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-ポルトガルの『海の鎖』と大英帝国のつくった海賊の話-(GHQ焚書図書開封 第156回)

2022-02-22 20:00:45 | 近現代史

GHQ焚書図書開封 第156回

-ポルトガルの『海の鎖』と大英帝国のつくった海賊の話-

最初に海に出たのは西回りで大西洋からの道をスペインが、アフリカ回りで印度洋への道をポルトガルが、選び、進んだのであった。そしてオランダが次に続いた、当時、イギリスはヨーロッパでの中では後進国であった。貧困にあえいでいたこれらの国々は、生存をかけて、また宗教を普及させるため、フロンティアの拡大に猛進したのである。

 大西洋を越えたところは野蛮の地と称して、白人支配による残虐悪道が許されると言う極めて傲慢な態度をとったのである。

ポルトガルは海上封鎖(海の鎖)という手段をとって強奪・搾取する方法をあみ出した。イギリスはそれを真似て太平洋に乗り出した。

エリザベスが海賊ドレークに爵位を与えるというようにイギリス国民はもともと海賊であった。

 

イギリス史(17~19世紀)

1577年 英、ドレークの率いる船団が初めて太平洋に乗り入れした。

1581年 露、コサックがシベリア侵略に着手

1588年 英、スペイン「無敵艦隊」を破る(アルマダの海戦)

1600年 英、東インド会社設立

1602年 蘭 東インド会社設立

1607年 英、ヴァージニア植民地設立

1613年 英、日本に通商を迫る。支倉常長ローマに到着

1620年 蘭 台湾に進出

1642年 蘭、タスマンがニュージランドを発見

1664年 英、蘭からニューアムステルダムを奪い、ニューヨークと改称

1763年 英、仏に勝ってカナダを占領

1769年 英、ニュージランドを占領

1770年 英、ジェームズ・クック豪州に英国旗を立てる。

1760~1830年 英、産業革命が始まる

1775~1783年 アメリカ独立戦争

1778年 英、オーストラリアのシドニーでイギリスの植民が始まる

1789年 フランス革命

1792~1815年 ナポレオン戦争

1795年 英、セイロン占領

 

 海の自由という思想は、アルプケルケがマラッカ海峡を占領してから認知されるようになった。その考えを受け継いだのが制海権をもった海洋帝国イギリスであり、第二次世界大戦後は制空権を握った空の帝国アメリカへと変遷していった。そして現在は情報支配の時代になっている。

 500年間のマラッカ海峡は、アラビア、ポルトガル、オランダ人、イギリス、アメリカと5回覇権が変わっていった。昭和17年2月の日本軍によるシンガポール陥落でやっと、インド洋と太平洋を結ぶ海の要衝マラッカ海峡はアジア人の手に戻ってきた。

 

1770年ジェームス・クックがオーストラリアに英国の国旗を建てた後、ヨーロッパに悪行が伝わりにくいことを良いことにして、土民を殲滅するなどあくどいことをやり続けた。そして、次にオーストラリアとカナダを結ぶ太平洋上の島々の占領をおこない、海底ケーブルを敷設した。(1853年ノーフォーク、1874年フィジー、1888年ファンニング、1889年フェニックス、1892年エリス)

 後のABCD包囲網の原型が整ってきたのである。

 一方アメリカは、米西戦争に勝利した後、ハワイ~ミッドウェー~グアム~フィリッピン、アラスカ~アリューシャン列島、南方ではサモア諸島を占領し、イギリスと太平洋上で衝突することになる。

 

 第一次世界大戦時に、日本海軍は、イギリスを支援するためオーストラリアおよびニュージランドから地中海に向かうANZACの軍艦をドイツ潜水艦から護衛する役割を担った。太平洋、インド洋、大西洋と広大な海上ルートの安全を確保したのである。

 地中海ではイギリス輸送船を護衛して沈没した駆逐艦「榊」乗組員の慰霊碑が今もなおマルタ島に残っている。

 

 参考文献:「大南方地政論」小牧實繁、室賀信夫、「東亜十億人の地理」飯本信之、籠龍良明、「世界新秩序建設と地政學」小牧實繁、「世界史をつくった海賊」竹田いさみ

2018/01/31 に公開