中丸美繪ブログ

モーストリー・クラシック誌上で井口基成伝連載中。小澤征爾伝も引き続き執筆中。
その取材と裏話


朝比奈隆御大が癌だったことは、本人も奥様も知らなかったのに!某

2016-09-27 13:03:42 | 日記
「モーストリー・モーツァルト」11月で、音楽プロデューサーの某氏が、朝比奈と小澤のことを書いている。

わたしはそのなかのある記述が気になって仕方がない。

それは、「彼が癌に冒されていることを知っていたわたしは」というくだりだ。

この部分を読んで、わたしはこのかたへの信頼が揺らいでしまった!

怪しい・・・・。こういうこと簡単にかけるものか!

どうして朝比奈が癌ということを本人の生前に知っているわけがあるのか。

それを知った経緯は書いてないが。。。
知っていた人は、息子の千足さん、もうひとりの息子で住友銀行へ勤務しているかた、奥さんたち・・・・・に限られているのである。

それは、わたしが朝比奈さんの評伝を書いている関係で、千足さんから聞いたことである。


朝比奈は93歳になった秋、名古屋公演を最後に舞台に立つことはなく、年末に逝った。
その数年前から癌だったが、「高齢のこともあり、父は意外と気が弱いところもあるので、本人には知らせなかった」と千足さん。

「オーケストラ、それは我なり 朝比奈隆 四つの試練」の最後のほうを読んでいただけばわかると思うが、この某音楽プロデューサーが知るはずもないのである。
わたしは朝比奈さんが亡くなってから初めて千足さんから聞いた。
彼いわく。「オーケストラ、それは我なり」から引用しよう。

<90歳を超えてからは、仕事ができる状態ではなかったのですが、周りがカバーして、維持の気力で父は仕事をつづけてきたんです。実は、父は長く癌をわずらっていました。
 本人には隠していたんですが、まず戦慄洗顔になってしました。手術しても体力がないから治らないし、手術をしたら父にもバレますし。放っておいたといえばそうなのですが、シカゴ交響楽団を指揮したときから前立腺癌の兆候はあった。90歳になる前に癌はみつかっていたのです。ほかにもいろいろ癌があったようですが、いちいち調べることはしなかった。
 東京での仕事が増え、先生、先生と言われて体調も上向きになりましたし、文化勲章をいただいて天皇陛下が演奏会にいらしたというのも父を元気づけました。父の直接の死因は食堂癌でしたが、これが見つかったのは最後のコンサートとなった名古屋公演の後でした。
 本人は健康だと思っていても寿命はあるわけですし、仕事ができる限り放っておこうと、弟と話し合ったのです。母には父の病気のことは内緒にしていました。父は母と二人だけで住んでいたので、母がもし知ったら黙っていることはできないだろうと感じて、そうしたのです。おふくろに知らせたのは、名古屋公演のときでした。
 そのとき町子(朝比奈隆の妻】は「知らなくてよかった」と千足に感謝の気持ちを表した。
 私が二十一世紀を迎えるにあたってという問いを発したとき、「わたしはまだまだ生きるつもりだから」と力強く応えた朝比奈がすでに病を抱える身だっったとは……。 
 わたしの脳裏には、晩年の一連のコンサートの様子がつぎつぎに浮かんでは消えていくのだった。>

 某プロデューサーって、いったい・・・。
 彼は、わたしの本をよんで、自分も知っていたと勘違いしてしまったのか・・・・もうご高齢だし・・・などと、想像してしまった。
 そういえば、音楽界では、評判が?。
 演奏家をある協会へ斡旋して・・手数料がなんとか。その話を聞いたときは、まさか、と信じていなかったけど・・・今回、それは本当かもしれない、と考えてしまった。
なにより、彼のこれまで書いてきたことが???になってしまったわたし。

「オーケストラ、それは我なり 朝比奈隆 四つの試練」の解説も、音楽関係者の物書きでは最長老ということでかいてもらっていた。もっとも最初はなんといっても、朝比奈応援隊の一番手である評論家の宇野功芳さんに描いて欲しかったのだが、「高齢で、解説書くには本を全部読まないといけないでしょう・・・いまの自分には期限をきられて読む体力がない」とおっしゃったということで、このかたになったのだったが。

文庫が出版されたら、このかたとごいっしょにお食事でも、といっていた編集者も、彼とのお食事は??とのわたしの質問に、無言だったよね。
完全に引いていたよね・・・。

暑い夏・・・頭もぼうっと、勘違い・・・ってわけでしょうか。
出典を明らかにしてほしいですよね。。。こういう大切なことって。。。。
いったい、どこのどなたからいつごろ、聞いたのでしょうか!





