くだらない事を悶々と考えていると、デカルトじゃないけど、お前がそれを考えているんだろ?じゃあどうすればいいんだ?
と、逃避の様な達観が生まれてきて、それを、おうよしよしと、答え紛いにしまいこんでは、気がつくと朝になる。朝になると仕事に向かい、またこせこせと言い訳紛いな事ばかり考えながら、いろんな理由で至らぬ事を、自分のせいか? それは自分だけのせいか?と、考えたり、どうでもよくなったり。明日、明後日、明々後日、同じ時間に、同じようなところで、同じような事を、考えている可能性は、ひょっとして0~99%。
常日頃の小生のコメントを見ればきっとすぐにわかることなのだが、
小生の意識の根底には根強く 死 というものがある気がするし、そうみえるはずだと思う。
何で生きているんだろうとか、何で死ぬんだろう、何時死ぬんだろう 何て事ではなく、生きている限り必ず付きまとうものとしてで、
これを意識せずに、何のリアリティーも感じない小生は、先天的な人生の不感症なのかもしれない。
何時の頃からそう思うようになったのかは定かではないが、小学二年の頃には思っていた、そんな記憶がある。
夜、寝ようとしているのだがグローランプの光が遠くからやってくるように見えて、目を細めてみるとそれが流星の様に見えてくる。
流星は次第に横を向き、小生と平行に流れる。しかしそれはなかなか消えない、少しずつ崩れていくのだが殆ど小さくならない。
暫くして、それは涙が滲んでいるからそう見えるのだと気がついた。
なんで涙が滲んでいるのかと思うと、二階に寝ている小生の、一階に寝ている両親が今、いるのかいないのかわからない事が急に不安になってきたからだと、思い当たる。小生は夜になると、小生か両親のどちらかが死ぬような気がしていた。それが急にすっと差し込んでくると、必ずそうなった。
自分はもう一人かもしれない。そう思うと、心細くて涙が滲んでくる。
しかし、その状態をなるべく長く保とうとしている冷静な自分も確かにいる。小学二年でだよ! さぞリアルだったに違いない。
人は死んだらどうなるのかなんて考えた事は今まで、おそらく一度もない。天国も極楽も嘘だと、天才かもしれなかった当時の小生は見抜いていたに違いない。
喘息で何度も意識を失い、ひきつけを起こしたという小生は、学ばなくても、人は容赦なく、理由なく死んでしまって当然だという事を、すんなり受け止め過ぎてしまっていたのかもしれない。
でも 死ぬのは嫌だー! と、いつもそう叫ぶ、小さい者が小生の胃の腑の辺りに二・三人いて、小生はそいつらがそう叫ぶと、ハッとして、また小学二年に戻る事にしていた。 ちなみにそいつらの事を小生は 『かんがえ』と名付けていた。
しかしそんな気持ちも、子供が出来てからは、(これは実は残念な事なのだが)もう三十年以上の付き合いだというのに、ぎくしゃくしたものを感じることが多くなった様な気がする。
ボストンマラソンの会場にいた、父親のゴールを待っていた、8歳の少年が死んだと。
東日本の震災の時も思ったのだが、と言うよりも、人が死ぬといつもそう思うのだがきっとその人も、 この夏、どうしよう? 何処へ行こう? とか、考えていただろうなぁ、と。 さぞかし無念だろう。
死 を根底において、リアリティーを得ないとどうしても落ち着かないのはもう性分だからしょうがないにせよ、実生活を両手を突っ張ってむやみに拒絶するのは、せっかくのリアルもいっしょに拒絶する事になり、いかにも雑だ。
リアルは要らない。だったらそう言い切ったほうが、よりリアルとスムーズに付き合っていけるような気がして。
三十年以上の付き合いに、諦めずにぎくしゃくさせずに付き合っていくためには、思い切って、よくいる四十過ぎのオッサンみたいに、
「いやぁ~、子供のころは、そんな事考えてよる一人で泣いたりてましたよ。ナイーヴな少年でしょ?」など言って、飲み屋の女を口説く。
そんな使い方にしてしまうしかないのかもしれない。 非常に勿体無いけど。
いや~。何か知らんけど、弱ってるね。 脳は健康そのものなのに、 だから要らんことばっかり考えるのか? 朝ハヨから。
知能はまったく厄介です。
