GHQ焚書図書開封 第153回
-イギリスのインド統治史は約束破棄と不信の歴史-
1919年のアムリトサルの虐殺後の戒厳令下の
植民地インドにおけるイギリス人による冷酷無比な暴圧やリンチは目を覆いたくなるものがあった。
当時、日本は、イギリスの暴圧に苦しんている支那とインドに同情心をもっており、同時にイギリス人に対して恐怖と怒りを持っていたのである。大東亜戦争が起こる原因にはこういった背景が存在していたのである。
将来の自治(カナダ、オーストラリアのような自治)を約束にインド人はイギリスのために戦場(支那、アフリカ、欧州、メソポタミア、アラビア、アフガニスタン、チベット、ビルマその他)に駆り出された。そして、多くのインド人は命を失った。しかし、イギリスはそれらの約束をことごとく反故にした。
「今日、印度は有力な盟国として、この会議に臨んだ。吾人は1914年フランダース戦線の兵力欠乏せる時、印度軍二軍が現れ救助せられたことを想起せざるを得ない。吾人は印度に負うところ多いが、印度がいつの日か完全なる自治領制を得んことを深く期するものである。然るに、その後10年を経て、チャーチルは英国両院協議会の席上で、「右は儀礼的に述べられたものである、儀礼的にお世辞を言うことはどの政治家でもやることだ」と公言した。更に、彼は曰く「如何なるときといえども閣僚が印度に自治を賦与するなど考えたこともなく、欲したこともない。」
イギリス統治前は人口(約3億6000万人)の60%が読み書きができたが、イギリス統治下の2世紀の間に90%が文盲となるという愚民化政策がとられたのである。更に長年にわたる搾取の結果、住民の生活は困苦し、飢饉で多くの住民が命を落とした。
イギリスは反抗されることを怖れ、インド人から武器をとりあげ、自立心を失わせインド人の精神を殺してしまった。
ガンジーは無抵抗主義でイギリスに抗議したが、武力を背景にイギリスと交渉しないと効果がない考えたのがチャンドラボウズであり、大東亜戦争で日本軍とともに戦い、独立運動とインド仮政府樹立に貢献した。
大東亜戦争が終戦となり、日本軍が撤退した後、再び、イギリスはインドを再度植民地化しようと戻ってきたが、日本軍によって、火がつけられた独立の機運は二度と消すことはできなかった。
参考文献:「インドの叫び」ボーズ・ラスビハリ、、「大東亜戦争の開戦目的は植民地解放だった」安濃豊
2017/12/07に公開
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます