昔のはなし!

私の昔ばなしです!

会社の契約スタンドにて

2009年04月30日 18時08分36秒 | あの日あの頃、

 

会社の契約スタンドで・・・・・・・ガソリン代の問題なんだけど、

結構、昔はいい加減だっからね

 

前に土曜日仕事が終わった時に燃料を満タンにして

日曜日に私用で車を使い

月曜日に朝1番で、また満タンにしたりなんて話しをしたけど

そんなことをしててもOKでした

 

会社の車の走行キロ数なんか、免許も持って無い女子社員が

本人から聞き書きしてたからね

営業成績の良い時代には会社は何も言わなかったよ

 

50リッターぐらいしか入らないはずの車に

70リッターぐらい入れたことにしといて、  20リッター分を貯めといて、

当初は、マイカー用のカー用品を買ったりチェーンを買ったりしてたけど

ある日、会社のヤツが会社のライトバンの運転席の座席を

リクライニングにしてきちゃったのが居ましたよ

お昼寝する時に便利だから!って言ってね

 

さすがに、これは会社も何か言ってくるだろう!

と思いきや、何も言ってこない一ヵ月後には、

みんな社有車の運転席がリクライニングになっちゃった

ははははは、

 

ある日、営業所を視察にきた

本社のおエラいさんがね、なんでこの営業所の車はみんなリクライニングなんだ!

ってね所長に聞いてたらしいよ

 

 


めでた く退院>

2009年04月29日 18時06分08秒 | あの日あの頃、

 

さて退院のときがやって参りました

退院の時は、お世話になったお医者さんや看護婦さんたちが

病院の正面玄関に一列に並んでね、

きれいな看護婦さんが花束なんかくれて

みんなの拍手を浴びながらの退院!

 

いつかテレビかなんかで見た、そんな光景を思い出しながら

挨拶の言葉  なんか、考えてたんだけど、実際は違ってたな~?

 

朝から、今日は○時には空けてくださいね!

次の方が夕方には入りますから、

それまでにお掃除してシーツを取替えとかなきゃなりませんからね!

なんてお掃除のおばさんに云われちゃうし

帰りに入退院の窓口に寄って、ちゃんと清算してくのを忘れないでくださいよ! 

なんて言われてね!

 

みんなの拍手の中、お見送りなんか、夢のまた夢だったな~?

<自分で大きな紙袋を提げて、私物を車まで運んでたよ!>

したがって、せっかく考えてたのに挨拶も無かった?

 

入院中困ったことは、

術後、クビが痛かったもんで棚の上の段に置いてた、

テレホンカードと小銭入れが取れなくて困ったよ、

なんせ腕が肩より上に上がらなかったからね

ははは、手が届かないんだ!

 

腕が上がらなかったから、お風呂で頭も洗えないから

頭だけは、看護婦さんのお世話になってました

 

看護婦さんや見舞い客のひとりひとりと病室で撮った記念写真は

今でも宝物として大事に取ってあるよ

とまあこんな感じでね

 

<チョーちゃんの入院大作戦も完了となりました>

 

 


<3> そして手術

2009年04月28日 18時38分25秒 | あの日あの頃、

 

さて、いよいよ手術だね、

チョーちゃんの手術はね全身麻酔で約4時間ぐらいだったらしい

手術台に寝かされて、麻酔薬を打たれてね

無影灯を見ながら数をかぞえさせられたんだけど

チョーちゃん、ふたつまでしか覚えてない?

 

<ところでね、この病院では看護婦に注射はさせないんですが 

 唯一手術室に行く前にだけ看護婦さんが注射をします 

 その時の看護婦さん、注射に慣れてないから痛かったら 

  ごめんなさい!

 てね事前にチョーちゃんに謝ってた、

 筋注だったと思うけど思い切りよくやってくれたせいか 

 全然痛くなかったよ!

