
南米エクアドルとベネズエラを旅した。最大の目的地はエンジェル・フォールだ。
ベネズエラの首都カラカスから夜行バスでシウダー・ボリーバルへ行き(8時間)、そこからセスナでカナイマへ飛び(1時間)、さらにボート(計4時間)、ジャングルの徒歩(1時間)と、とにかくたどり着くのが大変だったが、落差979mの滝の雄大な姿は言葉では表現しきれない。
さて、南米のアンデス諸国を旅した際に必ず耳にする人物はシモン・ボリーバルだ。
例えば、ボリビアの国名はシモン・ボリーバルの名が由来だし、ベネズエラは多くの街の中心はボリーバル広場だし、カラカスの空港はシモン・ボリーバル空港だ。
またベネズエラは通過もボリーバル(Bs.)で、そもそもベネズエラの正式国名は1999年から「ベネズエラ・ボリバル共和国」に改称されている。
いい機会なので、改めて解放者シモン・ボリーバルについて調べてみた。
シモン・ボリーバル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%AA%E3%83%90%E3%83%AB
*** Simon Bolivar ***
http://www2.gol.com/users/mikiyo/venezuela/simon/simon.htm
彼は1783年、カラカスの裕福な貴族の家に生まれた.両親を早くに無くしたが乳母のイポンテ、家庭教師のシモン・ロドリゲスの深い愛情によって育てられた.15歳の時に軍に入り少尉となる.
その後、学問の為にスペインにわたり、後に妻となるマリア・テレサ・ロドリゲスと出会う. 1802年にフランスへ渡り啓蒙思想に心酔.その後、再びスペインに戻りマリア・テレサと結婚する.しかし、幸せは長く続かなかった.
1年後に最愛の妻が死亡.本人の告白によればこの妻は死が転機となり、祖国解放の独立運動に身を投げることになったという.
1806年、ミランダ将軍のベネズエラ独立運動が失敗しかけているときにベネズエラに戻る.この時より、シモン・ボリバルを核とする運動が開始されることとなった.一度は国外追放になったものの、1811年7月5日にベネズエラの独立宣言が行われ、これより中南米の独立戦争が本格化していった.しかし、諸州の戦いで解放軍はスペイン軍に敗れ、一時キューバへ避難することを余儀なくされる.
ボリバルはその後コロンビアに赴き、自ら剣を取りヌエバ・グラナダ独立政府を築いた.この間ベネズエラはまだスペインの手中にあったが、1813年ヌエバ・グラナダよりベネズエラ侵攻を開始し、同年8月カラカスに入り、ベネズエラ共和国復活を宣言し、大統領に任じられた.
1815年、スペインはヌエバ・グラナダ鎮圧の為軍隊を派遣、ボリバルの軍隊は敗れ、暫くの間ハイチ等で身を潜めて計画を練り直すことになる.
1819年、再度コロンビアに赴いたボリバルは8月のボヤカの戦いでスペイン軍を破り、同年12月スペイン軍との講和後自らの提唱でエクアドル、コロンビア、ベネズエラが合併して出来たグラン・コロンビア共和国を樹立した.
その後、ベネズエラに引き返し、1821年カラボボの戦いで勝利を収めベネズエラの自由を決定的なものにした。翌年ボンボナの戦いにも勝利. 一方、ボリバルの部下のスクレも1822年エクアドルで自由を勝ち取った.
その後、ボリバルはペルーを独立に導いたパンパの戦い、アヤクーチョの戦いでも勝利した.しかし後年彼は部下達の裏切りに合う事になる. 広大なグラン・コロンビアは各国の政治家の利害対立の場と化してしまった.
この頃から胸の病いかかり、結局失意の内にコロンビアのサンタ・マルタでシモン・ボリバルは1830年に他界した.享年47歳.彼の遺骸は12年後の 1842年に故郷のベネズエラに戻ることになり、現在国立霊廟(パンテオン・ナシオナル)に眠っている.
シモン・ボリーバルがすごいのは、ベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビアという複数の国の解放者であることだ。しかもコロンビアから独立したパナマを加えると6ヶ国に及ぶ。
Wikipediaで「国民の父」を調べてみると、世界各国で「祖国の父」「建国の父」「独立の父」などと呼ばれている人物の一覧が出てくる。(これはすごい)
国民の父
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E3%81%AE%E7%88%B6
ここで見ても複数の国の「国民の父」というのはいないようだ。ここまでの偉人なら通りの名前はもちろん、2つの国の国名になっても全くおかしくはない。
しかし通貨まで「ボリーバル」にしてしまうのはどうか。事実として「ボリーバル弱含み」「ボリーバル、デノミ実施(2008/1/1)」では、偉大な解放者が浮かばれない。
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