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静岡県焼津市で雑談!昔の、役人は、サムライで武士道を学んでいた。卑怯を恥て腹を斬った!

2014年02月10日 | 名古屋のボランティア

 大雪で日本武道館へ行くのが中止になった為、濱田敏哉居合道師範(教士七段)の住む焼津市にて会議!主には、南アジアで全日本本部の取るべき姿勢と役割、ヨーロッパにおける世界本部の役割、オセアニアの状況確認と意見統一であった。

 濱田師範より自衛隊二佐の立場から「教育と役人の低レベル化、近隣諸国との課題」が投げられた。

 近田師範は、元教職員の立場から、現在と江戸、明治における教育の違いを述べた。 明治や江戸では、サムライが役人であり徹底した武士道教育がなされ「口約束でも破れば、腹を斬る覚悟」で仕事をしていた。従って、我が国は、多くの偉業ができた。

最近の話になるが、静岡県の土木職員(静岡県だけでないと思う)が海岸に地震に備えドテを作るのに、サーファーのグループや海亀のグループを恐れて、環境保全リサイクルの材料は、使わないと言った役人がいるようである。 スポーツのグループや海亀を守る優しい人たちが「クレーマー」なんて信じられないのだが、結局は、仕事が面倒なだけではないかということになった。明治や江戸の役人であれば、怖いなどといえば、その場で恥じて命を絶ったものである。


 江戸時代に藩は、およそ300あり、それぞれの藩校(武士道学校)で学んでいた。

近田師範は、「愛知県でも、三河には高校の名称として豊橋市に時習館(吉田藩)、田原市に成章館(田原藩)が残っています。豊田市の崇化館中学校も藩校の名称が起源です。文武両道を指南していたようです。珍しいところでは旗本(交代寄合ながら大名格式だった)の新城藩にも有教館という学校があった。」と話した。