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知らないことや気になることをいろいろと調べて記録していきます
 




このブログは性質上過去のことを調べて記載することが多いので、事実が覆ることは基本的にないはずなのだが、2010年12月に調べた「エノキアン協会」の内容は2011年の間に変更が生じた。

「エノキアン協会のメンバーである「法師」(有限会社善吾楼)は石川県粟津温泉の旅館で創業は718年。現存する世界最古の宿泊施設としてギネス認定されており、エノキアン協会の中でも最古の企業である。」という記事を書いたのだが、2011年に山梨県・甲州西山温泉の慶雲館が「法師」に替わって世界で最も歴史のある旅館としてギネスブックに認定された。
慶雲館のホームページによるとは同旅館は705年創業とされており、創業者一族が経営を続ける現存企業としても世界最古だそうだ。そうするとエノキアン協会の加入資格 (1. 創業以来200年以上の社史を持っていること 2. 創業者の子孫が現在でも経営者、もしくは役員であること 3. 家族が会社のオーナーもしくは筆頭株主であること 4. 現在でも健全経営を維持していること) も満たしていると思われるので、こちらの動きもあるかもしれない。

山梨県早川町 源泉掛け流しの宿 甲州西山温泉 慶雲館
http://www.keiunkan.co.jp/




但し、実際は世界最古の宿泊施設というのは特定が難しく、慶雲館(当事者705年?)、法師(718年?)、そして城崎温泉・古まん(717年?) の3つの温泉宿が世界のトップ3であることは間違いないようだが、開湯の時期の信憑性が低く確かなことはわからないそうだ。

また、この3旅館はWikipedia 英語版の「List of oldest companies」という記事によると、世界最古の宿泊施設というだけでなく、世界最古の企業トップ3でもある。

http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_oldest_companies

世界最古の企業は金剛組 (578年創業・寺社建設) として広く認知されているので、このリストには疑問符がつくのだが、おそらく同社が 2006年1月をもって1400年を超える企業としての経営体制が終わったことから、現存する企業として認めていないものと思われる。
リストにおける創業の考え方や、最古・最長などの定義によって扱いが違うのだろうが、金剛組が無条件で世界最古の企業とならないのは何とももったいない話だ。

金剛組
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%89%9B%E7%B5%84

金剛組 我々の歴史
http://www.kongogumi.co.jp/enkaku.html



578年、四天王寺(現在の大阪府)建立のため聖徳太子によって百済より招かれた3人の宮大工のうちの1人である金剛重光により創業。江戸時代に至るまで四天王寺お抱えの宮大工となる。
2005年11月1日、松建設が全額出資した新・金剛組が設立される。
2006年1月16日、新・金剛組へ営業権を譲渡すると共に従業員の大半を移籍。旧・金剛組は不動産部門のみを残して、株式会社ケージー建設に商号を変更。1400年を超える金剛家による経営体制が事実上幕を閉じた。ケージー建設は6月23日付で解散。7月13日、ケージー建設が大阪地方裁判所へ自己破産を申請。同26日、破産手続開始決定。


一方で、帝国データバンクや東京商工リサーチのデータによると、金剛組に次いで古い企業として、9年遅れて587年に創業した「財団法人池坊華道会」を挙げている。

帝国データバンク 特別企画: 創業100年以上の「長寿企業」実態調査(京都) 2010/9/15
http://www.tdb.co.jp/report/watching/press/pdf/s100902_50.pdf

東京商工リサーチ 特別企画:全国創業100年超え企業の実態調査 2010/10/21
http://www.tsr-net.co.jp/news/analysis/2009/1199565_1623.html

しかしこれは明らかに実態とは異なるようだ。池坊華道会のホームページを参照すると「2012年、池坊は歴史に刻まれて550年」と出てくるのだから、ちょっとずっこけてしまう。

2012年 いけばな池坊550年祭
http://www.ikenobo.jp/ikenobo550/index.html

およそ、1400年前。京都の中心に聖徳太子が創建したと伝えられる西国巡礼第18番札所 六角堂。古来より大勢の方が救いを求めて参拝されました。750回忌を迎える親鸞聖人もその一人でした。その六角堂の池のほとりに住いする僧侶が朝夕に仏前に花を献じていました。その僧侶はしだいに「池坊」と呼ばれるようになり、六角堂からいけばなが広まっていきました。
そして1462年に「池坊専慶(せんけい)」が"花の名手"として歴史上の文献『碧山日録』(へきざんにちろく)に登場しました。


池坊 いけばなの歴史
http://www.ikenobo.jp/ikebanaikenobo/history/index.html

いけばな発祥の地とされる六角堂の創建は、聖徳太子が用明天皇2年(587)四天王寺建立のための用材を求めてこの地に至られた時、霊夢によってここに六角の御堂を建て、自らの護持仏を安置されたと伝えられています。六角堂の北面は、太子が沐浴された池の跡と伝えるところで、この池のほとりに小野妹子を始祖と伝える僧侶の住坊があったので「池坊」と呼ばれるようになりました。池坊の祖先は、朝夕宝前に花を供えてきましたが、ついには代々いけばなの名手として知られるようになりました。
14世紀から15世紀に移る頃には、新しい住宅様式─書院造が生まれ、いけばなの起源となる挿花が現れ、わたくしたちが軸をかけ、花を飾る床の間の原型と言われる押板が、つくられるようになりました。このころ池坊専慶が挿した挿花を人々が競ってみた、あるいは、京都御所で池坊がたびたび花を立てたという記録が残されています。




このように587年はいけばな発祥の地である六角堂の創建であり、そこにいけばな起源があるとはいえ池坊の創業年とするにはさすがに無理がありそうだ。とはいえ、もしかしたらその証明をする資料があるのかもしれない。
このように見ていくと、1000年を超えるような歴史を持つような企業はその創業を特定することが難しいようで、世界最古の企業のトップ・上位はまだまだ動きがあるかもしれない。定期的にウォッチしてみようと思う。



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