Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

オイルショックと米騒動

2020年03月31日 14時42分42秒 | エッセイ
新型コロナウィルスの感染が全世界へと広がっている。
危機感は増すばかりだ。

トイレットペーパーなど紙類の買いだめは、どうやら落ち着きを取り戻しつつあるが
マスク不足は相変わらずで、ドラッグストアやスーパーでは開店前から長い列ができる。
さらに外出自粛要請が相次ぐと、今度は食料品等の買いだめが起きる。
人の心理は不安へ、不安へと追い立てられる。
                                               
   そうした事態に、70歳以上の人は、おそらく1973(昭和48)年の
   オイルショックを思い起こすだろう。
   あれは、中東の産油国が値上げと生産削減を発表したのが引き金となった。
   これが、エネルギー源として大量の原油を輸入している日本を直撃。
   石油価格はもとより、すべての商品が値上がりし
   「狂乱物価」という言葉さえ生まれた。
   「物がなくなる」と思い込み、買いだめに走った消費者によって

各地でパニックが起きた。
象徴的だったのがトイレットペーパーで
スーパーには長蛇の列ができ、激しい奪い合いさえ起きた。
今度のコロナウィルスにより、マスクがない
トイレットペーパーがスーパーの店頭から消えたなどといった騒動は
「あの時もそうだったな」との思いにさせる。

   ところが、同じ職場で机一つ隔てて座る40歳代半ばの彼は
   「『平成の米騒動』を思い出しますね」と言う。
   『平成の米騒動』と言われてもピンとこない。
   急ぎ調べてみると、こういうことだった。

1993(平成5)年産の米の作柄が、記録的な冷夏や日照不足によって
「著しい不作」となった。
加えて在庫米も少なく、安定供給が難しい状況になった。
それで、米を求めての騒動が起きたというわけだ。
深夜に自宅近くのコンビニで運よくマスクが買えたことで、
この『米騒動』の記憶を呼び覚ましたという。
当時、大学生だった彼は
「緊急輸入された外国産米のまずかったこと」も覚えているそうだ。

   年齢が30余歳も違うと、脳裏に焼き付いている思い出もまた
   それぞれに違ってくる。当然なことであろう。

   一つ言えるのは、命さえ危ぶまれる切迫感
   それがどれほどのものか、その濃淡の違いがあるように思える。

この新型コロナウィルスは、今生きている人にとっては
「こんな出来事は初めて」に違いなく、将来
「あの時、コロナウィルス騒動といったものがあったな」と思い返すことだろう。
少々のことでは消えそうもない
そんなインパクトを与えているコロナウィルス禍である。


マナ

2020年03月30日 13時01分07秒 | 日記
この子はマナという。4歳の女の子、いや女性だ。

   本当に元気が良い。
   幅が20㍍ほど、長さが70、80㍍の扇型をした川べりの砂場
   ここが、この子の遊び場で雨など天気が悪い日を除くと
   毎朝のように駆け回っている。
   また、すっくと首を伸ばし端正な姿で立っている白サギを狙い
   あるいは飼い主の老婦人が投げる小石を追って川の中に飛び込む。
   深くはない。水の中に入っても歩けるほどしかない。
                           
少し離れた所で飼い主の老婦人が
まぶしい陽ざしに左手をかざして、動き回るマナを眺めている。

   こんなに元気なこの子は捨て犬だった。
   人の身勝手さに傷つき、翻弄され
   動物愛護管理センターで、あるいは殺処分されかねない身の上だった。
   幸い今の飼い主に引き取られ、家族の慈しみの中で安穏に暮らしている。
   それでもどんな辛い思いをしたのか、当初は
   「人への警戒心が強く、こうやって外に出るのも
   この砂場遊びの時くらい」だったそうだ。

そう言えば、近くによると尻尾を垂れ、俯き加減になり、
上目づかいにこちらをうかがうなど警戒、いや恐れているような素振りを見せた。
ウォーキング途中、マナを見かけるようになってからにもう1年以上。
「マナ」と呼びかけると以前より少し慣れたのか、こちらに近づいてくる。