 麻酔の効きをよくする注射だって 

 言ってたけど、何んだったんだろうね?>

 <上手に打ってくれたから、全然痛くなかったよって後で言ったらすごく喜んでたね>

 

人に依っては全身麻酔からさめる時にね、

本当に気持ち良くて、

お花畑にでも寝転んでいるような、そう桃源郷にでも居るような、

そんな気持ちになるらしいんだけど

チョーちゃんはそんな事、全くなくてね

バチッ  と目が覚めたら、そこはいつもの病室だったよ、

うん花も咲いてなかったな~

 

術後は手術したところが痛くてね~

身体をわずかに動かしただけでもクビに激痛が走って、

ウォー  って叫んでた、点滴にモルヒネを混ぜてたけど

チョーちゃん、年中ウォーって叫んでたよ

約一週間は寝たまんまで、じっとしてた、

身動きもならずって状態だったからね

わずかに右手だけは動かせたから、

右手のところに看護婦さんを呼ぶボタンとモルヒネの量を増やすボタンを握らされて

寝返りをうつにも、ブザーを押して看護婦さんを呼んで3人掛かりで、

寝返りをうたして貰ってたからね

 

なんでも聞いてみれば、チョーちゃんの受けた手術は

整形外科関係のいろんな手術の中でも

術後1番痛い手術なんだってさ

<早く云ってくれれば、手術するのも考えたのに~・・・・・?>

 

少し元気になった頃は、いつものように院内の見回りをしてたね

院内だってチョーちゃん1階と地下1階だけしか歩いてないけど、

とにかく広いからね、

ちゃんとしたレストランだけでも3ヶ所にあったよ、

その他に売店が2店舗だったかな?無料休憩所とかトコ屋さんとかもあるし、

チョーちゃん、ホームレスになったら絶対、あの病院に住みつきたいな~

 

チョーちゃんが入院した病院は、

なんでも石原裕次郎が入院してたって病院だそうで、

裕次郎の居た病室はそのまま残してあるって話しだったから

捜しに行ってみたよ、

ホントにそうかどうかは判らないけど確かに、

他の病室のように鉄製の扉ではなく

く木の扉の病室があったけど、う~んあそこだったのかな~?>

 

 


<2> 入院中(9年前の話しです)

2009年04月27日 20時22分32秒 | あの日あの頃、

 

8階に入院したんだけど

看護婦さんじゃなかった、今は看護師さんて言うんだっけ

チョーちゃんが入院した頃は、まだ看護婦さんだったな~

 

日勤、夜勤含めて10人ぐらいでチームを組んでてね

8階の半分を2チームで担当してましたね

ほとんどの看護婦さんが20才から26才ぐらいの可愛くて、

やさしい看護婦さんたちでした

夜中に眠れなくて困ってたら、20才の看護婦さんが、お話ししてくれたりね!

 

当時、この病院は院内禁煙でしたので

チョーちゃん、時々1 階にある喫煙所まで行ってたんだけど

エレペータまで行く途中にあるナースセンターの前で

気を付けをし、敬礼してね、

ただいまより、院内の見回りに行ってきま~す! なんちゃってね、

 

すると、看護婦さんも気を付けをして敬礼を返してくれてね

<お願いしま~す!>なんてノッてたよ

喫煙所近くではガードマンのお兄さんにヨタとばしてた

チョーちゃんが入院してた頃は真夏だったから

8階に居ると、あちこちの花火大会がよく見えたな~!

東京湾の花火大会なんかは、

テレビ中継を見ながら実物も見てたり

 

神宮の花火大会なんかは、クビを上げずに花火を見下ろしてたよ

隅田川の花火大会は途中にあるビルが邪魔でよく見えなかったな~

 

結構、チョーちゃんの場合には、食事制限みたいなことが無かったからね

病人食を食べないで、1階や最上階にあったレストランへ

食べに行ったりとね、なかなか楽しい入院生活だった

 

因みにクビの手術日が2,000円札の発行日でした

でね、抜糸の日が500円玉の発行日だったんだよ

へへへ

覚えやすくていいね!

 

 


発症→診察 <1>

2009年04月26日 19時35分50秒 | あの日あの頃、

 

ある日、吉祥寺の駅のショッピング街

歩いてた時に左足が引っ掛かり、突然!転びそうになった、

おっとっと、といった感じでね

 

しかし、振り向いてみても、

床はPタイル張りで突っ掛かりそうなモノは何も無く

ちょっとね、どうしたのかな~? というぐらいでね

そのまま行き過ぎた、そんなことがあったことさえ忘れてた!

