夏になると毎年のように史上最高気温記録更新というニュースを耳にする。 近年の夏の暑さは異常であり、「昔はもっと過ごしやすかったな」 とつくづく思う。
しかし、史上最高気温記録更新というのは観測史上のものである。観測開始の時期は観測所によって異なり、地方のアメダス観測所などは1970年代以降に設置されたものも多くあり、「観測史上初」と言っても数十年の記録に基づく場合もある。
また、必ずしも「昔は涼しかったが、時代と共に気温が上昇を続けてきた」というわけではない。
桁違いに古い時代となるが、恐竜が繁栄していた白亜紀中期 (約1億年前) は、地球全体の平均気温は現在よりも約6〜8℃高かったと推定されている。
カラパイア 9000万年前、南極は緑豊かな森に覆われていた可能性が示唆される(国際研究)
https://karapaia.com/archives/52290091.html太古の昔から、地球の極地、南極は氷に閉ざされた極寒の地とされていた。しかし本当にずっとそうだったのだろうか?
実はそうではないらしい。最近の研究によると、およそ9000万年前の白亜紀中期は、南極の年間平均気温が12℃前後もあり、緑の森が生い茂る温帯雨林だった可能性があるという。
この時代、大気中の二酸化炭素(CO2)は非常に濃厚で、地球の気温はかなり暑かった。極地の氷床は溶けてしまい、海面は現在よりも170メートルも高かったそうだ。また約5500万年前の 「暁新世–始新世境界温暖極大期(Paleocene–Eocene Thermal Maximum, PETM) は約20万年続いた急激な温暖化であり、平均気温が5〜8℃上昇したと推定されている。北極圏でワニの化石が見つかるなど、極地まで温暖だったことがようだ。
暁新世-始新世温暖化極大
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%81%E6%96%B0%E4%B8%96-%E5%A7%8B%E6%96%B0%E4%B8%96%E6%B8%A9%E6%9A%96%E5%8C%96%E6%A5%B5%E5%A4%A7暁新世-始新世温暖化極大(ぎょうしんせい-ししんせいおんだんかきょくだい)は、数千年あるいはそれ以下の短期間で進行したと推定されている、約5500万年前に起きた急速な全球的温暖化現象。新生代に発生した温暖化現象では史上最大規模のものである。全球の平均気温が5~9℃上昇したほか、炭素同位体比が大きく低下し、海洋の炭酸塩の溶解による海洋酸性化も発生した。また、この出来事は霊長類の進化史にも大きく影響したと見られている。
原因については、以下のようないくつかの有力な説があり、いずれも大量の炭素 (CO₂やメタンなど) の急激な放出が引き金になったと考えられている。
1. メタンハイドレートの融解:海底に蓄積していたメタンハイドレート (氷状のメタン) が、海水温の上昇や地殻変動によって融解し、大気中に大量のメタンが放出され、急激な温暖化を引き起こした
2. 北大西洋の火山活動:グリーンランド周辺での大規模な火山活動により、有機物が熱分解されてCO₂やメタンが放出された
3. インド亜大陸の移動と有機物の酸化:インド亜大陸がアジア大陸に接近する過程で、海底の有機物が隆起・酸化され、大量のCO₂が放出されたこのような古代はともかくとして、縄文時代以降の日本でも現代並みに暑かった時代がある。日本の長期的な気温変化に関して以下のような研究がされている。
NPO法人 国際環境経済研究所 日本の気温推移と異常気象
https://ieei.or.jp/2020/10/expl201012/気候は太陽活動に支配されていることが明らかになっています。
日本の縄文時代は完新世最温暖期にあたり、気温は現在より2°Cほど高く温暖で湿潤な気候でした。海面は今より3-5メートルも高く、縄文海進と呼ばれるように海岸線は内陸部に大きく食い込んでいました。
縄文時代に続く弥生時代は気温が低下し飛鳥時代は寒冷でしたが、奈良時代に入ると温暖化が始まりました。
794年に平安京に遷都した平安時代は、中世温暖期と呼ばれる安定した暖かい気候でしたが、一時的な寒冷化も起きました。
室町時代、鎌倉時代を経て江戸時代に入ると太陽活動低下による寒冷期となりました。読売新聞 2018年10月11日 今とそっくり?猛暑、豪雨、台風に怯えたあの時代
https://www.yomiuri.co.jp/column/japanesehistory/20220401-OYT8T50040/縄文時代以降の寒暖の傾向を示すと、図のようになる。時代をさかのぼるほど推定は難しいが、有史以来では奈良時代から鎌倉時代前期までは一時期を除いて暖かい時代が続いていた。世界的に8~13世紀は「中世温暖期」とされており、傾向はほぼ一致する。

このように平安時代は気温が高かったと言われている。
歴史に残る平安時代の偉人たち 現代に匹敵する暑さ?!平安時代の気温について
https://heian-heroes.com/feature/heian-era-temperature/平安時代の頃、地球は「中世温暖期」となっていました。中世温暖期とは、気象学で使われる言葉で、世界的に気候が温暖だった時期を指します。
具体的な年数でいうと800年~1300年の間。このときは、世界的に見ても比較的、気温が高かったといわれています。そもそも地球の気候は、寒冷期と温暖期が定期的に繰り返されます。平安時代はちょうど、このサイクルのうち温暖期の時代だったようです。
そのため、平安時代の頃は気温が高め。実際、『気候の語る日本の歴史』では、宮中で行なわれた花見の時間帯から、平安時代の気温は高かったのではないかという見解が出されています。ほかにも木の年輪からこの時代の気温は高かったという研究結果もあります。
また、現代の科学をもって調べてみると、平安時代のときには30度を超える真夏日が多い時期があったとも。これらのことから平安時代の人々は暑さに苦しむことが多かったのではないかといわれています。
平安時代、貴族たちが住む家屋は寝殿造りが一般的でした。この寝殿造りの特徴といえるのが、壁がなく吹き抜けになっているところ。室外と室内を遮るものは廂と屏風ぐらい。今の家のように壁がないため、とても風通しがよいなかで生活を送っていました。平安時代の貴族たちは、このような開放的な空間によって暑さを凌いでいたと考えられています。
また、この時代、貴族たちの住宅には庭に池がつくられることが一般的でした。風流を楽しむためという目的もあったと思いますが、貴族たちはこの池の空気を風によって室内に入れることで体感温度を下げ、暑さを和らげていたともいわれています。

上記にもあるとおり、地球の気候が寒冷期と温暖期が定期的に繰り返されるのであれば、産業革命に端を発する温暖化、そして21世紀に入ってからの極端な温暖化もいつかは収束するはずである。しかし現在の状況を考えると夏が寒冷化に転ずることという考えが浮かばない。
世界の国や人々が高い意識とともに、CO₂やメタンの放出を押さえるという地道な努力が必要なようだ。