ミュージシャン白書

ミュージシャンの立場からライヴ、レコーディングを通じてミュージシャンの社会生活を紹介する

三回忌

2014年03月26日 14時29分13秒 | Weblog
今、(3/26・14:25)天橋立に停車中のはしだて五号の車内にいます。 オヤジが死んで丸二年、三回忌で、じきに実家に着きます。五時間強の大旅です。毎度の事ながら少し疲れます。

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2013年06月24日 05時37分17秒 | Weblog
モノを多角的に見て知る。それは創造の要。、色声香味触法、いずれどんな形であれ不正解はない。

 ただそれから発想を推し拡げる引き出しのない奴にとって、それは収拾のつかないものとなって、駄作となってゴミ箱にダンプされる。

 そのモノが可哀想で、被害者だ。 せっかくいい感じで育ってきたのに。

 受身だね。作品は。慈悲慈愛もそれと同じで、壮大な想像力がないと、最早、指一つ動かせない。これが真実だと思う。

 そうなれば、日々の暮らし、何と無責任の連続か・・・・・・。頭が痛い。

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2013年06月18日 04時49分35秒 | Weblog
ショウジョウバエ一匹。早朝の殺生。ジャム殺生。南無。

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2013年05月25日 07時42分24秒 | Weblog
おはようございます。五月ももう二十五日、早いものです。最近、気候に合う服がなくて、困ってます。嘗て買った、ミュージシャンTシャツも、経年劣化は免れず、とても外出着には、用を満たしません。 

 かといって、買うかと言えばそうではなく、やっぱりそれを、こっそり下に着たりするわけで、

 そうなると上に一枚羽織らなければならず、そうすると、昨日今日だと暑過ぎる訳で。 

 はやく裸で飛び出せる季節にならないかなぁと。いっそ、余り好きでない夏を待ちわびておるような次第です。

 息子は、夜中に咳をします。それだけが気がかりな。親父は今日も出勤します。

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2013年05月02日 07時22分33秒 | Weblog
 忙しくもない。ただ、好きな事ができないだけ。

 AB型はストレスに弱いといいますが、あれはきっと本当でしょう。

 なんでも一番新しい血液型だとか。ちなみに一番古いのはO型だそうです。

 ストレスが、新たなストレスを生む、そんな悪循環が続いていまして、例えば、行き当たりばったりな事を言う奴がいるとする。

 わざとか、真面目か、

 それがどっちだろうと、勘ぐるのが既にストレスなのに、その内容に対して、機知を効かせてなんか答えて欲しそうにする、顔を見るのがまたストレス。 

 とくに最近、

 俺って凶暴だろ? みたいなキャラを、発言にちりばめてくる奴。これ、たまらん。

 君のは凶暴じゃないよ。それは狭小というのだよ。君。

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 と、

 ここまでと、これからは、約四日間のタイムラグがあります。 

 おはようございます。 今、5/6の朝七時半です。なんともストレスフルな内容ですな。


 確かに、毎日ストレスに晒されているという実感は変わらないのですが、上記の様に、他にばかりその原因を割り振るのもどうかと思います。

 大我と小我という、我 には二つあるそうです。

 小我 は、他人や世の中に対する個人の意識という意味の我、大我 は、自分の存在というものをあらゆる出来事を通じて理解しているという意味の、我 だそうです。

 昔よく暴走族がツナギに書いてましたね、『天上天下唯我独尊』俺が一番つえぇんだ という意味でしょう。

 でもこれはお釈迦様の言葉ですから、勿論そんな意味ではありません。

 さっき出た『大我』の方の我の意味で、 いろいろある、それを理解している、それが我で、その我を於いて他に尊いものなど、ない。という意味です。

 どうですか? ストレスに晒されているのは、小我の方じゃないですか?

 漸く、GW も終わりです。 今年も休みなしで働きました。去年もその前もその前も・・・・・・。

 やっぱり、小生の小我は、もう休みたいと言っております。

 じゃあ、そろそろ 5/6 出勤します。

 

凹みを直さないのは、思い出を取っておくため(メーターとホリーシフトウェルの考え方)

2013年04月17日 06時13分55秒 | Weblog
 くだらない事を悶々と考えていると、デカルトじゃないけど、お前がそれを考えているんだろ?じゃあどうすればいいんだ?

