当家の墓は、原爆爆心地に近い浦上地区にあり、
両親、兄、姉たち家族が一緒に眠っている。
小学低学年だった頃、祖母に連れられて、
よく墓掃除へ行った。
当家はキリスト教の家系であり、現在は火葬が認められているが、
当時は土葬というのが決まりだった。
だから墓の地面は土であり、草がすぐに生えてくる。
そのため、墓掃除、それは草むしりみたいなものだったが、
これには繁く足を運ばなければならなかったのだ。
母方の墓をそのまま引き継いだようだが、
結構広く立派な墓地だったのではないかと思う。
おそらく、欧米の映画でよく見かける鉄柵を巡らした立派な墓、
あのようなものだったのではないかと思う。
なぜなら、墓掃除へ行った際、石柱に埋め込まれた
ヤリみたいな鉄の棒がぐにゃりと曲がって
何本も残っていたからである。
昭和20年8月9日午前11時2分。
3歳になったばかりであり、原爆投下時の記憶はほとんどない。
わずかに何かがぴかっと光り、ドーンと大きな音がしたな、
と言った程度の、それもうっすらとした記憶である。
墓掃除へ行った時、祖母が言った。
「こん、ひん曲がった鉄の棒は、ピカドンのせいたい」
それを聞き、そしてぐにゃりと曲がった鉄の棒を見て、
原爆というものが、鉄の棒をこんなにも曲げてしまう
ほど力が強いものだと子供ながらに初めて知った。

今朝のテレビニュースを見ていると、
爆心地に建立されている平和祈念像、
それに浦上天主堂のミサの様子が映し出されていた。
教会の鐘の音は、かすかであろうが墓地まで届く。
11時2分、ここ福岡の地から平和への祈りを捧げる。