葉織る。

言葉の中にそれを紡ぎ織った人が見えても、それは虚像かもしれない。

奏でているのは誰だ?

2017-01-24 12:31:33 | 雑感
 自分の身体が自分の意志で動かせているかというと、結構怪しいものだと思う。
 例えば掃除でも料理でもいい。何か道具をひとつ持っただけで、身体がその道具に振り回されてしまう。

 ちなみに楽器の演奏などは、更に不思議な感覚に陥ることがある。

 あるフレーズを演奏中に、音を出そうとするその瞬間、現実に聞こえている音は、あくまでも既に鳴らした音であって、それに集中しているはずなのだが、鳴らした音は鳴らす直前に頭の中で響いているようにイメージしたものに近い、という感覚がある。
 では実際に脳で処理されている音は、一体どの音なのか?

 また、鳴らしてしまった音は修整出来ないのに、調えようという感覚があって、実際に調えられているように感じてしまう。

 何とも分かりにくい文章になってしまったが、つまり、頭の中でイメージしている音と現実の音の時系列がグチャグチャになるというか、大袈裟にいうと、本当に演奏しているのは誰なんだ?という感覚になるということだ。

 実はそれこそ音楽の神様なんてのがいて、歌唱や演奏というのはその神に操られてやっているもので、特にその神から愛されているとか信心深いとかいう人が、いわゆる上手い演奏が出来るということなんじゃないかと思ったりもする。

 まあそうだとしたら、私の信心はかなり薄い方だろう。
コメント
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