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知らないことや気になることをいろいろと調べて記録していきます
 




歴代の東京優駿(日本ダービー)優勝馬をほとんど空で言える私にとって、「第1回(1932年・ワカタカ)と第2回(1933年・カブトヤマ)は目黒競馬場で行われた」というのはほとんど常識である。目黒競馬場についても元競馬場前というバス停があり、そこに記念碑が建てられてることや、コースの名残が残る道路があること程度は知っていた。また「日本ダービー史」というビデオも持っているので、目黒競馬場の映像も何度か目にしていた。

ここでふと「目黒競馬場はどのようなコースだったのか」という点を解明して、その跡地を巡ってみたくなり、改めて第1回と第2回東京優駿の映像を詳しく見てみた。(You Tubeに第1回の動画は投稿されていた)



内馬場からカメラを回しての映像で(当然だが)鮮明とは言えないが、①右回りであること、②2400mのレースは向こう正面発走であること、③比較的直線が長いこと、がわかる。

更にいくつか調べていくと、当時の競馬場の位置関係を示す資料や、競馬場想像マップなどが見つかった。

目黒区役所 「歴史を訪ねて 目黒競馬場2」
http://www.city.meguro.tokyo.jp/gyosei/shokai_rekishi/konnamachi/michi/rekishi/tobu/keiba2/index.html

SUBSTAITON社 「目黒競馬場想像マップ」
http://www.substation.co.jp/info/substa_map.html

旧道行脚 「古地図に残った競馬場巡り」
http://www.geocities.jp/kikuuj/keiba/meguro/meguro.htm

「下目黒1907/2007」
http://news.before-and-afterimages.jp/C1884801429/E20070222175951/index.html


これらの情報を元に目黒競馬場跡巡りに出た。
まずは元競馬場前バス停の前にある記念碑からスタートし、スタンドがあったあたりを通って、現在も名残が残る1コーナーから2コーナーの道路を通った。このあたりは確かに競馬場を連想させるカーブになっている。
向こう正面だったと思われる直線へ出て暫く行くと「さくらの里まちかど公園」があり、ここの桜は目黒競馬場のものと言われているそうだ。そしてこのあたりが2400mのスタート地点だったと思われる。
さらに3コーナーに位置する不動小学校を超えて、区立四中あたりの4コーナーを経て、ジブチ共和国大使館あたりと思われるゴールまで歩いた。


1コーナーから2コーナーに向かう道路


向こう正面


さくらの里まちかど公園 目黒競馬場のものと言われる桜


3コーナー付近の案内碑


実際に歩いた感じとしては、1周は1600m程度。ホームストレートとバックストレッチが長く、地図で計測すると600mほどある。その分1~2コーナー、3~4コーナーは短い。即ち細長い楕円コースのようである。またゴールの正確な位置がわからないがので定かではないが、直線は450mほどあったと思われる。なかなかのコースだが、このカーブのきつさではさすがにその後の競馬には対応できなかっただろう。

このようにかすかな面影を頼りにかつて存在した競馬場を巡るのはなかなか楽しい。浅野靖典氏の「廃競馬場巡礼」という本を買って旅をしたくなった。ここのところ競馬場から足が遠ざかっているが、次に行くのも競馬場跡になりそうだ。



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