   突然、苦くて辛い記憶が甦った。
   幼い頃、我が家にも白い子犬がいた。
   ある日、いつものようにじゃれ合うようにして遊んでいたら
   何をどうしたのか自分でもよく分からないのだが、
   突然、その子犬を投げ飛ばしてしまったのである。
   子犬は「きゃん」と言ったきり起き上がらず、そのまま死んでしまった。
   「ごめんなさい、ごめんなさい」泣き叫びながら
   自分の内に潜む残虐性におののいた。
                 
福岡県も連日、新型コロナウィルスの感染者が増えていき
ついに不要不急の外出自粛要請となった。
29日の日曜日は、東京をはじめ関東地方は雪が降る
真冬並みの天候だったようだが
福岡地方は風が少し冷たくはあったが、陽春の候となった。
外出自粛と言われたとあれば、もっぱら家で過ごすこととなったが
午前中、1時間ほど夫婦連れだっていつもの川べりへウォーキングに出かけた。

   今日もマナはいた。1年前より体が一回り大きくなっている。
   元気なのは相変わらずだ。
   走り回っている。
   そして、白さぎを追い、小石を追い水へ飛び込んでいく。

昭和からのはがき

2020年03月29日 16時48分50秒 | 思い出の記
新型コロナウィルスの脅威が日増しに強まっていく。
先が容易に見えない。不安が募る。
2人の娘、3人の孫たち。
コロナウィルスを蹴散らして生きていけ──。


「これ、見て」妻が差し出したのは、薄茶色にくすんでしまった1枚のはがきだった。
消印は『昭和63年9月15日』となっているから
昭和も終わりに近い、はがき1枚40円の頃のものだ。
「どうした」とそれを受け取り、表書きを見るなり、その奇妙さにすぐに気づいた。
〝奇妙〟といっても緊張させられるようなものではなく
思わずニヤリとしそうな、そんな和やかさを誘う〝奇妙〟さだった。

   このはがきはいったい誰に宛てたものか分からない。
   郵便には宛名を書かなければならないが、それがないのである。
   宛先の住所を見れば我が家宛であるのは間違いない。
   郵便番号もあっている。
   だが、家族の誰に宛てた便りなのか、それが分からないはがきなのだ。
   本来なら、宛名が書かれているはずの真ん中あたりを見て
   その〝奇妙〟さに、どうやら合点がいった。
   そこに差出人の住所、それに妻の母、義母の名が
   宛名と見まがうほど大きな字で書かれていたのだ。

裏返すと、文面には黒のボールペンの字が
大きかったり小さかったり
あるいは右に寄り左に寄りしながら
それでも案外と列はきちっと保ってぎっしりと並んでいた。
この年の敬老の日、私たちの2人の娘、
言うまでもなく義母にとっては孫娘が
77歳のおばあちゃんに何か贈り物をしたらしい。娘たちは
「何だったか、よく覚えていない」と言うのだが、
文面には「これを着れば、ばあちゃんも5歳くらい若くなります。
それで、これを病院に着て行ったら、先生がハイカラですねって……。
おまけに、おばあちゃんもハイカラですものねとか言われたので
大笑いしてしまいました」と書かれているから
何かシャツみたいなものだったのだろう。
娘たちは当時まだ中・高校生で、そんな孫からのプレゼントとあれば
それほどのものではなかったはずだが
「ありがとう、ありがとう」と、何度も繰り返している。

   また、「お正月には帰っておいで。
   お年玉貯めておくからね。待っているよ」と添え
   さらに「お父さん、お母さん元気にして居ますか。
   2人ともしごとから帰ると、つかれて居るので
   出来るだけお手つだいして上なさい。
   お母さん、少しはらくになるように」とも言い
   「べんきょうも、がんばってね。元気でね。気を付けてね」と
    孫に対する祖母の思いのたけを書き連ねているのである。