 と、逃避の様な達観が生まれてきて、それを、おうよしよしと、答え紛いにしまいこんでは、気がつくと朝になる。朝になると仕事に向かい、またこせこせと言い訳紛いな事ばかり考えながら、いろんな理由で至らぬ事を、自分のせいか? それは自分だけのせいか?と、考えたり、どうでもよくなったり。明日、明後日、明々後日、同じ時間に、同じようなところで、同じような事を、考えている可能性は、ひょっとして0~99%。

 常日頃の小生のコメントを見ればきっとすぐにわかることなのだが、

 小生の意識の根底には根強く 死 というものがある気がするし、そうみえるはずだと思う。

 何で生きているんだろうとか、何で死ぬんだろう、何時死ぬんだろう 何て事ではなく、生きている限り必ず付きまとうものとしてで、

 これを意識せずに、何のリアリティーも感じない小生は、先天的な人生の不感症なのかもしれない。


 何時の頃からそう思うようになったのかは定かではないが、小学二年の頃には思っていた、そんな記憶がある。

 夜、寝ようとしているのだがグローランプの光が遠くからやってくるように見えて、目を細めてみるとそれが流星の様に見えてくる。

 流星は次第に横を向き、小生と平行に流れる。しかしそれはなかなか消えない、少しずつ崩れていくのだが殆ど小さくならない。


 暫くして、それは涙が滲んでいるからそう見えるのだと気がついた。 

 なんで涙が滲んでいるのかと思うと、二階に寝ている小生の、一階に寝ている両親が今、いるのかいないのかわからない事が急に不安になってきたからだと、思い当たる。小生は夜になると、小生か両親のどちらかが死ぬような気がしていた。それが急にすっと差し込んでくると、必ずそうなった。

 自分はもう一人かもしれない。そう思うと、心細くて涙が滲んでくる。

 しかし、その状態をなるべく長く保とうとしている冷静な自分も確かにいる。小学二年でだよ! さぞリアルだったに違いない。

 
 人は死んだらどうなるのかなんて考えた事は今まで、おそらく一度もない。天国も極楽も嘘だと、天才かもしれなかった当時の小生は見抜いていたに違いない。


 喘息で何度も意識を失い、ひきつけを起こしたという小生は、学ばなくても、人は容赦なく、理由なく死んでしまって当然だという事を、すんなり受け止め過ぎてしまっていたのかもしれない。


 でも 死ぬのは嫌だー! と、いつもそう叫ぶ、小さい者が小生の胃の腑の辺りに二・三人いて、小生はそいつらがそう叫ぶと、ハッとして、また小学二年に戻る事にしていた。 ちなみにそいつらの事を小生は 『かんがえ』と名付けていた。
 
 しかしそんな気持ちも、子供が出来てからは、(これは実は残念な事なのだが)もう三十年以上の付き合いだというのに、ぎくしゃくしたものを感じることが多くなった様な気がする。


 ボストンマラソンの会場にいた、父親のゴールを待っていた、8歳の少年が死んだと。

 東日本の震災の時も思ったのだが、と言うよりも、人が死ぬといつもそう思うのだがきっとその人も、 この夏、どうしよう? 何処へ行こう? とか、考えていただろうなぁ、と。 さぞかし無念だろう。

 死 を根底において、リアリティーを得ないとどうしても落ち着かないのはもう性分だからしょうがないにせよ、実生活を両手を突っ張ってむやみに拒絶するのは、せっかくのリアルもいっしょに拒絶する事になり、いかにも雑だ。

 リアルは要らない。だったらそう言い切ったほうが、よりリアルとスムーズに付き合っていけるような気がして。

 三十年以上の付き合いに、諦めずにぎくしゃくさせずに付き合っていくためには、思い切って、よくいる四十過ぎのオッサンみたいに、

「いやぁ~、子供のころは、そんな事考えてよる一人で泣いたりてましたよ。ナイーヴな少年でしょ?」など言って、飲み屋の女を口説く。

 そんな使い方にしてしまうしかないのかもしれない。 非常に勿体無いけど。


 いや~。何か知らんけど、弱ってるね。 脳は健康そのものなのに、 だから要らんことばっかり考えるのか? 朝ハヨから。 

 知能はまったく厄介です。

 

412 asakusa kurawood

2013年04月12日 07時10分22秒 | Weblog
北朝鮮が相変わらず強情な態度をとっていますが、ああいう態度を続けると、幼稚園児なら、そろそろ叩かれます。

