葉織る。

言葉の中にそれを紡ぎ織った人が見えても、それは虚像かもしれない。

甘くない進化。

2018-04-29 18:00:08 | 養生
 進化という言葉が気軽&安直に使われるようになったのは、ポケモン以降だろうか?
 進化というのは世代交代を伴う変化だ。
 ポケモンのあれは変態である。

 多分こういう言葉の暴走は、「変わりたい」という気持ちの強さがなせる業なのだろうが、そんなに変わりたければそれなりの工夫をして成長すればよろしい。
 何だかよく分からないけど進化ってすごそうだし、何かのきかっけで形態変化できれば、苦労せずにパワーアップできそうな気がする、なんてのはちょっと狡いと思う。

 が、そんな願望とは関係なく?生き物は進化&退化していく。
 突然変異とか、適者生存とか、環境適応とか弱肉強食とか色々あるようだが、どうやら確からしいのは、その変化はそれほど計算づくではなく、だから色々なバリエーションがあって、その中で偶然環境に適応できた種が生き残った、ということらしい。

 そしてその変化の理由として、「何を食べるか」というのは重要な要素だと思う。
 「何を食べられるか」「何を食べれば他の種との争いを避けられるか」「どうすれば喰われる側にならずに済むか」等々、まさに生存のための一大テーマだ。

 で、糖質である。
 人類が農耕を始めてから、食糧事情と社会は一変したはずだ。
 それ以降の時間が、人類に「種としての進化」をもたらすほどの時間だったかどうかは分からないが、少なくとも糖質を主食とする生活が、様々な文化や伝統の基礎にはなっただろう。
 だから多くの人にとって、米や麦には特別な思い入れがある。

 だがその一方で、農耕は人類に良いことばかりをもたらしたわけではない。
 肉や種子や果実よりもずっと保存性の高い穀物は、それを貯蔵するための「倉」を生み出し、富める者と貧しい者を生み出し、争いを生み出した。
 考えようによっては、穀物は支配者側が被支配者を安く手なずけるための飼料として使われてきたとも言えまいか。
 生き残るための画期的な技術だったはずの農業。
 それによって生み出される穀物、糖質が、今では過剰摂取によって生命を脅かすことさえある。
 だが、多くの人の生命を危険にさらすと分かっていながら、複雑に絡んだ利害関係が、状況の変化を拒む。

 まあだからといって農耕開始以来の人類史を否定するほど、私は熱い人間ではない。

 ただ、今巷で糖質制限というメソッドがそれなりに流行っている背景には、「ずっと穀物に依存して、こんな歴史をつくってきた自分達に、飽きてきた」という心理がはたらいているような気がする。

 ダイエットでも健康体でも、今の自分とは違う自分になるために、食事を変化させるというのはよくある発想だ。
 「そもそも人類は農耕よりもずっと長きにわたって狩猟・採集をしていて、心身もそのようにデザインされているのだから、糖質を制限することで本来の機能を発揮できる」というのも中々スケールが大きくて魅力的なストーリーだ。
 しかも、かつての狩猟・採集生活をしていたご先祖様とは違い、今の人類は知性を獲得している。
 その上で本来のスペックを取り戻したなら?なんて、虫のいい想像をしたくもなるだろう。

 これって、「環境に適応したい」「ある対象になりたい」という欲望よりも、今ある状況に「飽きた」という感情をきっかけとする進化の始まりだったりするのだろうか?
 何だか非常に人間らしいと思うが、それを確認できるほど長生きするのはさすがに無理か。
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