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小澤征爾さんが指揮する今年の姿・・・そのあとの想定外の展開

2016-09-21 11:05:32 | 日記
 締め切りがはいったりして中断しておりました。

 今年の松本の小澤フェス・・・小澤さんが指揮をした日のことについて書きましょう。

 当日の演目はまたまたブラームスからベーt−ヴェンに変更となった。
 それも発表は8月になってからだったから、知らないファンも多かったのではないだろうか。

 このフェスの推進者で、小澤さんとは数十年来のつきあいとなる武井さんによると、小澤さんは、プログラム変更を三月ぐらいから言い出していたらしい。
武井さんは反対したが、小澤さんのなかで、体力への自信が回復しなかったからだろう。

 新日本フィル、ベルリンフィルと振り、そのあとパリで10日ばかり風邪をひいて寝込んでしまったという。
今年はスイス国際アカデミーがタングルウッドで開かれることになったが、それも欠席。
チェロの原田さんたちだけで、例年ような内容で開かれたという。
おそらく小澤さんにしたら、スイスよりタングルウッドのほうが、体質的にも気分的にもあっているからだろう、と思われた。
あるいは、毎年、勉強会のあとにおこなわれるコンサートの企画が、タングルウッド音楽祭のなかでおこなわれたほうが、シンプルだということかもしれない。

さて、当日、ルイージ指揮のオネゲルの第3交響曲「典礼風」・・・この音量にまず度肝を抜かれた。
大音量というのは、なかなかオーケストラから引き出すことはできないのだが、これはサイトウキネンならでは、といったところだろうか。
わたしは、この演奏を堪能した。

つぎがいよいよ小澤だった。
もう登場したときから、拍手である。
これは朝比奈の晩年を思わせた。
小澤さんは、また痩せたようだ。
なんとなく、大丈夫か・・という気持ちに支配される。
そんなこと考えながら聞いているので、音楽より小澤さんの体調がきになってしかたがなくなってくる。
指揮台に座った状態で指揮し、一楽章を終わったところで、降りて、ヴィオラの店村さんと川本さんの前あたりにおいた、また別の椅子に座る。いつもは一本のペットボトルからなのだが、川本さんが店村さんにもう一本別のものをわたし、それも小澤さんは飲む。

その休憩?が異常に長い。
え!?大丈夫なんだろうか。最後まで振れるのだろうか。
なぜそんなに無理して振る必要があるのだろうか。
指揮者の性なのだろうか。
そういえば、朝比奈は「指揮者は立っているのが仕事です」といっていて、最後の最後・・・まで座らなかった。
最後となった演奏会でも、意識が朦朧として演奏者のほうにカラダがゆらりと揺れながらも建ち続けた。
コンサートマスターは終わったときに、「先生、もういいんです。終わったんです」と思わず口にした。
その2ヶ月後、朝比奈は逝ってしまったのだ。

小澤の姿は、わたしにそんなことを思い出させた。
小澤さんはこれで、最後かもしれない。
22日の演奏会は振れないかもしれない。
2楽章のあとが、さらに長い・・・。

しかし、3、4は休むことなく、そのまま振った。
しかしなあ・・・・わたしは全然曲を堪能する気分になれなかった。

アンコールでは、着替えてしまったルイージまでひっぱりだして・・・というより、ルイージの腕にもたれかかって、小澤さんはやっと出てきた。
しかし、なんと楽員用の椅子に座り込んでしまったのである。
ひょっとすると、来年は振れないかもしれない。
もう最後だ・・・。
そう思ったのである。
みな感激して、拍手がやまない。
スタンディング・オーベーションである。

わたしは悲しくなった。
小澤さん、そこまで頑張らなくても・・・と。

こうして演奏会は終わり、こんどはパーティー会場へ。
結局小澤さんは現れないまま、ルイージなどの挨拶・・・「どういうわけか理由はわかりませんが、三度このフェスに呼ばれています」
彼が最初である、そんなに呼ばれた人は・・・。
小澤さんがよほど気に入ったのだろう。

奥さんのヴェラさんも、小澤さんが最後まで振れたので、ほっとしたのだという。
お兄さんの小澤敏雄先生もパーティにいた。
「征爾が最後まで振れて本当によかった」
ご身内の方々は、きょう、最後まで振れないのではないか、と相当危惧していたということだ。

以前、取材した小澤さんのスキーの先生である杉山夫妻もいた。
そこで、なんと小澤さんが今年の三月にスキーをした、という話を聞く。
去年2月に滑ったのは、知ってました。
でも、今年!
今年も春先までは、そんなに元気でいらしたんだ!
そのまま新日本フィル、ベルリンに突入・・・。

わたしは、ひょっとすると小澤さんがフェスを振る最後に立ち会うことができた・・・などとおもって、翌日、武井さんとお茶して、松本を去ったのであるが・・・まさか!という耳を疑う話をきくことになるのである。

知人が聞いた22日の演奏会も、ほぼわたしが聞いた日とおなじような小澤さんの指揮ぶりだったようである。内容は手馴れた曲でもあるし、もちろん素晴らしく、でもやはり小澤さんの体調が気になったというメールがきた。

オペラの「子供と魔法」の指揮もほかの指揮者にかわってしまっていた。
ところが、24日、小澤さんは青山のスポーツクラブのプールに現れたのだった。
そのオーナーから聞いた話である。

それでわたしは胸をなでおろした。
小澤さんも、自分でコントロールしているのですねえ・・・と。
そういえば、以前小澤事務所で広報をしていた武満徹の娘さんがいたが、彼女によると、指揮キャンセルなどは、子供の登校拒否みたいなものなんだそうである。

小澤さんも、シンフォニー終わって、やっとほっとしたということでしょうか。

ともかく、また小澤さんが指揮する姿は見られそうです。





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