木洩れ日に身をゆだねて

日々の暮らしや映画ドラマ舞台など
自分が好きなもの美しいもののあれやこれや
時折、佐々木の蔵さん鑑賞など

余韻は続くよどこまでも

2013-05-24 | つぶやき
ごくごく個人的な 記録のための つぶやきです。

日頃の路線と違うので

スルーしてくださいね。



以前は、


「笑っていいとも!」でも

「トークショー」でも、

「こんばんは、父さん」でも

「からくりテレビ」でも、




生、蔵之介さんを 何度もこの目で見て

空間と時間を味わっても


本当に

あっという間に

幻となって


本当に体験したことなのかどうか

確信が持てない。

そんな寂しさに

打ちひしがれる

そんな日々が その後、訪れていた。




旅に出てもそう。

京都に行っても

大阪に行っても

移動している自分が

現実感がない。


夢のよう。

子供の頃からの感覚だ。

時間にも現実感がない。

そんな感覚を持つ自分が変わり者なのかもしれない。


本当の自分の顔がリアルタイムで自分で見れない。

本当の自分の声もリアルタイムで自分で聞こえない。

なのに・・・自分は本当に「在る」のであろうか?



哲学者でもないし

ただ・・・つぶやきたいだけ。




今回・・・というか

自分の人生の展開の中で


変わったのは

自分だった。






恋は、変化のきっかけ。

異空間もまさに、変化のきっかけ。


眼も・・・変化のきっかけ。


相手を知ろうと思うほどに

同時に 自分を知ることになっていく。


自分・・・・。

本当は 一番知りたいことは

そこなのだ。




眼は心の窓。

世界の窓。

宇宙の窓。


幸せって 


たどりついたり


引き寄せたり

手を伸ばすような


そんなものではなくて


もともと 「在る」

そこに気づくこと。

「在る」けど ない。

そこにも気づくこと。




「わたし」

「人と自分」


そんなものはなくなること。


目に映るものや

人の言動や出来事などには左右されないもの。



メンインブラックでの

あの、ラストシーンのように。

目の前の色が空間が変わること。




勝手なレッテルを

いろいろ落として行くと

パーンと目の前の景色が

一気に変わる。



みな、見たいものを見ている。

だから何に照準を合わせて見ているのかが

その人の世界を映しだす。


いいことだけが起きる人生などない。

人生の河は、どんな波が来ても

なるほど、こんな波が来たのか

面白いじゃないか

どう波に乗って

流れて行こうかというくらいでありたい。



どんな波でも楽しみたい。

泣きたければ泣き

悲しみたければ目いっぱいに悲しみ

怒りたければ怒り

喜びたければ喜ぶ。




余計なものを捨てたときに

ありのままが出て来る。

ありのままは、怠惰なこととは違う。

初期値・・・デフォルト

本来の姿・・・という意味の「ありのまま」だ。

ありのまま・・って残念なことではない。

輝いてた元に戻ること。

シンプルな言葉って難しい。


文字にしてしまうと

言葉遊びのようで

つぶやきすぎたので

このへんでおしまいに。


日々の時間は仕事に家庭に集中して過ごし

ただ・・・・今は・・・ただ静かに在るだけ。

そんな余韻の中・・・・

明日はぺーさん楽しみです。

ぺーさんがリアルタイムで見られるといいな。

どんなに幻だろうとなんであろうと

蔵ぴょんには、ただ・・・ひたすらの感謝なのであります。


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