GHQ焚書図書開封 第10回
広島、長崎における自分達の犯した犯罪の影におびえているアメリカ。北朝鮮の核実験が行われたとき、ライス国務長官は、日本が核武装に向かい、アメリカに対して報復をするのではないかと最も恐れた。当時のブッシュ大統領は、日本の核武装化に対して中国が心配しているという発言をするほど狼狽していた。
小さな謝罪(偽善的な謝罪)をして、奴隷、原爆、植民地支配などに関わる国家行為(国家犯罪)は謝罪しない欧米各国。何故か、日本だけが国家的犯罪に謝罪する傾向がある。
ベトナム皇帝咸宜帝(かんぎてい)をアフリカアルジェリアに島流しにし、皇室の権力、永き伝統を潰すため、書物、新聞等で侮蔑し続けたフランス。
侮辱に対し、攘夷派の潘修澄は、抗議内容の冊子をフランス行政官に配布した。内容はドスの効いた迫力ある文章である。
ベトナム戦争を最後まで戦い続けたことからも分かるようにベトナム人は世界有数のプライドの高い、実行力のある尊敬すべき民族である。
フランス帰りの上流階級のベトナム人が、フランスで学んだことをベトナムで実現しようとすることに対しては、徹底した言論弾圧、妨害を行ったフランス総督府。
ヨーロッパ各国は、黒人に対しては寛大だが、黄色人種を忌嫌う傾向がある。第一次世界大戦で植民地の黒人が欧米各国のために血を流したことが原因かも知れない。(33万人のANZAC、モロッコ、チュニジア人がフランスのために血を流した)
植民地インドの土民に対する処遇とベトナムの土民に対する処遇の違いにそれは表れている。
収容所における足を鎖でつながれたベトナム政治犯に対する非人道的的な虐待は目をそむけたくなるほどすさまじいものであった。
蘭印、英印に比べると、フランス人の支配観念が余りにも無慈悲で、不親切で、利己的なフランス人の影の性格を暴露していた。
フランスほど人種差別の激しい国家はない。ごみ収集はチュニジア人、モロッコ人、黒人、不動産屋はベトナム人、アパートの管理人はスペイン人というような労働階層差別社会である。人種差別禁止法ができたのは、人種差別が激しかったからである。それなのに、米独に留学した知識人が米独を批判することはあっても、フランスに留学した文化人、知識人がフランスを批判しないのが不思議である。
日本は、アジア解放と自存自衛を目的に開戦に踏み切ったが、当時の外務官僚の芳澤謙吉、桑島主計を除く、ほとんどの外務官僚は、フランス、イギリス、オランダ大使に赴任する際、各国のアジア植民地の実情をみて赴任していなかった。これが、日本知識人(トップエリート)の欠点といえる。この現場無視の姿勢は今日も受け継がれている。
「いやしくも、東洋平和の確立を明治以降の国策の大原則としていた日本の遣外使臣としては、もう少し東洋の実情を視察して念頭に印し置くの必要があるのではあるまいか」との外務省批判が当時もあった。
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参考文献:『蘭印・仏印史』大江満雄、「牢獄の人々 -印度支那の現実-」アンドレ・ヴィオリス、「蘭印 英印 仏印」井出諦一郎、『GHQ焚書図書開封2 第七章 401~447/790P』西尾幹二