サッカーJリーグが1993年に開始 (発足は1992年) された当時のチームは、いつしか「オリジナル10」と呼ばれるようになった。
私が大ファンだった横浜フリューゲルスは消滅 (統合) してしまい、現存するのは9チームである。2024年シーズンでは鹿島アントラーズ、浦和レッドダイヤモンズ、東京ヴェルディ (当時は川崎)、横浜Fマリノス (当時はマリノス)、名古屋グランパスエイト、ガンバ大阪、サンフレッチェ広島がJ1、ジェフユナイテッド市原・千葉 (当時は市原)、清水エスパルスがJ2で戦っている。
30年の歴史の中でリーグの勢力図は常に変化しているが、やはりオリジナル10の存在感は強い。
それでは世界最古のリーグであるイングランドのイングリッシュ・フットボールリーグの「オリジナル」は、その後どのような道を歩んでいったかを見ていこう。
English Football League / History
https://en.wikipedia.org/wiki/English_Football_League#History
(翻訳・編集) 1880年代初頭は、多くのクラブがチームの競争力を高めるためにプロ選手への対価を支払うことが行われており、アマチュアサッカー協会の規約の法律を守っているクラブはそれを軽蔑していた。
長い議論を経てイギリスのサッカー協会は1885年7月20日にプロ化を許可した。そして、多くのクラブがプロになるにつれて、安定した収入を確保する方法が検討されるようになった。
1888年3月22日、バーミンガムを本拠地とするアストン・ヴィラのスコットランド人ディレクター、ウィリアム・マグレガー (William McGregor)は、いくつかのクラブ宛てに手紙を書き、リーグ戦の創設を提案した。このアイデアは、1887年にイギリスのメディアで発表された。
このリーグは単に「Football League」と称された。参加チームは以下の12チームであり、これらが「オリジナル12」となる。
ランカシャー地方チーム
アクリントン (Accrington FC) ランカシャー州 アクリントン 1876年創設
ブラックバーン・ローヴァーズ (Blackburn Rovers FC) ランカシャー州 ブラックバーン 1875年創設
バーンリー (Burnley FC) ランカシャー州 バーンリー 1882年創設
ボルトン・ワンダラーズ (Bolton Wanderers FC) グレーター・マンチェスター州 ボルトン 1874年創設
エヴァートン (Everton FC) リヴァプール 1878年創設
プレストン・ノースエンド (Preston North End FC)ランカシャー州 プレストン 1880年創設
ミッドランド地方チーム
アストン・ヴィラ (Aston Villa FC) ウェスト・ミッドランズ州 バーミンガム 1874年創設
ダービー・カウンティ (Derby County FC) ダービー 1884年創設
ノッツ・カウンティ (Notts County FC) ノッティンガム 1862年創設
ストーク (Stoke FC) ストーク=オン=トレント 1863年創設
ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン (West Bromwich Albion FC) ウェスト・ミッドランズ州 ウェスト・ブロムウィッチ 1878年創設
ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズ (Wolverhampton Wanderers FC) ウェスト・ミッドランズ州 ウルヴァーハンプトン 1877年創設
「オリジナル12」にロンドンのチームはない。ランカシャー地方やミッドランド地方のチームが多いのは、18世紀から19世紀にかけての産業革命において、同地方が重要な地域であったことを表している。
そして最初の1888-89シーズンのリーグ戦が1888年9月8日から翌春にかけて行われた。各クラブはホームとアウェーで22試合を戦い、勝利で勝ち点2、引き分けで勝ち点1が与えられた。(但し当初は勝ち数で競うことが想定され、勝ち点制度はシーズンが開始されてから採用された)
そして最初のシーズンの結果は以下のとおりであった。
https://www.worldfootball.net/schedule/eng-premier-league-1888-1889-spieltag/22/
プレストン・ノースエンドが18勝4分と圧倒的な強さを誇り、初代のリーグチャンピオンとなった。同チームはその年のFAカップ (1871年に創設された最古のカップ戦) でも初優勝を果たし、二冠に輝いている。
得点王はプレストン・ノースエンドのジョン・グッドール (John Goodall) で21試合に出場して21点をあげている。
得点ランキング2位もプレストン・ノースエンドのジェームス・ロス (James D. Ross) であり、いかに得点力の秀でたチームだったかがわかる。
その年は降格はなく、翌1889-90シーズンも同じ12チームで行われた。
https://www.worldfootball.net/schedule/eng-premier-league-1889-1890-spieltag/22/
プレストン・ノースエンドが15勝4分3敗で2シーズン連続での優勝を果たした。2位エヴァートンとの勝ち点差は2と混戦のシーズンだった。
