なあんおばはんの日常

運?いろいろなこと

おはようございます

世の中には運の良い、
運を持っている人が
います。

昨日、久々に出社して

会って話した人が

僕、ついてるんです、
ラッキーなんです、
と言っているのを聞いて

そういうタイプたしかに
いるよな、と思いました。

私は彼らを
「棚からぼた餅」タイプと呼んでいます。

タナボタタイプは
なぜか運良く
周囲の人の縁から幸運が降ってくる
タイプです。

人の縁を大事にしてるからとか
そういうわけでも
とても良い人だから、とかでは無く、
多分、そういう要因ではなく、
まるで別次元で
そのように仕組まれているかのようです。

話してくれた彼は
とても良い奴なので、彼の場合は
自分でも引き寄せてると思いますが、

うちのダンナはそうじゃないのに、
今までの人生、かなり
タナボタです。



不思議です。



一方では
過酷な不運な、
苦労ばかりの人生も
ありますが、

だからといって

その外的要因により
当人の日々の暮らしが
不幸か、幸福かは
当人次第です。

どう受け止めて
当人の脳が
どう認識するか、で決まります。

感情も認識も
気持ちも意識も
全て脳の「思い込み」です

つまり、
自分がタナボタタイプだ、
という認識も
当人がそう思っていれば、
そうなのです。

他人から見てどうかなんて
実はあまり意味がありません

他人と比べてどうか、という観点は
どうでもいいことです。

他人と自分は、
全く別の存在なのだから、
比較する対象にはなり得ず、
意味が無いのです。

なので、
私がタナボタタイプだと
呼んでいる彼らも

勝手に
私がそう認識しているだけだったり、
当人がそう思っているか、
だけです。

全く同じ事象に対しても、
運が良い、運が悪い、と
受け止めるかどうかは
個々の人によって
変わります。

だとすれば
少しでも
楽しく元気に
明るく日々を生きていくために

私は運が良い、
幸運を持ってる!
と思い込むことの方が

どれだけの不安を乗り越えていけるか、
その効果は計り知れません。

見えない不安より
自分で思い込む幸運の方が
自分の精神安定条件は、
ずっとずっと良い効果を生み出します。



ところで

私の弟は27歳でバイクの単独事故で
事故死しました。
しかも脳死でした。

わたしには非常に悲しい出来事でした。

未だに
臓器コーディネーターに
心臓弁膜をください
と言われ
一晩中、母と考えた夜を
忘れません。

今からもう30年前です。

当時は
脳死者が出ると
全国の医療機関に
脳死者発生のFAXが流れ
全国から
この臓器がほしいと
要望がきます。
その要望をとりまとめ、
脳死者の親族と
面談するのが
臓器コーディネーターです。

あれから30年経っているので
今はどうなっているのかは
知りませんが
臓器提供意思についても
かなり世の中に普及しているので、

生前の本人の意思表示があれば
遺族はそこまで
苦しまなくて済むかもしれません。

わたしは30年経過した未だに
脳死状態なのに
機械に繋がれた身体は生きていて
握った弟の手の温もりを
忘れません。

あのときに
臓器提供に同意すれば
すぐに終わったのです。

今だから
数十年経過した今だからこそ
そう考えられます。

でも、
いきなり突然の事故と脳死

そんな状況での
臓器提供は
すぐには判断出来なかったのです

それに弟はリンパ癌の病歴があります。

心臓弁膜には
リンパ癌は影響無いのかもしれませんが

そのことを理由に落とし所として

臓器提供は断りました

この件については
知人から
それは間違っている、
その心臓弁膜で
誰かが助かったかもしれないのに、
言われたこともあります。

たしかにその通りです。

生前の弟の意思表示があれば
迷わずそうできたと思います

ですが、当時
いまほど臓器提供の意思表示は
世の中に普及していなくて、
弟の意思表示は無かったのです。



過去、
弟は中学生の時にホジキンリンパ腫で
余命2年宣告、長くて19歳までと
言われました。
その病名がわかるまで
数ヶ月かかりました。


わたしは
不運だと思いました。

ですが、
それから弟は、まるで別人のように
変わりました。
死を自覚したからかもしれません。

それまでは
物事をあまり深く考えないタイプでした。

それが、
ガラッと変わったのです。
ものすごく変わりました。

まだ10代なのに、
まるで仙人のように
なんだか全てを超越していました。


苦しいきつい放射線治療や
脊髄注射や
化学治療に対して
一言も苦しい、辛い、痛いと
言わなかったのです。

叔父のつてで
リンパ腫の名医に担当してもらうことが
できたので、
弟は、退院して
療養しながらも
日常生活に復帰することができました。

30年経過した現在は
ホジキンリンパ腫の生存率も
治癒率もかなり上がっているようですが、
当時は病名すら、なかなか
確定できなかったのです。

弟は治療のおかげで
その後、
好きな電子工学の道にも進み
産業ロボット開発の仕事にも就くことが
できました。

ああ、その前に、
父のことがありました。

弟が余命宣告を受けた時に

「代わりたい、代わりたい
自分の命をあげたい、」
と言っていた父は
弟の治療が終わり
弟が高校に進学してすぐに
肺がんで余命半年と宣告を受け
きっちり半年であっけなく亡くなりました。

まるで弟に寿命10年を渡したように。

そして弟は、父が亡くなった
丁度10年後に、
事故死しました。

10年。

弟はその10年で
彼がやりたかったことができました。

たった10年ですが
その10年は欠けがえのない10年です。

時間の長さより
どう生きたか
どう時間を使ったかが
大事なのかもしれません。

父と弟は短命でしたが、
母だけは長寿で
84歳の現在も健康ですが、
特になにもしていません。
特に本人にはなにかやりたいこともなく、
元々あまりなにも考えずに
生きてきている人なので
母は何のために生きてるのかが
謎です。
物忘れはありますが、
認知症になっていないのも
不思議です。
毎日、散歩に行き
美味しくご飯を食べて
テレビを見て、
ナンプレを解いて、
静かに暮らしています。
殆ど不平不満も言いません。
そこは助かります。




こうして振り返って書いていると
ほんとうに
人生って不思議です。。

弟の倍以上の年月を
生き延びているわたしは
もうすぐ還暦。



生きているだけでまるもうけ

名言です。

涙がでます。

何を書いてるか、
よくわからなくなりました。

すみません。

結論、

自分はラッキーだ!
なぜならば、今
生きているから!!

いま、ここにいるから。
いま、なんでも
やりたいことや楽しいことが
できるのだから。


ということ

です。



お正月に見た景色





父の絵






























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