数えてみると文面いっぱいに16行あった。
最後の方は、行が重なるようになってしまっている。
そう言えば、表書きの義母の名前の下にも小さな字で
追伸みたいに40字ほどあった。
裏の文面だけでは書き足らず、表書きの方にまで書き及んだらしい。
まさに義母の思いが、はがきいっぱいに溢れているのである。

   そんな文面なのだから宛名は当然、孫娘になるはずだと思うのだが
   妻は「手紙なんか書くような人ではなかったから
   きっと書き忘れたのでしょう」と言う。
   あるいは、孫への気持ちがはやり、宛名を書かなければならないことにまで
   気が回らなかったのかもしれない。
   おそらく、そうであろう。

宛名のないはがき、これでよく届いたものだ。
文面を読まれたのかどうか知りようもないが、
郵便局の方が義母のこれほどの喜びように
「この便りはぜひ届けてあげよう」と思われたのかもしれない。

   やがて義母はがんに倒れ、私たちが住む福岡の病院に入院、
   妻は毎日のように通いながら看病をした。
   そして、孫にあれほどの情を見せた義母は
   あのはがきが届いた2年後に他界したのである。

妻はこのはがきを31年間も書棚の中に大事にしまっていた。
そこには孫への思いとは別に、義母の自分の末娘=妻に対する
いたわりがこめられているようにも思え
妻はそれを感じ取って大事にしまっていたのであろう。

   平成の30余年で通信手段は大きく変わった。
   今はメールやLINEで時を置かず自分の意を伝えることができる。
   だが、わずか100×148ミリのスペースの中にぎっしりと並べた
   大小の字、蛇行する行、とつとつとした言い方等
   これらが義母の思いの強さを切々と伝えるのである。
   同じ文面をスマホの画面に打ち込んでみても
   義母のこれほどの情感を果たして伝えることができるであろうか。

いずれも昭和生まれの私たち家族4人は
昭和の何年かを、そして平成の30余年を生き
さらにこれから令和の中で年を重ねていく。
この義母からのはがきは、私たち夫婦、
それにささやかなプレゼントで祖母を喜ばせた2人の娘
この4人の心の中に静かに埋め込まれ、消えることのない『昭和』なのである。

   はがきを書いた時の義母と同じ77歳になって迎えた令和。
   2人の娘には、合わせて3人の、私たちの孫がいる。
   孫に対する思いは、あの時の義母と少しも変わらない。
   令和は、娘と3人の孫たちにはどんな時代になるのであろうか。
   ただ、ただ平穏であってほしい。
           (3月13日にアップしたものを少し手直しし再掲しました)

ときめき

2020年03月29日 05時59分23秒 | エッセイ
幾つになっても、〝ときめき〟をなくしてはいけませんね。
むしろ、年を取るほどに〝ときめき〟が必要かもしれません。
お断りしておきますが、女性とどうだといった浮いた話ではありませんよ。
生きていく力の話です。

コーヒーを手に、目の前に座っておられる紳士は80歳になられる。
体にも格別不調なところはないそうで
その顔、特に目の輝き・力強さに、「なるほど」と
ためらいなく頷かせる説得力がある。
                           
   何せ多芸な人だ。小唄や日本舞踊は何10年来で
   あちこちから宴席へお呼びがかかる。
   ピアノを置くクラブではシャンソンを弾き語りし
   カラオケのあるバーでは選曲に忙しい。
   ピアノ教室に通っている小学3年生の孫娘が
   『ハロー・ドリー』という曲を弾いているのを聞けば
   「楽しそうな歌だな。よし、覚えよう」となり
   すぐにYОU TUBEを開くといったあんばいだ。

なんと、エアロビクス教室へも通い始めたという。
「ほとんどが女性だが、臆することなく楽しく踊っている」
そうだから恐れ入る。
体だけではない。囲碁で頭も鍛えている。
この方にとっては、これらすべてが心弾ませる〝ときめき〟なのである。
                           