最初の2年で3つの国内タイトルを手にしたプレストン・ノースエンドだが、その後1937-38シーズンでFAカップを獲得したものの長く低迷し、現在はEFLチャンピオンシップ (最上位であるプレミアリーグの一つ下のディビジョンで実質2部) に所属している。
さて、イングランドサッカーのリーグ構成は「サッカーのピラミッド」と称され、トップレベルから下位レベルまで相互連携での再編がされる。当時は自動降格ではなく、Re-electionとして審議や投票がされる形だった。
そして2年連続最下位となったストークは下位のFootball Allianceへ降格となった。
そのストーク (現在はストーク・シティ) も現在EFLチャンピオンシップに所属している。1971-72年のリーグカップで国内タイトルを手にしており、直近では2017~18シーズンまでプレミアリーグに所属していた。
「オリジナル12」の他のチームのその後を見ていこう。
2023-24シーズンでは、4チームが最上位のプレミアリーグに所属している。(ちなみにプラミアリーグの創設は1992-93シーズンで、それまではイングリッシュ・フットボールリーグのディビジョン1が最高位)
その中で最も実績があるのはエヴァートンで、一時低迷し1950年に2部に降格するも、1953年に1部に復帰しその後最上位リーグに所属し続けている。フットボールリーグで9回優勝しているが、プレミアリーグとなってからは優勝がない。2022-23シーズンは17位だった。
アストン・ヴィラは、国際タイトルのUEFAチャンピオンズカップ (現UEFAチャンピオンズリーグ) を1981-82シーズンに獲得している。国内では2016-17から2018-19シーズンは降格したが、現在はプレミアリーグに復帰している。フットボールリーグで7回優勝しているが、プレミアリーグとなってからは優勝がない。2022-23シーズンは7位だった。
ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズは、1950年代にフットボールリーグで3回優勝したが、その後は長らく2部リーグが主戦場で、2013年には3部リーグに降格した。2017年に中国企業に買収されて以降は成績が好転してプレミアリーグに定着している。2022-23シーズンは13位だった。
バーンリーは、フットボールリーグで2回優勝したが、その後長く低迷した。2009-10シーズンで34年ぶりに最上位リーグ復帰し、その後降格と昇格を繰り返している。2022-23シーズンにEFLチャンピオンシップで優勝しプレミアリーグ復帰を決めた。
EFLチャンピオンシップ (実質2部) には2チームが所属している。
ブラックバーン・ローヴァーズは、プレミアリーグに初年度から所属して1994-95シーズンに優勝し、現時点で「オリジナル12」で唯一のプレミアリーグ優勝チームだが、2011-12を最後になかなか復帰できていない。
ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンは、近年はプレミアリーグとチャンピオンシップを行き来するエレベーターチームとなっており、直近では2020-21シーズンをプレミアリーグで戦ったが単年で降格してしまった。
EFLリーグ1 (実質3部) とEFLリーグ2 (実質4部) には3チームが所属している。
ダービー・カウンティは、かつてはプレミアリーグに所属し、2007-08シーズンにプレミアリーグに復帰したが、その後はチャンピオンシップでの戦いが続き、2021-22シーズンで23位でEFLリーグ1への降格となった。
ボルトン・ワンダラーズは、長く低迷の後に2001-02シーズンから2011-12シーズンまでプレミアリーグに所属したが、その後チャンピオンシップ・リーグ1・リーグ2での昇降が続いている。
ノッツ・カウンティは、最後に最高位リーグに所属していたのは1991-92シーズンで、2018-19シーズンはリーグ2で23位となりクラブ史上初めてナショナルリーグ (実質5部) に降格した。2023-24シーズンでリーグ2に復帰している。
そして、アクリントンは早々に解散してしまった。
Accrington F.C.
https://en.wikipedia.org/wiki/Accrington_F.C.
(翻訳・編集) 1888年4月17日にフットボールリーグを結成した当初の12チームの1つだった。アクリントンのベストシーズンは1889-90年の6位だった。しかし、1892-93シーズンは15位 (16チーム中) に終わり、トレントブリッジでの シェフィールド・ユナイテッドとの テストマッチに1-0で敗れ降格した。その後、アクリントンは2部リーグでプレーすることなくリーグを脱退し、フットボールリーグ創設クラブの中でリーグを永久に去る最初のクラブとなった。
ランカシャーリーグでの最初のシーズン終了後、アクリントンはフットボールリーグへの再選を申請したが落選した。クラブは1896年までリーグ外での活動を続けたが、1月14日に行われたランカシャー・シニア・カップのダーウェン戦で12対0の大敗を喫しついに解散した。
日本よりも100年以上長い歴史の中で、各チームがそれぞれに長い歴史を積み重ねてきたことがわかる。
イギリス、そしてヨーロッパにおいてクラブ間の競争はより厳しいものとなっているが、オリジナル12の現存11チームにはいつまでも歴史と伝統を積み重ねてほしい。