 

それから1ヵ月後、麻雀をやってる最中に、また来ました

今度は麻雀牌が突然積めなくなっちゃったんだよ

メンバーに断り、やり直すも2度、3度、と失敗し

1ヵ月前の事と、照らし合わせて考えたとき、これは尋常ではないと思い、

それ~病院だ~!

 

規模と検査設備の充実度から考えて、それ~日赤だ~!

朝から行き、症状から見て、まずは脳神経外科

昼まで待たされて脳のMRIを撮りようやく診察を受けるも

原因は判らず、医師の云うがままに整形外科へまわされた

そこでも判らず、一度脳外科へ戻され今度は神経内科へ回されたが

異常ナシ、そして元の脳外科へまた戻された

困った医師の言葉に従いクビのMRIを撮る為にまた検査の申し込みをして

我が家に帰ってみればもう夕方の4時半だった

 

1ヵ月後にクビのMRI検査、そして診察

医師の云うことにゃ、原因はクビでした!

すぐに手術をしないと手足が動かなくなるとのこと

返事を保留して、MRIの検査結果を引き取り大学病院へ

そして大学病院の整形外科を受診し

付いた病名は"頚椎症性脊髄症"でね、

チョーちゃんのは、もう直らないんだって!

 

主治医も教授で整形外科部長の先生に決まり

その下に中堅クラスの先生と若い医師が2人付くと云う

教授を含めて4人体勢の布陣でね

 

だいたい大学病院ってとこは、

入院するのに結構待たされるって聞いてたから

覚悟はしてたんだけど2日後には入院できることとなりました

各検査と手術等で47日間の生まれて初めての入院体験

スタートの運びとなりました

 

チョーちゃんはね、脊髄にキズがあるから

アンタはもう直らないよ! って

云われちゃった

 

 


発症→診察→入院→手術→退院の記録から

2009年04月25日 19時37分40秒 | あの日あの頃、

 

申し訳ありませんが

ドモホルンリンクルは初めての方にはお売りできません

おっと! こいつはどっかのコマーシャルだったな

 

 

チョーちゃんのはこっからだ

申し訳ありませんが、明日から2~3日は

チョーちゃん自身の、

発症→診察→入院→手術→退院と云う

発症から退院までの、自分の記録ではなく

記憶のために使わせてください

 

まあ、記憶のために書くとは云ってもね

チョーちゃんのことですから、

どうなっちゃうんだか分かりませんけどね、

 

何となくでもどっかに書いとかないと

れちゃいそうだからさぁ!

 

 


大学生とマンガの本

2009年04月24日 18時28分49秒 | あの日あの頃、

 

チョーちゃんが大学生の頃

初めて堂々と電車の中でマンガ雑誌を読む大学生が出てきた

 

その姿を見て、

当時! まだ大勢いた明治生まれの爺さんたちが

早速噛みついたね、

 

大学生にもなって電車の中

マンガを読んでるような学生がいるってね

 

すると新聞や週刊誌なんかも、

大学に学ぶものたちが公衆の面前で

マンガを読みふけるとはなにごとぞ!

世も末だ!

ってな具合に書き立てちゃってさ

 

当時、チョーちゃんは電車の中でマンガ本、

読んでなかったんだけど

ジロ~リ!

なんて目で見られて

肩身が狭かったな~

 

 


日本って平和だな~!

2009年04月23日 19時12分13秒 | あの日あの頃、

 

今は前の大戦から60年ぐらい経過し

もう半世紀以上も日本は平和が続いてるお陰でね

いい男やいい女が増えちゃった

 

吉祥寺の安コーヒー店に、

チョーちゃんが行くと、いつも大丈夫ですか! 

なんて気遣ってくれる、アルバイトのやさしくて美しい娘さんが居ましたけど

 

ある時、事務所の若い男の子と一緒にコーヒーを飲みに行って、

チョーちゃん : おい、あの子可愛い娘だろう!って云ってみた

そしたら、その若い男の子がね

え~っあの子がですか~?

特に可愛くもないですよ、まあ普通ってとこじゃないですか?

なんて云いやんの!

