だと思う。
少なくとも他の人から、「普通の人」扱いされる事はまずない。
といって精神異常な訳でもなさそう。
「精神異常って何?」って言われた時、定義に困るけど、考え方は異常かもしれない。
とはいっても、飛行機を乗っ取って突っ込んだり自爆したりするテロリストなどとは違う…(はず?(笑))
何が違うのか…考えてみると「(生?)死観」かもしれない。
私の特徴は「死を悪しき物と見ない」という事に尽きると思う。
うちの実家は神道なので、『死ぬとおめでとう…』という冗談はよく言ってる(事実ではある)が、自身は神官でもないし、自分の住居には神棚もない。
ネット上でふざけて「§ゞ(-- --)//§ かしこみかしこみ~♪」などという顔文字を使うだけである。
死とは、誰にでも必ず起きる自然現象であって、生まれた以上、必ず死ぬ事は至極当然の事。
男の子が声変わりし、女の子に初潮があり…生きている人は必ず死ぬ、当然の事なのに、誰もが死を忌み嫌っている。
『それはおかしい』と思う部分が多分、他の人と決定的に違う所じゃないかと思う。
今の社会は「死を許さない」という特徴がある。医療も行政もそう。
例外は「保険会社と結託し、
社員に保険金を内緒でかけて酷使し、過労死させて保険金で設ける」などという、まるで保険金殺人まがいのことまでやらかす大企業くらいだろう。
医療は病気を治すのが仕事なので死なれちゃ困るのだろうし、行政も死なれては税金が取れなくなるから当然だろう。だから、「死とは怖い物である」という先入観を植え付けるような教育をするのかもしれない。
都合のいいものだ。戦争中は「お国の為に死ね」と教育していた分際で…。
もっとも、行政では「
人間も働けなくなったら死んでいただくと助かる」などと言った大臣もいたけど。
あ、見事に脱線。
元に戻して、こういった『政治・経済によって無理やり生かされる生活』が今一般に広まっているのが『私から見て不自然な生死観』の根源ではないかと思う。
昔は三世代が同居し、通常は年老いた者から死に、家族はそれを見て自分の将来像を描いていたはずだが、今は、死ぬのは普通は病院であり、家で看取るのは非常に特殊なケースとなった。
行政は核家族政策・持ち家政策を推し進めた結果、若い子供たちは家を離れて「ウサギ小屋」という家を持ち、年寄りは自宅で死ぬ場合は孤独死である。
こういう状況下でやたらと死を忌み嫌うのはある意味、当然のなりゆきなのかもしれない。
こうして日本人は滅びるのではないだろうか。
で、私の望みは、一日も早い苦痛、動かない身体からの開放であり、その選択肢の中に「死」があるだけの事である。(駄文)