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Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

8月9日

2021年08月09日 09時44分01秒 | エッセイ

当家の墓は、原爆爆心地に近い浦上地区にあり、
両親、兄、姉たち家族が一緒に眠っている。
小学低学年だった頃、祖母に連れられて、
よく墓掃除へ行った。
当家はキリスト教の家系であり、現在は火葬が認められているが、
当時は土葬というのが決まりだった。
だから墓の地面は土であり、草がすぐに生えてくる。
そのため、墓掃除、それは草むしりみたいなものだったが、
これには繁く足を運ばなければならなかったのだ。


母方の墓をそのまま引き継いだようだが、
結構広く立派な墓地だったのではないかと思う。
おそらく、欧米の映画でよく見かける鉄柵を巡らした立派な墓、
あのようなものだったのではないかと思う。
なぜなら、墓掃除へ行った際、石柱に埋め込まれた
ヤリみたいな鉄の棒がぐにゃりと曲がって
何本も残っていたからである。


昭和20年8月9日午前11時2分。
3歳になったばかりであり、原爆投下時の記憶はほとんどない。
わずかに何かがぴかっと光り、ドーンと大きな音がしたな、
と言った程度の、それもうっすらとした記憶である。
墓掃除へ行った時、祖母が言った。
「こん、ひん曲がった鉄の棒は、ピカドンのせいたい」
それを聞き、そしてぐにゃりと曲がった鉄の棒を見て、
原爆というものが、鉄の棒をこんなにも曲げてしまう
ほど力が強いものだと子供ながらに初めて知った。

                                   

今朝のテレビニュースを見ていると、
爆心地に建立されている平和祈念像、
それに浦上天主堂のミサの様子が映し出されていた。
教会の鐘の音は、かすかであろうが墓地まで届く。
11時2分、ここ福岡の地から平和への祈りを捧げる。