   〝人生100年時代〟という。日本人の平均寿命は、
   女性が87.32歳、男性が81.25歳(厚生労働省2019年7月発表)
   過去最高を更新し、世界の最長寿国の地位は不動だ。
   〝100年時代〟に近づいているのは確かだろう。
   喜ばしくはあるが、それでも手放しというわけにはいかない。

健康寿命=「健康上の問題で日常生活が制限なく生活できる期間」
こちらに目をやると自慢話は途端に引っ込めざるを得ない。
平均寿命と健康寿命の差が、女性で12.35年
男性で8.84年(世界保健機関2016年発表)もあるのである。
この数字は、「日常生活に制限のある健康でない期間」
ということを意味しており、「日本は長寿国ではあるが、
〝寝たきり大国〟でもある」と揶揄されてもいる。
悔しくはあっても反論できないのが現実だ。

   PPK、ちょっとくだけて〝ピンピンコロリ〟と言う。
   「病気に苦しむことなく、元気に長生きし病まずにコロリと死のう」
   誰もが理想とする死に方ではあるが、多くがままならず生涯を終える。
   「せめて〝ネンネンコロリ〟とならぬよう
   あなたも背筋をピンと伸ばし、何か心ときめくことをやりなさいよ」
   背をポンと叩かれたような気がする。

カタカナ語

2020年03月28日 06時32分20秒 | 日記
パンデミック(世界的大流行)
クラスター(感染集団)
オーバーシュート(爆発的な患者急増)
ロックダウン(都市封鎖)

これらを声にしてみる。
何か、とんでもない「大ごと」のような響きがする。
新型コロナウィルスの報道で、毎日のように聞かされる用語だからかもしれない。
つまり、コロナウィルスがもたらしかねない
全世界を覆う危機が頭の中に浸み込まされているから
それがこれら用語と重なり、一層「大ごと」のように聞こえるのだろう。
気持ちが煽られる。
             
   英語が流暢な河野太郎・防衛大臣がTwitterでつぶやいた。
   「なんでカタカナなの」と。すると、これに6.7万回リツイートされ
   24.6万回の「いいね」を記録したそうだ。
   さらに河野大臣は、新型コロナウィルス対応に絡んで
   厚生労働省にもカタカナ用語を多用しないよう申し入れたという。

大臣は、その理由をこう言っている。
「年配の方をはじめ『よくわからない』という声をよく聞く」
それで「日本語で言えばいいのではないか」と。
あくまで私見だと断ったうえで。
専門家の中には、おそらく異論があるはずだが、
大臣の考え方におおむね賛同する。

   ただ、その理由はちょっと違う。
   僕自身がそうであるが、大臣はカタカナ=横文字に
   多少の引け目がある年配者を慮って、こういう発信をしたという。
   僕は、これらカタカナ用語の危険な響きを危惧する。
   国民の不安を過度に、むやみに煽りかねない。そんな思いがある。
   人は不安感が高じるとパニックを引き起こしやすい。
   もともと品薄のマスクは別にしても
   連鎖するようにトイレットペーパーの争奪戦が始まった。
   政府が「心配いりません。十分にあります」と言っても
   目の前でそれらがたちまち無くなっていく。
   また、東京都が外出自粛要請をすると、スーパーからたちまち商品が消えた。
   不安感が煽られると、大丈夫が大丈夫ではなくなっていき
   「大変だ」と自分も買いに走る。
                          
気持ちが煽られると、こういうことになりかねないのだ。
大臣は、あるいは、そんなことを考えて「日本語で」と発信をしたのではないか。

もっとも、「世界的な大流行」「感染集団」「爆発的な患者急増」
「都市封鎖」という日本語も結構インパクトがある。
おっと、カタカナ語だ。
いずれにしても、こういう時は
周囲に惑わされず、落ち着いて対処する─こういうことか。
言うは易し、と言われそうだが……。