■青井阿蘇神社のオフィシャルHP
http://www.aoisan.jp/
自分が本厄と知らずに行った青井阿蘇神社
なんとも言えない年代ものの重さを感じました。
■青井阿蘇神社の御祓い
先人たちは、本来神様から授かった清らかな身を包み覆い隠す外からのわざわいを包身[ツミ]と呼び、
体内から生ずる生命の根源ともいえる尊い気を枯らす内からのわざわいを気枯れ[ケガレ]として忌み嫌い、
厄年・還暦など人生の節目の年や、お正月・お祭りなど特別な日にお祓いを受けました。
このような遠き古からの教えを基に、『わざわい転じて福となす』の格言どおり、
外からも内からも心身清らかなる「元気な状態」に立ち返り、いつまでも健康でいられるように願い
祈るのが青井阿蘇神社のお祓いです。
■青井阿蘇神社の沿革
相良氏入国より約400年前、今から1200年前の大同元年(806年)に神社が創建されました。
阿蘇の広大な原野を開拓し、その守り神として阿蘇山のふもとに鎮まる阿蘇神社の御祭神十二神のうち、
三神の御分霊が、重陽の日9月9日に青井阿蘇神社に祀られたのです。
御祭神の名は、初代の天皇である神武天皇の孫にあたられる健磐龍命(たけいわたつのみこと)、
その妃の阿蘇津媛命(あそつひめのみこと)、お二人の子供の國造速甕玉命(くにのみやつこはやみか
たまのみこと)の三柱の神々です。
この開拓の守護神である阿蘇神社の神々を祀り、ご加護を受けながら人吉球磨地方の開拓が営まれ、
安住の地を整えていったのではないかと思われます。
■【開拓の祖を祀る阿蘇神社】
阿蘇神社の御分霊をお祀りした神社は、全国に523社が鎮座し、内訳としては熊本県に461社、
大分県に32社、福岡県に7社、宮崎県に5社、長崎県に4社と九州に509社が鎮座し、青森県を北限と
し本州に14社が確認されていることから、古来より開拓の神として厚い信仰が寄せられてきたことが伺えます。
「南方の池は神様の姿を写すであろう、北方は人々の騒がしい生活を阻むであろう、東方の高く聳える城郭は
猛族の進入を阻むであろう、西方にひろがる林は暴風や火災を防ぐであろうからこの場所は神を祀るに最もふさわしい
場所なのである。」と、古い棟札に記されています。また別の見地から、風水思想の「四神相応(ししんそうおう)の地」
として考えることができます。
四神とは、青龍(せいろう)・朱雀(すざく)・白虎(びゃっこ)・玄武(げんぶ)という霊獣で、この四神に
護られた池こそ富に恵まれ子々孫々まで繁栄する「未来永劫の吉祥の地」であるという考え方です。
東方を守護する青龍は川に棲み、南方を守護する朱雀は池に棲み、西方を守護する白虎は道に棲み、北方を
守護する玄武は山に棲むとされていますので東に川、南に池、西に道、北に山で囲まれた地こそが四神に
護られた地、すなわち四神相応の地なのです。
平安京の都は東に鴨川、南に巨椋池、西に大路、北に北山と四神相応の地につくられました。それから
間もない12年後の大同元年に、東に球磨川・山田川、南に蓮池、西に大路、北に村山と平安京にも似た
地形の場所に神社が創建されたのです。
1200年前に都と人吉球磨の考え方に差が無かったとうのは驚きです。
http://www.aoisan.jp/
自分が本厄と知らずに行った青井阿蘇神社
なんとも言えない年代ものの重さを感じました。
■青井阿蘇神社の御祓い
先人たちは、本来神様から授かった清らかな身を包み覆い隠す外からのわざわいを包身[ツミ]と呼び、
体内から生ずる生命の根源ともいえる尊い気を枯らす内からのわざわいを気枯れ[ケガレ]として忌み嫌い、
厄年・還暦など人生の節目の年や、お正月・お祭りなど特別な日にお祓いを受けました。
このような遠き古からの教えを基に、『わざわい転じて福となす』の格言どおり、
外からも内からも心身清らかなる「元気な状態」に立ち返り、いつまでも健康でいられるように願い
祈るのが青井阿蘇神社のお祓いです。
■青井阿蘇神社の沿革
相良氏入国より約400年前、今から1200年前の大同元年(806年)に神社が創建されました。
阿蘇の広大な原野を開拓し、その守り神として阿蘇山のふもとに鎮まる阿蘇神社の御祭神十二神のうち、
三神の御分霊が、重陽の日9月9日に青井阿蘇神社に祀られたのです。
御祭神の名は、初代の天皇である神武天皇の孫にあたられる健磐龍命(たけいわたつのみこと)、
その妃の阿蘇津媛命(あそつひめのみこと)、お二人の子供の國造速甕玉命(くにのみやつこはやみか
たまのみこと)の三柱の神々です。
この開拓の守護神である阿蘇神社の神々を祀り、ご加護を受けながら人吉球磨地方の開拓が営まれ、
安住の地を整えていったのではないかと思われます。
■【開拓の祖を祀る阿蘇神社】
阿蘇神社の御分霊をお祀りした神社は、全国に523社が鎮座し、内訳としては熊本県に461社、
大分県に32社、福岡県に7社、宮崎県に5社、長崎県に4社と九州に509社が鎮座し、青森県を北限と
し本州に14社が確認されていることから、古来より開拓の神として厚い信仰が寄せられてきたことが伺えます。
「南方の池は神様の姿を写すであろう、北方は人々の騒がしい生活を阻むであろう、東方の高く聳える城郭は
猛族の進入を阻むであろう、西方にひろがる林は暴風や火災を防ぐであろうからこの場所は神を祀るに最もふさわしい
場所なのである。」と、古い棟札に記されています。また別の見地から、風水思想の「四神相応(ししんそうおう)の地」
として考えることができます。
四神とは、青龍(せいろう)・朱雀(すざく)・白虎(びゃっこ)・玄武(げんぶ)という霊獣で、この四神に
護られた池こそ富に恵まれ子々孫々まで繁栄する「未来永劫の吉祥の地」であるという考え方です。
東方を守護する青龍は川に棲み、南方を守護する朱雀は池に棲み、西方を守護する白虎は道に棲み、北方を
守護する玄武は山に棲むとされていますので東に川、南に池、西に道、北に山で囲まれた地こそが四神に
護られた地、すなわち四神相応の地なのです。
平安京の都は東に鴨川、南に巨椋池、西に大路、北に北山と四神相応の地につくられました。それから
間もない12年後の大同元年に、東に球磨川・山田川、南に蓮池、西に大路、北に村山と平安京にも似た
地形の場所に神社が創建されたのです。
1200年前に都と人吉球磨の考え方に差が無かったとうのは驚きです。