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大相撲は白鵬が全盛期を迎えている。昨年は年間86勝を記録するなど、過去の大横綱にも引けを取らない活躍だ。
さて白鵬は第69代横綱である。横綱を新しい順に遡ると、朝青龍、武蔵丸、若乃花、貴乃花...となる。そして初代まで遡ると明石志賀之助という名前を目にする。

明石志賀之助
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E7%9F%B3%E5%BF%97%E8%B3%80%E4%B9%8B%E5%8A%A9

明石志賀之助(あかし しがのすけ、生没年不詳)は、江戸時代前期に存在したとされる、日本相撲協会が初代横綱に認定している力士である。活躍期間は寛永年間【1624年(寛永元年) - 1644年(正保元年)】とされる。
従来の力技だけでなく相撲の技に関して研究し、基本となる四十八手の技を考案した人物だとも云われる。
宇都宮の出身で、宇都宮藩士・山内典膳の子で幼名は鹿之介と云われているが詳細は不明。身長は八尺三寸(約251.5cm)、体重は185kgあったと言われる。又、上総国久留里城下(現在千葉県君津市)の生まれという説も存在する。
江戸、京、長崎を始め、諸国で相撲を取り抜群の強さを誇った。京に上って大関・仁王仁太夫を倒し、朝廷から「日下開山」の称号を受けたとされ、これをもって初代横綱とされる。実在の人物ではないともされ講談師が生み出した架空の人物、あるいは2人以上の明石という力士が混同されたものとも言われている。


251.5cm(218cmという説もあり)というのは歴代力士の中で最も高い身長である。この点を含めてその存在は極めて疑わしい。Webで確認できる範囲でいくつか見てみよう。

「横綱」について 初代横綱?明石
http://www.ep.sci.hokudai.ac.jp/~tsubota/yokok/yokoki02.html

相撲協会は初代の横綱を明石志賀之助としている。しかしこれは陣幕が横綱力士碑建立の折に配布した横綱一覧表に昭和になってから便乗したに過ぎない。また、吉田司家も同様に昭和になってからこの一覧表に乗っかった。
それでは明石志賀之助を初代の横綱とする謂れは何か。陣幕が明石を初代にしたのは、講談で「時は寛永元年(1624) 3月31日、四谷笹寺に於て晴天 6日の興行、これぞ勧進相撲の始まり、又番附が出来たのも此時が最初で御座います」と仰々しく始まるものがあり、伝承として広く伝わっており、日下開山と称されたと伝えられるところからきたものであろう。しかし日下開山は元来横綱を指すものではないのであるから、根拠は潰れてしまう。
また、彦山光三氏は「明石以前には信ずるに足る記録が残っていないし、また、明石は、江戸時代初期における勧進相撲に出場した勧進方力士(これを元方または本方と言い、相手方は寄方と言う・筆者註)のなかで横綱を許された最初の人間だから、一応始祖としたが、明石志賀之助以前に絶対横綱がいなかったとはいえない」と言った。これも日下開山=横綱ではないという点からしてボツとなる。
明石以前云々に関しても、勧進相撲の制度整わぬうちから「強豪大関」若しくは「功労大関」に与えられたものと思われる「横綱」を許すということが無理であろうと思われる。
また、明石=勧進相撲の祖というのも奇怪な話で、勧進相撲が文献に出たのは15世紀の「看聞日記」が最初である。従って明石が勧進相撲の祖であるという「化けの皮」も剥がれることになる。


横綱伝 初代~3代
http://www.ep.sci.hokudai.ac.jp/~tsubota/yokoduna/y01.html

存在したかも分からない怪力士、そもそも想像上の力士ではなかろうかとさえ思われる初代横綱明石志賀之助、その生没年も成績も、一切不明。本名山内志賀之助、栃木県宇都宮市の生まれというのが俗説となっているが、奥平藩藩士だった山内主膳の子という異説もあり、諸説紛々。
正徳 4年(1714)の「相撲家伝鈔」に記事があり、その後宝暦13年(1763)に出た「古今相撲大全」には、寛永元年(1624)に江戸四谷塩町で勧進相撲が初めて行われた時に出場したと書かれている。寛文云々は、喜多村信節(のぶよ)が文政13年(1830)に出した「画証録」の中で推定したものであるが、逆に「明石は講談師が生んだ出鱈目の産物」という(常識的な)解釈もあれば、「伝説の明石は 2人以上の実在した明石の融合体ではないか」という説さえ出る。
「相撲鬼拳」には「明石志賀之助と申す関取、高の有し、日下開山とは是なり、勝つ人なし」とされているとはいえ、これをもって「実在の力士・明石」を証拠立てるには弱すぎる。「日下開山」とは現在では「横綱」とほぼ同じ意味で使われているが、本来は「天下一の力士」というほどの意味であり、さらに遡れば「開祖」の意である。
講談で有名であり、日本の相撲の開祖という言われ方をするが、謎という闇に包まれた力士である。身の丈 7尺 2寸( 218cm)ともいわれるが信じ難い。


私は専門家ではないのであまり詳しいことに踏み込もうとは思わないが、400年近く前のことなので明確な記録がないのは当然だ。
残念なのは日本相撲協会がこの初代横綱について詳しい解説をしていないことで、両国国技館にある相撲博物館を訪問しても明石志賀之助についてはほとんど何もわからなかった。明石志賀之助は日本相撲協会にとってもいろいろな意味で難しい存在なのかもしれない。

一方で、明石志賀之助の出身地とされる宇都宮では、2007年に石像が建立されている。



石のやたべ 初代横綱 明石志賀之助 石像建立記念事業
http://www.yatabesekizai.com/topic001.html


さらに、大胆にも「明石志賀之助杯」という少年相撲大会も行われているようだ。

石のやたべ 第1回少年相撲大会
http://www.yatabesekizai.com/topic002.html

横綱は神に近い存在と言われるが、その中でも存在が謎という点で神格性が高められているのが初代横綱・明石志賀之助と言えるだろう。相撲の歴史は奥が深い。



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