 今日は、浅草クラウッドで、アコースティックライヴをやります。

 音楽にたいする愛情は変わらないつもりなんですが、音楽が小生の才能に飽きてきたような、長く一緒にいるとね。音楽も小生に対して同じ事を思っているのかもしれません。

 子供の一言が、命を縮める様だった。

 なに、子供の言う事ですから。しかし、心の中に束って置くと嫌なので言うと。

 先日、後楽園に遊びに行った帰り、突然「小学生のとき、なくなったんだって」と、息子が言った。

「なにがなくなったの?」と聞くと、「ぼく」と……。

 なくならすもんか! 父ちゃんは何度も言う、お前のいない宇宙なんてクソだ!

 前にも一度。

 あれはインフルエンザの高熱で、タミフルを飲んでいた時。

 真夜中にいきなり起きて「ぼくは、ぼくで一人一生懸命歩くから、お父さんもがんばって」と言った。

 どこにいくんだー!! ぜってぇ一人でなんか歩かせねーぞ!!と、


 何のつもりだ。 そんな理由で、先日以来、何か気分が優れない小生の脳ドックの結果は、無情にも異常なし。

 脳の腫れも萎縮もなく、形も脳膜も正常。血管も瘤もなく詰まっている部分も見当たらない。つまり、健康な脳みそ。


 という事でした。

 小生の脳みそなんか普通でいいから、是非、息子だけは心身ともに健康で、近所の人から拝まれるほどの長生きをしてもらいたい。


 まったく、それだけ。それがあれば、小生は今すぐ豚に変化してもまったく厭わない。それだけだな、本当に。

 まったく、すっかり親父に成り果てたものだ。それだけが、プライドといえば・・・・・・そうだな。

faith 脳 more

2013年04月10日 06時40分49秒 | Weblog
いや、やっぱりね。そううまくはいきません。アクセスは、調理師免許虚しく、AKB虚しく、いつもどおりに戻りました。


 今日、脳ドックに行ってくる訳なんですが、食事の事、何にも書いてなかったけど、朝飯食っちゃって平気かな??


 奇跡。


 奇跡とはなかなか起きないから奇跡というのでしょうが、細かく細かくみていると、どうやらミクロの世界ではちょいちょいおきているらしい。


 小生については、生活と読書の関係。発想の連鎖の様なものが他所から絡み付いてくるような、そんな奇跡を感じることが、実はちょいちょいあるんです。


 それというのが、例えば最近で言うと、 


 アベノミクスの効果も為替のみ、われら零細企業に勤めるものにその影響は遠く、相変わらずマーヒーな毎日を過ごしている訳なんですが、


 熱血世代の親方は、マーヒーな時こそあくせくとしたがる様子で、小生にあれやれ、これやれ、といろいろやれと仰る。

 それが、草むしりだろうが、植木の土を可燃ごみに混ぜてこっそり捨てろ、だろうが、仰せに従うわけなんですが先日、

「君は包丁を砥ぐのが上手い。だから砥いでくれ」と、まるでコンキョの見当たらないお褒めの言葉と役目を頂き、それこそまじめに包丁を何本か砥いだ訳なんですが・・・・・・、

 その日の帰りしな、行きしなに読み終わった小説の代わりに何となく買った、小生の神 泉鏡花大先生の小説を読むとそれがなんと剃刀砥ぎの職人の話で。読んだ途端、手に砥石の感覚が戻ってくる。 鏡花先生のまるで絵画の様な文章。桶の水、砥石の滑らかさ。その表現が素晴らしさに、巣鴨で信号待ちをしながら、まるで自分もその話の中につま先突っ込んでいるような気になった。そんな偶然。いや奇跡。

 こういう奇跡は、小生がスタジオにいるときも、ちょいちょい起きる。

 楽曲が浮かばず、『枯渇』という言葉に阻まれながらただスタジオでじゃかじゃかとギターを鳴らしていると、ふと、何年もほったらかしておいたリフが一つ、頭に蘇る。

 そのリフに小生は、昔の自分の勢いを思い知る。 こんなリフ、取って置いたんだ。頭の中に。そこで、それからメロを付け、曲に仕立てていくのですが、問題は歌詞。

 世界観なんです。難しいのは、ぼんやりと暮らしている。そんな不安。しかし、夢忘れず、けなげ、哀れ。最近は専ら、そんな半径1メートル以内のモチーフが多い。 そうして曲がどんどん出来ていく。うん、悪くない。調子はいい方だ。

 しかし、いよいよ固まったかな、と思ったとき、この世界観は。

 今、自分が書こうとしている架空の日本人をテーマにしたお話の世界観とでこぼこがぴったり嵌る! おお!

