を読んで、わたしはこのかたへの信頼が揺らいでしまった!
怪しい・・・・。こういうこと簡単にかけるものか!
どうして朝比奈が癌ということを本人の生前に知っているわけがあるのか。
それを知った経緯は書いてないが。。。
知っていた人は、息子の千足さん、もうひとりの息子で住友銀行へ勤務しているかた、奥さんたち・・・・・に限られているのである。
それは、わたしが朝比奈さんの評伝を書いている関係で、千足さんから聞いたことである。
朝比奈は93歳になった秋、名古屋公演を最後に舞台に立つことはなく、年末に逝った。
その数年前から癌だったが、「高齢のこともあり、父は意外と気が弱いところもあるので、本人には知らせなかった」と千足さん。
「オーケストラ、それは我なり 朝比奈隆 四つの試練」の最後のほうを読んでいただけばわかると思うが、この某音楽プロデューサーが知るはずもないのである。
わたしは朝比奈さんが亡くなってから初めて千足さんから聞いた。
彼いわく。「オーケストラ、それは我なり」から引用しよう。
<90歳を超えてからは、仕事ができる状態ではなかったのですが、周りがカバーして、維持の気力で父は仕事をつづけてきたんです。実は、父は長く癌をわずらっていました。
本人には隠していたんですが、まず戦慄洗顔になってしました。手術しても体力がないから治らないし、手術をしたら父にもバレますし。放っておいたといえばそうなのですが、シカゴ交響楽団を指揮したときから前立腺癌の兆候はあった。90歳になる前に癌はみつかっていたのです。ほかにもいろいろ癌があったようですが、いちいち調べることはしなかった。
東京での仕事が増え、先生、先生と言われて体調も上向きになりましたし、文化勲章をいただいて天皇陛下が演奏会にいらしたというのも父を元気づけました。父の直接の死因は食堂癌でしたが、これが見つかったのは最後のコンサートとなった名古屋公演の後でした。
本人は健康だと思っていても寿命はあるわけですし、仕事ができる限り放っておこうと、弟と話し合ったのです。母には父の病気のことは内緒にしていました。父は母と二人だけで住んでいたので、母がもし知ったら黙っていることはできないだろうと感じて、そうしたのです。おふくろに知らせたのは、名古屋公演のときでした。
そのとき町子(朝比奈隆の妻】は「知らなくてよかった」と千足に感謝の気持ちを表した。
私が二十一世紀を迎えるにあたってという問いを発したとき、「わたしはまだまだ生きるつもりだから」と力強く応えた朝比奈がすでに病を抱える身だっったとは……。
わたしの脳裏には、晩年の一連のコンサートの様子がつぎつぎに浮かんでは消えていくのだった。>
某プロデューサーって、いったい・・・。
彼は、わたしの本をよんで、自分も知っていたと勘違いしてしまったのか・・・・もうご高齢だし・・・などと、想像してしまった。
そういえば、音楽界では、評判が?。
演奏家をある協会へ斡旋して・・手数料がなんとか。その話を聞いたときは、まさか、と信じていなかったけど・・・今回、それは本当かもしれない、と考えてしまった。
なにより、彼のこれまで書いてきたことが???になってしまったわたし。
「オーケストラ、それは我なり 朝比奈隆 四つの試練」の解説も、音楽関係者の物書きでは最長老ということでかいてもらっていた。もっとも最初はなんといっても、朝比奈応援隊の一番手である評論家の宇野功芳さんに描いて欲しかったのだが、「高齢で、解説書くには本を全部読まないといけないでしょう・・・いまの自分には期限をきられて読む体力がない」とおっしゃったということで、このかたになったのだったが。
文庫が出版されたら、このかたとごいっしょにお食事でも、といっていた編集者も、彼とのお食事は??とのわたしの質問に、無言だったよね。
完全に引いていたよね・・・。
暑い夏・・・頭もぼうっと、勘違い・・・ってわけでしょうか。
出典を明らかにしてほしいですよね。。。こういう大切なことって。。。。
いったい、どこのどなたからいつごろ、聞いたのでしょうか!