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扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

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JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

Synergy Effect of L&C&M No.01 2008.09.19

2008-09-19 23:55:00 | Fashion & Accessory & Bag
今使用している服やPants、鞄、小物が草臥れてきていることを指摘されました.........................

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Titleの意味を説明しておきます。
Synergy Effect は相乗効果
L はLeather
C はCloth
M はMetal
でこれらが融合したことで鞄や服、Pants、小物等が生まれるのですから相乗効果を起こすという意味です。
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今使用している鞄は2000円に税金がかかって2100円で購入したモノです。
合皮の鞄で、自転車で移動していた時にShoulder Bagだったのに肩掛けを損傷し手持ちバッグなっています。
この鞄は相当長いこと使用していて結構草臥れているんですよね。
人によっては肩掛けが損傷したら買い換えていたのでしょうけどね。
おいらはしつこいのです。
もとより費用対効果で考えて元を取らないと気が済みません。
どんなモノでもそうですけどね。
幸いながら肩掛けを切り離すと手持ちバッグだといっても遜色ない鞄になりましたので使用し続けているという訳です。
そういえば基本的なStationeryを入れている鞄ですな。
加えてFormal用の鞄も所有しているのですが、こちらも年季が入ってきていて型崩れしないように扱っていても使い続けると草臥れてきます。
形あるモノは壊れていくのだと感じますな。

おいらが使用しているFormal BagはTAKEO KIKUCHIのCorsaというものです。
かばんのサンペイ「TAKEO・KIKUCHI」Men's Bag Cornerのちょうど真ん中ぐらいに掲載されているんですけどね。
集まりに良く持っていきますし、使用頻度が高いモノですから型くずれが起こっています。
橋の方が毛羽立ってきているんですよね。
買ったばかりは当然ながら見栄えが良いのですが、使用を重ねれば重ねるほどモノの本質というのが解ってきますな。
Fashion感覚で使い捨てが当たり前の世の中ですが、おいらは使い捨てしようとは思いません。
この鞄を購入した頃は鬱病のピーク時ぐらいで思考も何もかもが最悪な状態でした。
なぜこの鞄を購入したのか不思議に思うぐらいなのですが、モノを購入することに関しても麻痺していたのですから仕方がありません。

今購入の対象になっているのは吉田カバンのPORTERを買おうと考えています。
まあ長期目標ですけどね。
使用頻度ではCamera用の鞄の方が高いんですよね。
以前にも書きましたがDOMKEの「J-1」をかなり前から狙っていることを書いていましたな。
記事として書いたのが昨年の2007.07.14でした。
DOMKEはおいらがCamera屋さんで働いていた頃から憧れていたCamera Bagの代表的なBrandで一人前のCameramanだという意識があったモノです。
でも「J-1」でなくても良いかな~とも考えるようになりました。

まあとにかく鞄が幾つか欲しいな~と思っているんですよ。
欲しいモノを上げ始めるときりがないのですがね。
機能的な面と丈夫さというのは足を引っ張る関係にないのですから両方を詰めた鞄を購入したいモノです。
とにかく長く使えるモノが使用したいですな。

吉田カバンに関しても十代後半から二十代前半にFashion雑誌や鞄専門誌などで読んでいて欲しいと思っていたのですが、手に入れる方法が無かったんですよ。
Internetの普及というのは凄いですね~。
こんなに情報過多になるとは思っていなかったな~。
それに購入も簡単に行えるようになるとはCulture Shockを感じます。
特に自分が若かりし頃に欲しいと思っていて手に入れる手段が無かったもので、今現実的に購入する手段が存在することを実感すると本当に凄いな~と思いますね。

鬱病でとことんまで自分を蔑んで貶し「最低の生活を送らなければならない」とずっと考えていましたからね。
いざそんなことをしなくても良くて自分にも購入することが許されていることを理解できた今年の半ばぐらいからはRealに生活に影響を与えるようになってきました。
服もPantsも鞄、小物も自分の欲しいモノなんて買う価値のない人間で、ずっと生き恥を晒して生きていて死ぬ覚悟をして長らえていました。
でも自分の身体は悪くはなくお金があるならば「自分が望ましいと思うモノを購入しても良い」という事実を知った時には生きていることというのは、それほど悪くはないではないかと思い直すことが出来るようになりました。
ただただ迷惑をかけたくない、生きているだけでも周りに迷惑をかけ、醜い自分の存在をどうしても肯定できなかったのに人前に出ることを求められ続けていたのには苦痛を感じ、精神的な生き地獄を味わっていました。
まあ今でもそんなところがありますけどね。

自分自身が適正に評価してやらないと「他の人間」は誰も適正に評価してはくれません。
それは家族でもです。
家族にすら適正に評価されないのですから、赤の他人であれば望むべくもないでしょう。
何かを購入することで自尊心を得ることは目的としては間違っています。
道具というのは使うことによって目的が達成されますし、使用することによって道具たり得るんですからね。
その辺りの平衡を取らないと目的が違ってきます。

まだ自分の評価というのは最低だと思っていますし、人よりも劣っていると思い知らされています。
他の人は自分よりも上で基本的に自分は劣等種だと自覚はしています。
しかし父上が「見かけが見窄らしいからこそ着るモノは良いモノを着るようにしている」とおっしゃっていました。
もっともだと思います。
おいらの場合は父上よりも気にする必要があるということは明白です。
身の回りのモノを見直して今あるモノで良いのであれば使用し続けて必要であれば買う必要があると思うようになりました。
これだけでもかなり人間的に見方が出来るようになったと思いますな。



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