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Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

歌を忘れた爺さん

2021年01月07日 06時00分00秒 | エッセイ
 もう一度、「Sound of Silence」を歌ってみたいな
Simon & Garfunkel - The Sound of Silence (from The Concert in Central Park)

「仕事をすっかりやめたら、あなたは日々どう暮らしていくのでしょうね。
格別、趣味といったものもないし、お友達も数えるくらい。ちょっと心配だわね」
写真クラブの仲間とたびたび撮影に出かけ、
また身近に何人もの友人を持つ妻が心配気にそう言う。

   今は週3日出勤し、わずかではあるが仕事らしきものをこなしているので、
   何とか人とも社会ともつながることが出来ている。
   それが日々を成り立たせる支えともなっているのは間違いない。
   その支え棒がなくなった時、自力でどう過ごしていくか、いけるのか
   ──妻はそれを案じているのだ。

「歌を忘れた爺さん」は、自身、「どうしたものか」いささか心細くなる。
実を言えば、「なーに、こうやってブログを書き、歌のレッスンに通えば、
心配することはない」と高をくくっていた。
ところが、「書く」ことはともかく、70歳から始めた歌のレッスンに通う
ことがまったく出来ずにいるのだ。言うまでもなく、コロナのせいだ。
   昨年2月、レッスンの成果を発表するライブが予定されていた。
   そのため、週1~2回はレッスンに通っていたのだが、
   コロナの感染拡大によって急きょ中止となってしまった。
   以降、レッスン通いも控えている。
   何せレッスン用のスタジオは防音装置を施した密閉された部屋だ。
   年寄りは用心せざるを得ない。
   そんな状況が、もう1年近く続いているのである。
           
家にはカラオケセットもあるが、そうそう大声を出すわけにもいかないし、
家で1人歌うのも気合いが入らない。どこぞにしまい込まれたままだ。

   まさに「歌を忘れた爺さん」なのである。
   カナリアのように美しい声が出るわけはなく、むしろ聞き苦しいほどの
   かすれ声なのだが、声は出さなければ、どんどん出なくなるに違いない。
   コロナが終息しても、もう無理かもしれないと悲観的になる。
   「歌うことをなくした爺さん」は、さてどうしたものやら。
   別に支え棒となるものを見つけなければならないだろうか。
   ああ、それもこれもコロナの奴のせいだ!
   いや、コロナのせいにするのはよそう。
   残された日々を楽しく過ごそうと思うなら、
   やはり自力で立ち、歩くしかない。
   何かあるだろう、見つかるだろう。
   ゆったり構えることにする。