 

チョーちゃんの若い頃なら、間違いなく可愛い娘なのに・・・・・?

平和が長く続いて、男も女も皆おだやかな顔つきになり

そこへもってきて、化粧品も化粧の方法も良くなったもんだから

美男美女が増えちまったんだね

 

チョーちゃんの時代なら間違いなく美人の部類に入ってたはずの

その娘さんも、あ~あ普通の部類になっちゃった!

チョーちゃん、とても素敵な娘さんだと思ってたのに・・・・・・・

 

<  あっ、だからって、チョーちゃんに褒められても悲観しないで下さいね!>

 

 


チョーちゃんのブログ

2009年04月22日 20時14分54秒 | あの日あの頃、

 

ブログってものを書いてみて、

面白いブログやつまらんブログ、いろいろあるけど

コメントを書いたり、書かれたり、

またそれに対して返事を書いたりしてる内に、

お友達も出来、だけどハッキリどこに住んでる人か、分かる人もいるけど、

わからん人も居るしね

 

今日の話しは面白いぞ~なんて、自己満足してても、うけない時もあるしね、

今夜の話しはつまらん話しだったな~! なんて思ってても

コメントを読んでると、

自分の思いとはウラ腹に意外にうけてたりして面白いよね

 

もしかしたら、

コメントをくれた人と、昨日どこかの町ですれ違ってるかも知れないし

いい人っぽく書いてるけど悪い人かも知れないし!

逆に悪ぶって書いてても本当はいい人かも知れないしね

 

会ったことも無い人たちと文字だけでおしゃべりして、

それだけで、その人たちを分かったような気になって

でも本当のところは会ってみなくちゃ分からないんだろうけど

 

ネット上のバーチャルな友達としてそっとしといた方がいいのか?

確かに、知らないからこそ何でも言えるし、

何でも聞けるとかってこともあるかもな

 

そう、あとは自分が行ったこともない地方の出来事なり、風習なりが

分かるってのもいいね

 

チョーちゃんのブログはね、

昔話しなんで皆さんの話しとはちょっと違いまして

帰りが遅くなりそうなときなんかに1回分ぐらいなら

作り置きが出来ることに

ある日、気が付いたよ

<1日分ぐらいなら鮮度も落ちないしね!>

 

翌日、帰りが遅くなっちゃいそうな日なんかに、

帰ってから話しを考えなくて済むので、

とても便利だ!

 

 


早起きになったチョーちゃん

2009年04月21日 18時14分16秒 | あの日あの頃、

 

チョーちゃん最近早起きになったみたいだぞ

あぁ~あ、これも高松に住んでるおじさんの影響かな~?

<あっ、こんなこと云うと私しゃアンタのおじさんじゃないよ! なんて怒られちゃいそうだ>

昔から年をとると起きるのが早くなる!って聞くからな~?

 

それとも、仕事辞めたせいなのか?

チョーちゃんったら

寝る時間があんまり変わらないもんだから、

早く起きた分1日が長くなってね、

何んだかした気分だわい

 

去年の今頃だったでしょうか?

ブログネタが無いって嘆いてたら

鹿児島に住んでるお姉さんが

<あっ、これもだ!私しゃアンタのお姉さんじゃないよ!って云われちゃうぞ

ここまで人生60年もやってんだから

まだ、60年は続けられるから続けろ~!

なんて乱暴なこと云ってましたっけ

 

埼玉県で麻雀やってたお姉さんも廃牌宣言しちゃったしな~

よ~し! チョーちゃんも・・・・・・・今日は・・・・・早く寝てやる~!

ってあんまり関係ないかな? 

 

 


ん?、団塊の世代 ??

2009年04月20日 18時16分55秒 | あの日あの頃、

 

チョーちゃんたちの青春時代

約40数年ぐらい前、チョーちゃんもね青春してた

まだ、学生の頃だったから

 

アルバイトに明け暮れてる人、明け暮れてない人、

いろいろ居たのは、今と同じだけど給料がね?

