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知らないことや気になることをいろいろと調べて記録していきます
 




世界歴代で最も売れた(売れている)コンピュータゲームソフトはWii Sportsで、全世界で8000万本を越えているという。Wiiスポーツは海外ではWii本体に同梱されていることもあるが、他にもスーパーマリオブラザーズが4000万本、マリオカートWii、ポケットモンスターなどが3000万本を越えるなどベストセラーソフトの売上は桁違いだ。今後はダウンロードソフトが主流となって、更に大きな売上を記録するゲームが出てくることだろう。

さて、現在のビデオゲーム産業の産みの親はアメリカ人の発明家であるラルフ・ベアである。ベアが1972年に開発・発売した「オデッセイ」が家庭用ゲームの元祖だ。
ベアは思いついた事は全てメモをとる癖があり、1966年8月にバス停で書かれたメモには「テレビで見たくもない番組に対応するにはどうしたらいいか。テレビをゲームに使えばよい」とあり、ここからゲーム作りが始まったという。
2006年、家庭用ゲーム機を発明しテレビゲーム業界を生み出したとしてアメリカ国家技術賞を受賞している。90歳を超えた現在も現役の発明家だというから素晴らしい。





もう少し時計の針を戻すと、歴史に名を残す3つのゲームの存在を知ることができる。そしてこれらはどのようなゲームだったのか確認することができる。

まず1952年にケンブリッジ大学の大学院生だったアレキサンダー・サンディ・ダグラスが、初期のコンピュータであるEDSAC(エドサック、Electronic Delay Storage Automatic Calculator)向けにディスプレイ画面を介してコンピュータと対戦する三目並べの 「OXO」 を作成した。「OXO」はいわゆる○×ゲームで、英語では"tic-tac-toe"と呼ばれる。
これはゲーム画面の記録が残っている初のビデオゲームだ。しかしまだコンピュータの黎明期で、またEDSACは量産されたコンピュータではないため、このプログラムは他の場所やコンピュータには広がらず一般人が遊ぶ事ができるものではなかった。
現在The Edsac Simulator が公開されており、このゲームも楽しむことができる。

The Edsac Simulator
http://www.dcs.warwick.ac.uk/~edsac/



次に1958年にアメリカの原爆開発協力機関の一つであるブルックヘブン国立研究所のウィリアム・ヒギンボーサムが、アナログコンピュータとオシロスコープを用いて「Tennis for Two」を製作した。これは一般人がプレイしたことが世界初のコンピュータゲームと言われている。
ヒギンボーサムはブルックヘブン国立研究所の計測器部門責任者で、日本に落とされた原子爆弾の計画である「マンハッタン計画」にも関わり、レーダーシステムの改良を担当していた。
原子力研究の安全性を地元住民にアピールするために毎年研究所を一般公開していたのだが、機材や写真だけでは退屈だったため、楽しんで理解してもらうためにこのゲームを製作し、展示会に来た見学者に実際遊んでもらったそうだ。



ゲームは大評判となり、何時間も並ぶ人が出た程だったが、後に別の研究に使う為に解体されてしまったそうだ。ヒギンボーサムも「Tennis for Two」については特許を主張する事がなく、継続しようとする者やゲームビジネスに使おうとする者も現れず、「Tennis for Two」の存在は長年埋もれたままになった。
20年以上を経て1982年にビデオゲームに関する裁判でヒギンボーサム自身が証言したのが再度脚光を浴びるきっかけになり、また世界初のゲーム歴史研究家と言われるデビッド·H·アハラルがコンピュータ雑誌に記事を載せた事で、広く知られるようになった。

1962年になると、マサチューセッツ工科大学の学生であったスティーブ・ラッセルが、PDP-1 (Programmed Data Processor-1、DEC社のPDPシリーズの最初のコンピュータ) 向けに「スペースウォー!」(Spacewar!)を開発した。これは宇宙戦争をモチーフとした対戦型コンピューターゲームで、これが世界初のシューティングゲームとされている。



前年の1961年夏にDECからMITのコンピュータ室にPDP-1が贈られ、これをもとにラッセルは年次科学セミナーの為に製作したゲームで、その後大評判となった。
「スペースウォー!」はパブリックドメインソフトウェアとして「コピー・改造自由」とされ、プログラムが書かれた鑽孔紙テープはPDP-1のすぐ隣に置かれ、勝手に持ち出し可能だった。そのため全米に約50ヶ所あったPDP-1に広がり、各地でミサイル・太陽・ダメージ・複数戦闘などに独自の改造が行われた。

極めて高度なゲームに親しんでいる現代の我々からすると、どのゲームも退屈に映ってしまうが、全ての技術は段階的に発展していくものであることを改めて認識する。特にコンピュータゲームは高度化や多様化が著しく、短期間で一大産業にまで発展したという点で目を見張るものがある。小さい頃に遊んだゲームが歴史になっていくのは感慨深いものだ。



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