中丸美繪ブログ

「モーストリー・クラシック」で「鍵盤の血脈 井口基成」連載中。六年目。小澤征爾伝も脱稿間近。

小澤征爾さんが指揮する今年の姿・・・そのあとの想定外の展開

2016年09月21日 11時05分32秒 | 日記
 締め切りがはいったりして中断しておりました。

 今年の松本の小澤フェス・・・小澤さんが指揮をした日のことについて書きましょう。

 当日の演目はまたまたブラームスからベーt−ヴェンに変更となった。
 それも発表は8月になってからだったから、知らないファンも多かったのではないだろうか。

 このフェスの推進者で、小澤さんとは数十年来のつきあいとなる武井さんによると、小澤さんは、プログラム変更を三月ぐらいから言い出していたらしい。
武井さんは反対したが、小澤さんのなかで、体力への自信が回復しなかったからだろう。

 新日本フィル、ベルリンフィルと振り、そのあとパリで10日ばかり風邪をひいて寝込んでしまったという。
今年はスイス国際アカデミーがタングルウッドで開かれることになったが、それも欠席。
チェロの原田さんたちだけで、例年ような内容で開かれたという。
おそらく小澤さんにしたら、スイスよりタングルウッドのほうが、体質的にも気分的にもあっているからだろう、と思われた。
あるいは、毎年、勉強会のあとにおこなわれるコンサートの企画が、タングルウッド音楽祭のなかでおこなわれたほうが、シンプルだということかもしれない。

さて、当日、ルイージ指揮のオネゲルの第3交響曲「典礼風」・・・この音量にまず度肝を抜かれた。
大音量というのは、なかなかオーケストラから引き出すことはできないのだが、これはサイトウキネンならでは、といったところだろうか。
わたしは、この演奏を堪能した。

つぎがいよいよ小澤だった。
もう登場したときから、拍手である。
これは朝比奈の晩年を思わせた。
小澤さんは、また痩せたようだ。
なんとなく、大丈夫か・・という気持ちに支配される。
そんなこと考えながら聞いているので、音楽より小澤さんの体調がきになってしかたがなくなってくる。
指揮台に座った状態で指揮し、一楽章を終わったところで、降りて、ヴィオラの店村さんと川本さんの前あたりにおいた、また別の椅子に座る。いつもは一本のペットボトルからなのだが、川本さんが店村さんにもう一本別のものをわたし、それも小澤さんは飲む。

その休憩?が異常に長い。
え!?大丈夫なんだろうか。最後まで振れるのだろうか。
なぜそんなに無理して振る必要があるのだろうか。
指揮者の性なのだろうか。
そういえば、朝比奈は「指揮者は立っているのが仕事です」といっていて、最後の最後・・・まで座らなかった。
最後となった演奏会でも、意識が朦朧として演奏者のほうにカラダがゆらりと揺れながらも建ち続けた。
コンサートマスターは終わったときに、「先生、もういいんです。終わったんです」と思わず口にした。
その2ヶ月後、朝比奈は逝ってしまったのだ。

小澤の姿は、わたしにそんなことを思い出させた。
小澤さんはこれで、最後かもしれない。
22日の演奏会は振れないかもしれない。
2楽章のあとが、さらに長い・・・。

しかし、3、4は休むことなく、そのまま振った。
しかしなあ・・・・わたしは全然曲を堪能する気分になれなかった。

アンコールでは、着替えてしまったルイージまでひっぱりだして・・・というより、ルイージの腕にもたれかかって、小澤さんはやっと出てきた。
しかし、なんと楽員用の椅子に座り込んでしまったのである。
ひょっとすると、来年は振れないかもしれない。
もう最後だ・・・。
そう思ったのである。
みな感激して、拍手がやまない。
スタンディング・オーベーションである。

わたしは悲しくなった。
小澤さん、そこまで頑張らなくても・・・と。

こうして演奏会は終わり、こんどはパーティー会場へ。
結局小澤さんは現れないまま、ルイージなどの挨拶・・・「どういうわけか理由はわかりませんが、三度このフェスに呼ばれています」
彼が最初である、そんなに呼ばれた人は・・・。
小澤さんがよほど気に入ったのだろう。

奥さんのヴェラさんも、小澤さんが最後まで振れたので、ほっとしたのだという。
お兄さんの小澤敏雄先生もパーティにいた。
「征爾が最後まで振れて本当によかった」
ご身内の方々は、きょう、最後まで振れないのではないか、と相当危惧していたということだ。

以前、取材した小澤さんのスキーの先生である杉山夫妻もいた。
そこで、なんと小澤さんが今年の三月にスキーをした、という話を聞く。
去年2月に滑ったのは、知ってました。
でも、今年!
今年も春先までは、そんなに元気でいらしたんだ!
そのまま新日本フィル、ベルリンに突入・・・。

わたしは、ひょっとすると小澤さんがフェスを振る最後に立ち会うことができた・・・などとおもって、翌日、武井さんとお茶して、松本を去ったのであるが・・・まさか!という耳を疑う話をきくことになるのである。

知人が聞いた22日の演奏会も、ほぼわたしが聞いた日とおなじような小澤さんの指揮ぶりだったようである。内容は手馴れた曲でもあるし、もちろん素晴らしく、でもやはり小澤さんの体調が気になったというメールがきた。

オペラの「子供と魔法」の指揮もほかの指揮者にかわってしまっていた。
ところが、24日、小澤さんは青山のスポーツクラブのプールに現れたのだった。
そのオーナーから聞いた話である。

それでわたしは胸をなでおろした。
小澤さんも、自分でコントロールしているのですねえ・・・と。
そういえば、以前小澤事務所で広報をしていた武満徹の娘さんがいたが、彼女によると、指揮キャンセルなどは、子供の登校拒否みたいなものなんだそうである。

小澤さんも、シンフォニー終わって、やっとほっとしたということでしょうか。

ともかく、また小澤さんが指揮する姿は見られそうです。