今は時給計算で、1時間いくらって給料だけど、

その頃はね、みんな日給だった

 

つまり時間ではなく、1日働いて、いくらいくらって方式だったよ

金額は、当時の日給が今の時給ぐらいの金額でね

年末の郵便局の配達のアルバイトなんか1日働いて、

日当¥600円ぐらいだったと思いますけど、

仕分けで内勤なんなかになると50円ぐらい安くて¥550円ぐらいだったかな!

 

 

当時の学生たちは住むところも

今みたいに、マンションなんか、ある時代じゃ無かったからね、

学生とくれば、四畳半一間の下宿がいいとこで

ちょっとお金のある家の子は、

ジャーン!

アパート住まいでした、 アパートになると広さも、

グワーン と広がって6畳一間ぐらいだったかね

引っ越した、その日から、うお~! 今日から俺も一国一城の主だ~! 

なんてね勝利の美酒に酔ってたもんです

<下宿とあんまり、変わったとも思えないけどね・・・・・・・・・!?>

アパートっていったってトイレは共同、風呂は近所の銭湯、流し場も共同だから

洗濯なんかは他の部屋の人と並んで、

洗濯機なんて便利なモンは無かったから、

洗濯板を使いゴシゴシやってたな~

 

お勝手はね、部屋の中にタタミ半畳ぐらいのスペースがあって水道の蛇口一つと

ガスコンロ一つぐらいがあった程度かな

 

電話なんか、今みたいに携帯電話のある時代じゃ無かったから

アパート一棟につき一本が普通だったもんで

呼び出し電話が普通だったね、 呼び出し電話ってのは

どっからか、掛って来るとね、

当番の部屋の人、とか大家さんが出てくれて、

呼びにきてたんだよ、みんなで使うから、

1人で長電話なんかできないし、話の内容が、壁が薄いから

近くの部屋の人に筒抜けでね、変な話しなんかできないし、

 

こんなのが、だいたい平均的な学生アパートで

家賃の相場が1畳¥2,000円~¥2,500円ぐらいだったかな?

つまり、6畳一間のアパートで

家賃が¥12,000円ぐらいから¥15000円ぐらい

だったでしょうかね?

 

 


神 社

2009年04月19日 19時26分33秒 | あの日あの頃、

 

先日、お友達の神社へ行ってきたよ

仕事を辞めたから、そのご挨拶でね!

 

ここの神社の奥さんが、

チョーちゃんの学生時代からのお友達

他に仲間が男女合わせて6人ぐらい居るかな

 

そろそろ気候も良くなってきたし、

どっか温泉にでも泊りがけで行こうよ!って、

言ってきそうだから、予防線を張りがてら、挨拶してきた

 

旅行や温泉の話しなんかも、

だいたい、いつもここの神社に最初に話しがきそうだから、

 

ここに話しをしとけば、

チョーちゃんは無理そうだなって

みんなも分かってくれるんじゃないかと思ってね

ノー天気な連中だからな~?

ダメかな~?

 

 


デパートの大食堂!!

2009年04月18日 18時43分49秒 | あの日あの頃、

 

大食堂!っていいな~!

昔はどこのデパートに行っても、

最上階に大食堂ってトコがありましたっけ

 

そうそう、その上の屋上は遊具がいっぱいあって

遊園地みたいになってましたね、

 

いや~、子供の頃は大食堂で食事をして、

屋上の遊具で遊んでる親子連れなんか見ると、

すご~く羨ましかったもんです、

 

チョーちゃん、大人になったら毎日遊びにくるぞ~!

なんて半ば本気で思ってたんだけど?

実際に、大人になってみたら・・・・・・・・・

ははは、ですね

 

気が付いたら、各デパートに大食堂なんてもんが無くなっちまってたね

屋上もビアガーデンになっちゃってさ

 

最上階は細かく仕切って、

老舗の鮨屋とかそば屋とか

専門店が入るようになっちゃった

 

あのチョーちゃんの憧れだった大食堂、

広かったな~! 懐かしいな~! 

あれってドコ行っちゃったのかな~?

 

和食でも中華でも洋食でも何でもあったよ

いいな~大食堂!

 

 


今夜の主役は朝の出勤時に、駅で見かけた変なお婆さん

2009年04月17日 18時37分23秒 | あの日あの頃、

 

今夜の話しはの出勤時に、始発駅で見かけた

変なお婆さんのはなしです、

ははははは、うま~い!!うん、お婆さんが主役で歯無しってのは

ピッタリだな~、我ながら、座布団1枚だね!!

