羽迫博己さんの町屋あれこれ・・・~吉良川町の町並みとその構成要素~
町並みとその構成要素
旧国道の両側には、短冊形敷地が並び
両側町を形成しています。
屋敷は4・5間程度の間口を持ち、道路側に面する
主屋と背後に立つ釜屋から構成される分棟型住居
です。主屋は切妻造り平入り民家が多く、
つし二階を持つものもあります。
商家の場合、街道に面して広くミセを
とる必要があったため、
この形式が好んで用いられたようです。
これら町屋風の民家では、書院造りを源とする
座敷を中心に奥行きの短い庭を設け、洗練された
空間を持つものが多く見られます。
又、北川の微高地には周囲に「いしぐろ」と呼ば
れる石塀を巡らせた民家の町並みが展開します。
主屋は農家に見られるものと同一で、建築形態の
異なる二つの地区が共存する町並みは城下町に
多く見られ、在郷町には珍しい事例です。
吉良川町の成立ち
吉良川では古くから林業が盛んに行われていた
ようです。
近世には背後の山々から搬出される良質の木材や
薪を京阪神に移出しました。「磯わのもの」(1778)
によると、火力の強い吉良川や羽根の薪は大阪や
京都に好んで用いられたということです。
近隣の山間部から切り出される木材は、製炭に
適した馬目樫や樫が多く、
明治期に木炭増えるとこれらを主材に製炭が
盛んに行われるようになりました。
近代の初めには、和歌山伝来の備長炭の
製炭技術を学び、その品質を向上させ、
日本の代表的な良質備長炭を製造し、
京阪神へ移出する廻船業で栄えました。