久しぶりに「天地人」ネタを・・・。
長沼地区のシンボル、そして桜の名所で知られる長沼城址についてご案内します。
長沼城は会津地方を治める領主にとって中通地方との境目を守る要の城として、
重要な役割をはたしていました。
長沼城が歴史の表舞台に登場するのは、天宝18年(1590年)に豊臣秀吉が行った
奥羽仕置のときです。長沼城は会津へ向かう秀吉の宿泊所になっていました。
当時長沼城主であった新国上総介貞道は、秀吉を迎えるため本丸に仮の御殿を築き、
近在から婦女子を集め盛大にもてなしたところ、秀吉は大いに喜んだそうです。
大河ドラマ「天地人」の主人公である直江兼続や上杉景勝が越後国から会津領120万へと
国替えになるのは、それから8年後の慶長3年(1598年)のことです。
時代はまさに豊臣の時代から徳川の時代へと移り変わる変革期であり、長沼城も白河口から
侵攻してくる外敵に備えた上杉氏の防衛拠点として堅固な城へと改修がなされました。
現在の長沼城址には、深い堀や高い土塁の跡が残されており、これらは上杉氏の時代に
改修された可能性が高いと言われています。
長沼城址
須賀川市長沼字日高見山 地図はこちら
長沼地区のシンボル、そして桜の名所で知られる長沼城址についてご案内します。
長沼城は会津地方を治める領主にとって中通地方との境目を守る要の城として、
重要な役割をはたしていました。
長沼城が歴史の表舞台に登場するのは、天宝18年(1590年)に豊臣秀吉が行った
奥羽仕置のときです。長沼城は会津へ向かう秀吉の宿泊所になっていました。
当時長沼城主であった新国上総介貞道は、秀吉を迎えるため本丸に仮の御殿を築き、
近在から婦女子を集め盛大にもてなしたところ、秀吉は大いに喜んだそうです。
大河ドラマ「天地人」の主人公である直江兼続や上杉景勝が越後国から会津領120万へと
国替えになるのは、それから8年後の慶長3年(1598年)のことです。
時代はまさに豊臣の時代から徳川の時代へと移り変わる変革期であり、長沼城も白河口から
侵攻してくる外敵に備えた上杉氏の防衛拠点として堅固な城へと改修がなされました。
現在の長沼城址には、深い堀や高い土塁の跡が残されており、これらは上杉氏の時代に
改修された可能性が高いと言われています。
長沼城址
須賀川市長沼字日高見山 地図はこちら