 

さて、最後尾の車両に乗ったチョーちゃん、

車内はガラガラで、座席はいっぱい空いてるんだけどね

チョーちゃんはリハビリを兼ねてるので後ろから2つ目のドアの近くに

立っていました、

そして何気なくホームを眺めていたら、

 

ベンチに本日の主役のお婆さんが座ってた

この婆さん、年の頃は <70過ぎぐらいでしょうか?>

荷物が多くてね~、背に小さなリュックを背負い

両手に大きな紙袋を下げて、

あたふたとチョーちゃんが乗ってる電車に乗り込んできて

小さな男の子とお母さんが座ってるに荷物を置いて

間に合った、間に合った! と感激し

 

フラダンスみたいに両手を振って踊り出しちゃった

ははは、これだけならチョーちゃんのブログネタとしちゃ~、

イマイチなんだけど、婆さん踊り出してすぐ、

ハッタと何かに気付き、ヨタヨタ、ヨタヨタと、

座席に荷物を置いたまま、電車を降りていくじゃないですか?

 

婆さんの目指す方向を見ると、

さっきのベンチに、まだ紙袋が2つ残ってる?

婆さん、その紙袋を両手に持ってエッチラ、オッチラ戻って来たんだけどね

今、降りてった最後尾のドアの所まできたら、電車に乗らず、

ホームに引いてある黄色い線をまたいで

片足でちょんちょん、そして線の両側に両足を、パッと足を開いて

ケンケンパッ、ケンケンパッ  なんて始めちゃったよ!

 

<お~い、だれか止めてやれや~!>なんて聞こえてきそう

そうやって1車両分ぐらい進んだところで

発車のベルが鳴り響き、婆さん あせる!!

手近なドアから乗り込みゃ~いいものを、

自分の降りた最後尾のドア目指して、

またエッチラ、オッチラ!!

電車に乗ってる乗客たちは、ハラハラ、ドキドキ!!

 

何とか婆さん間に合って電車に乗れたんだけど

先ほどの荷物の横に新たな荷物を置き、勝利の雄叫び!

は絶叫しなかったけど

かなり変形した阿波踊りのような踊りを踊ってました

まあ、変形し過ぎて阿波踊りにゃ~全く見えなかったけどね??

車掌室の車掌さんもガラス窓の向こうで

車内アナウンスをするのも忘れて、ポカ~ン! とした顔で

見てたな~!

 

ふたつ先の駅で私は下車、

婆さんの隣に座ってた母子が、私と同じ駅で降り

一緒のエレベーターに乗ってきたのですが

子供がお母さんに <あのお婆さん何してたの~?>

私がその子に <何してたんだろうね~?>

そしてお母さん、

あぁ~~こわかった~! 

 

 

 


白浜の3段壁<不思議な話し>

2009年04月16日 19時31分56秒 | あの日あの頃、

 

だいぶ前にいとこから聞いた話しなんだけどね

和歌山県の白浜に3段壁って、断崖絶壁があるそうな

すごい断崖絶壁でね、自殺の名所にもなってるらしいね

 

ある日、そこへ夫婦でドライブに行った折に立ち寄ったところ

立ち寄るちょっと前に飛び降り自殺があったそうで

観光客やなんかが絶壁の上で見ているときに

絶壁の下では小型のボートかなんか使って、

遺体の回収作業をやってたらしい、

 

いとこはその様子を最前列に陣取り

ビデオカメラを操作しながら見ていたそうなんですが

 

その夜、宿でその映像をチェックしてみたら

何とビデオに写っていたのは、

断崖の上から見下ろしている

大勢の観光客の後ろ姿だったそうです

 

確かに最前列で撮っていたのに

ビデオには見下ろしている、大勢の観光客の後ろ姿だけしか

写っていなかったそうです

ビデオカメラが、壊れたかと思い

チェックしてみても異常はなく、

しかも、チェックした後、もう二度とそのテープは

使えなくなってしまったそうです、

 

この話しには、後日談があるのですが

その話しは長くなるので、

またの機会にしましょう