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-阿片戦争の真相-(GHQ焚書図書開封第130回)

2020-07-12 09:14:54 | 近現代史

GHQ焚書図書開封第130回

 -阿片戦争の真相-

1836年、大常寺小郎許乃済は阿片のもたらす健康上の害毒と経済的混乱について意見を皇帝に具申したが、受け入れられなかった。
 「阿片」をめぐる、林則徐とチャールズ・エリオットとの争いは、広東、マカオではイギリスが譲歩したが、香港では林則徐の要求を拒絶し、武力をもってイギリスが勝利した。イギリス議会内でも宗教、道徳よりも利益を重視するパーマストンと阿片戦争を不義の戦争とするグラッドストンとの間で開戦理由について対立があったが、「大英帝国には永遠の友も永遠の敵もいない。あるのは永遠の国益のみ」を主張するパーマストンの意見が支持された。
1840年阿片戦争勃発。結果は、北京政府(道光帝と琦善)側の敗北に終わった。1842年南京条約では、戦わずして仏、米も支那における利権を得ることになった。
この戦争は遠謀を以て行われたが、戦ってみると、余りにも弱く、シナ人の劣弱さに呆れ果てた。
これらのことは、日本の近代化以前に侵略が行われていたということである。このことについて、日本と貿易のあったオランダ政府は、幕府に鎖国はやめるべきだと忠言したが、幕府は耳を貸さなかった。
イギリスに敗れた結果、シナは広東、厦門、福州、上海、寧波の五港開港、香港の99年の借用、主権はビクトリア女王に譲渡、領事裁判権の承諾、関税自主権の喪失を蒙ることになった。
米国との望夏条約、仏蘭西との黄埔条約には阿片の禁止を唱っていたが、英吉利との南京条約には阿片については一言も触れていなかった。
アングロ・サクソンの悪質は依然として今の地球上においても同様であり、シナのもっている鈍感な図太さ、怠惰な傲慢さ、自己反省のない我欲の強さ、自己中心病の体質は今日の習近平政権も同様である。
参考文献:「亜細亜侵略史」高橋勇
2017/3/1公開


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