と、逃避の様な達観が生まれてきて、それを、おうよしよしと、答え紛いにしまいこんでは、気がつくと朝になる。朝になると仕事に向かい、またこせこせと言い訳紛いな事ばかり考えながら、いろんな理由で至らぬ事を、自分のせいか? それは自分だけのせいか?と、考えたり、どうでもよくなったり。明日、明後日、明々後日、同じ時間に、同じようなところで、同じような事を、考えている可能性は、ひょっとして0~99%。
常日頃の小生のコメントを見ればきっとすぐにわかることなのだが、
小生の意識の根底には根強く 死 というものがある気がするし、そうみえるはずだと思う。
何で生きているんだろうとか、何で死ぬんだろう、何時死ぬんだろう 何て事ではなく、生きている限り必ず付きまとうものとしてで、
これを意識せずに、何のリアリティーも感じない小生は、先天的な人生の不感症なのかもしれない。
何時の頃からそう思うようになったのかは定かではないが、小学二年の頃には思っていた、そんな記憶がある。
夜、寝ようとしているのだがグローランプの光が遠くからやってくるように見えて、目を細めてみるとそれが流星の様に見えてくる。
流星は次第に横を向き、小生と平行に流れる。しかしそれはなかなか消えない、少しずつ崩れていくのだが殆ど小さくならない。
暫くして、それは涙が滲んでいるからそう見えるのだと気がついた。
なんで涙が滲んでいるのかと思うと、二階に寝ている小生の、一階に寝ている両親が今、いるのかいないのかわからない事が急に不安になってきたからだと、思い当たる。小生は夜になると、小生か両親のどちらかが死ぬような気がしていた。それが急にすっと差し込んでくると、必ずそうなった。
自分はもう一人かもしれない。そう思うと、心細くて涙が滲んでくる。
しかし、その状態をなるべく長く保とうとしている冷静な自分も確かにいる。小学二年でだよ! さぞリアルだったに違いない。
人は死んだらどうなるのかなんて考えた事は今まで、おそらく一度もない。天国も極楽も嘘だと、天才かもしれなかった当時の小生は見抜いていたに違いない。
喘息で何度も意識を失い、ひきつけを起こしたという小生は、学ばなくても、人は容赦なく、理由なく死んでしまって当然だという事を、すんなり受け止め過ぎてしまっていたのかもしれない。
でも 死ぬのは嫌だー! と、いつもそう叫ぶ、小さい者が小生の胃の腑の辺りに二・三人いて、小生はそいつらがそう叫ぶと、ハッとして、また小学二年に戻る事にしていた。 ちなみにそいつらの事を小生は 『かんがえ』と名付けていた。
しかしそんな気持ちも、子供が出来てからは、(これは実は残念な事なのだが)もう三十年以上の付き合いだというのに、ぎくしゃくしたものを感じることが多くなった様な気がする。
ボストンマラソンの会場にいた、父親のゴールを待っていた、8歳の少年が死んだと。
東日本の震災の時も思ったのだが、と言うよりも、人が死ぬといつもそう思うのだがきっとその人も、 この夏、どうしよう? 何処へ行こう? とか、考えていただろうなぁ、と。 さぞかし無念だろう。
死 を根底において、リアリティーを得ないとどうしても落ち着かないのはもう性分だからしょうがないにせよ、実生活を両手を突っ張ってむやみに拒絶するのは、せっかくのリアルもいっしょに拒絶する事になり、いかにも雑だ。
リアルは要らない。だったらそう言い切ったほうが、よりリアルとスムーズに付き合っていけるような気がして。
三十年以上の付き合いに、諦めずにぎくしゃくさせずに付き合っていくためには、思い切って、よくいる四十過ぎのオッサンみたいに、
「いやぁ~、子供のころは、そんな事考えてよる一人で泣いたりてましたよ。ナイーヴな少年でしょ?」など言って、飲み屋の女を口説く。
そんな使い方にしてしまうしかないのかもしれない。 非常に勿体無いけど。
いや~。何か知らんけど、弱ってるね。 脳は健康そのものなのに、 だから要らんことばっかり考えるのか? 朝ハヨから。
知能はまったく厄介です。
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