わがままで乱暴でだだっこのような権力者の一人芝居。深い思考のない思いつきとしか思えない発言や行動で世界中が振り回されている。ひとりの老人だとすればそんな人もいるさで済むが何と選挙で選ばれたアメリカの大統領なのだから手に負えない。少なくとも今後4年間は彼の言動に付き合わせられるわけだ。他国にも困った指導者がいるから世界の混乱は進みそう。
25-4-11
千差万別。絵画教室の生徒の作品を見てもつくづくそう思う。同じモチーフでもそれぞれ違う見方をしている。というより違うように見えていると言った方が正しい。つまり自分の脳で判断しているわけだ。認識が異なるから違って当然とも言える。認識を一緒にするには修正能力が必要になる。でもそれがあり過ぎるのもつまらない。個を生かすにはその加減が肝心になる。
25-4-12
何かと問題のある大阪万博が始まった。たまたまその年校外学習の京都、奈良の旅があったので70年の万博を見ている。一番印象に残っているのが太陽の塔だが衝撃的だったのは総責任者の横尾忠則が足場のある建築中の様子をパビリオンにしたせんい館。赤を基調にしているところもおもしろかった。余裕なんてないはずなのに入場料ははたしていくらだったのだろうか。
25-4-13
いつものようにブログに書き込みをしようと開いたらgooブログからの衝撃的な知らせが出てきた。それは何と今年の11月18日を最後にブログを終了するというのだ。余りにも突然だしまったく予測していなかった事態に驚いている。『ある日のひとこと』だけでなく個展やグループ展、教室展の案内や報告でも利用していただけに失うものが大きくて今はまだ信じられない。
25-4-14
続き。終了するのは半年後のこととはいえ望まぬ面倒なことが待っていると思うと気分は滅入るもの。ましてや新たな場所を開拓して軌道に乗せるまでは大変だ。『ある日のひとこと』はホームページを開始した直後の00年11月11日から始まりgooブログへの移行は19年12月21日だった。そこから6年余りでまた変更を余儀なくされるとは。これも時代の流れのうちなのか。
25-4-15
話は70年の大阪万博に戻る。そのときの目玉はアメリカ館の月の石だったが大行列になると予想されていて行く前から諦めていた。案の定その通りだった。行列といえば今回は行列のできない万博を目指したというが初日を見る限り無理のようだ。2日目には行列が少なかったと報道されていたが単に入場者数が少なかったせいのよう。人出がなければ行列はできない。
25-4-16
何かの不祥事に対して取材を申し込むと「担当者が不在でお応えできません」と返されたとの報道をよく耳にするが要するに「応えたくない」ということか。もし応える気があれば「担当者が戻りしだい連絡します」となるはず。それだけ不都合な内容だと認めているわけだがそもそも担当者でなければ応えられないというのもおかしな話。当事者ならわかる気もするのだが。
25-4-17
50代に入って始めてよかったこと。それは『歩く旅』。最初は2000年の51歳のときで北38条の自宅から約20㎞先の当別駅を目指したのだが到着したときには足はパンパンでくたくただった。これが、このままではいけないと考えて毎年少なくとも1日に20㎞は歩くきっかけになった。翌年からは札幌市内を12年からは道内へと広がり19年から札幌に戻り今に続いている。
25-4-18
60代に入って始めてよかったこと。札幌市内はほとんどくまなく歩き、新たな道を求めてたどり着いたのが北海道。どうせ歩くのなら北海道の先端になる岬を目指したいと思った。苫小牧までの65㎞を歩いたのが63歳のとき。そこから到達点を繋ぎながら神威岬、宗谷岬、地球岬、納沙布岬、白神岬、襟裳岬を70歳になった2018年までに制覇した。もうひとつは卓球。続く。
25-4-19
卓球をやり始めたのは12年の64歳のとき。高校と大学の1年のとき卓球部に入っていたため運動をするなら卓球と何の迷いもなく決められた。する場所も近くにあり用具も代金も割と安価なのも決め手に。それからずっと続けてきたおかげで当初よりかなりうまくなれたのも嬉しい。思いっきり動けてなおかつ楽しい時間なので肉体的はもちろん精神的にも満足している。
25-4-20