 お話では見えなかった裏側が、曲の表側になっている! こんな事、わざとは出来ません。 おお、奇跡!(ナノレベル)

 
 と、こんな事を考えながら、ニヤニヤとほくそ笑み、どうせ今日(休日)もまた一日過ごすのでしょうが、まあ、もう四十年以上も生きてきた言い訳臭い小生のささくれた意見など何処吹く風。

 おいおいどうしたというんだ!? このベビーラッシュ! 身の周りでは、未来を担う天才どもが、どしどし生まれてくるじゃないか!!

 
 確実にいえる事は、未来は非常に明るい。 こいつらが幸せに暮らせないような宇宙なら要らない。


 という事さ。 じゃあ、朝飯、食うよ。いいのかな? 

春暁閑話

2013年04月09日 07時15分00秒 | Weblog
 執筆が一段落したら、ユーチューブを見る機会が増えた。

 主に音楽だが、たまに変な生物とか、観たりします。

 シャチに食べられる人。というのを見たのですが、本当ですかね?あの映像。

 本当だとしたら、一体誰がアップしたんでしょう。

 映像の衝撃よりも、その方が気になったりしました。薄情なのか。

 新しいお話の、骨組み、かっこよく言うとプロット なんていうのですが、ぼちぼち始めました。

 先日のブログ、いつも殆どアクセス件数が同じなのですが、この前に限って、ポンと、増えてました。

 調理師免許 にヒットしたらしい。

 じゃあ今日も、調理師免許調理師免許調理師免許、AKB AKB AKB これで大量アクセス間違いなし。


 北朝鮮がキナ臭い事をいってます。何処まで本気なのか、俗に言う、『ギリギリ外交』は実際核を保有した場合、逆効果なのではないかと、小生は思ったりします。

 

四月の朝六時はもう薄ら明るい

2013年04月07日 06時05分04秒 | Weblog
 調理師免許を取ろうと思ってさ。

 受験申請書を何処へ取りに行けばいいのかって、ネットで調べていたはずが・・・・・・

 気がつけばメルトバナナ観てた。


 本当に取る気あるのかな? 

 
 今日から早朝ワーク開始。先月30日に、前作『ふぁんたじぃ』を脱稿して、ちょうど一週間休んだ。

 でも、寝れば寝るほど疲れが取れなくなっていく、そんな体質になっていくような気がする。

 『寝ると疲れる』これは最早、今の小生の常識。

 布団との接点が妙によそよそしく感じて時計を見ればいつも起きていた二時半。悪魔が、とにかく起きろ! と囁く時間。


 でも調理師免許を取るにあたって大学の卒業証明書がいるとは知らなかった。

 どうせなら久々に現地に赴いて総務課の窓口で直接取るか。

 でも、東海大学前って結構遠いし。天気が良ければいいが。

 ドラマの様なうそ臭い展開が、少なからず小生を圧迫する。しかしそんなプレッシャーは得意の蜜息で跳ね返す。

 日本人の平均給与を、ほんの少し上回る程度の、おほほお情け、生きていてもいいですか、的、薄給であるにも拘らず、

 小生、家を普請する運び。

 誰が住むんだ? 誰って小生のファミリーが住むに決まってるだろ。誰が好き好んで他人の家なんか建ててくれるものか。

 

 そういえば昔、まだ妻とラヴラヴだった頃、いっしょに散歩していて建築中の家を見るたびに、「ここも小生が建てた家、ここも小生が建てた家」などとへらへら笑いながら言っていたのが、まさか本当に小生が家を建てることになるなんて・・・・・・

 夢と力めば叶わなくても、何も考えずに適当に言った事が意外と現実と化すのかもしれないなぁ。

 じゃあ、今まで何を適当に言ってきたかと回想するに・・・・・・

 あぁ、俺も金メダル欲しいなぁ とか。

 あぁ、俺も春の園遊会、呼ばれたいなぁ とか。


 小生の理屈が本当なら、こうしちゃいられない!! 大変な事です。