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扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

思うままに....
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JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

Identityというのは保つのが難しい 2007.09.01

2007-09-01 23:03:37 | Weblog
自分の価値観を持つことは人と関われば関わるほど非常に難しい事になっていきます...........

人というのは他の人と関わっていると少なからず影響を受けます。
たとえ反感を持っていても人と接するのであれば悪い感情を受けますし、近づきたくないと考えていても関わっていると感情的にも考えることでも多少の影響を受けるでしょう。
反感を持っている場合にさえ影響を受けるのですから「肯定的な」つまり自分の見地でも「望ましい」と考える人間から影響を受けないと言える人は偽りを語っていると行ったも過言ではありません。

正直な話を書くとおいらは肯定的な見解というのでかなり痛い目に遭いました。
んで人間としての尊厳なんかもほぼ無くしている状態です。

その事を経験したのだからよく似た事態に甘んじている方達の気持ちが良くわかるだろうと良く言われます。
確かに気持ちはわかりますし、状況的に苦しく追いつめられている方の辛さというのは解ります。
感情移入して辛さを幾分軽減できるアドバイス(助言)なんかも普通の人間であればするでしょう。

でも残念ながらおいらは人間としての尊厳をほとんど無くしているので「普通の人間」では無いんですな。
そもそもおいらを普通に人間と同じLineに立たせること自体が間違いだと考える訳です。
おいらが人に何を言えるのかを考える際に聖書を学んでそこから調べたことしか話せないとも感じます。
最近このBlogを書いていて感じることは今まで自分自身が非常に嫌悪していた「増長」や「助長」を自分自身で行っていると感じます。
確かに物事を調べる際に

1.疑問が湧き
2.答えを探して資料を調べ
3.それら資料から考えを整理し
4.答えを導き出す

という方法は間違った方法ではないはずです。
しかしわたしが何者なので偉そうなことを書いているのだろうとよく考えるのです。
そして

自分を低くし伝える人間がもっとも用いられるのではないだろうか?
神はそのように行動する人を評価されるのではないだろうか?

とここ最近のBlogの記事を読み返すと考えるようになりました。
自分自身の考えがさも正しいかのような書き方は聖書的ではありません。
すべて口から出す言葉は聖書からの裏付けを得るべきで、それが出来ていないことで発言したり記事にしたりすることは愚かなことでしょう。

まあComputerやCameraなどのSpecやSoftなどを予測して楽しむことは悪いことでは無いはずなんですけどね。
これらに重点を置きすぎることは平衡を欠いていることなので悪いことになるのでしょう。

ここ最近は結構人と話す機会が多くておいらの低脳な見解を披露する事が少しありました。
昨日も高速道路で同乗者と話をしている際に色々と話をしたのですが、まず断っておきたいことはおいらには話を扱うという特権を得る権利がないということをつくづく感じる訳です。
また「人間の誰がおいらを用いて伝えることが出来るだろうか?」とも感じますな。
神が用いて下さるというご意志がない限り、人間の観点で測ったおいらという「像」で話が聞きたいなんて簡単に言うモノではないとか考えるのです。
これはおいらが注解を行っているから考えてしまったのだろうと思われるので、もう少し注解などを減らすなどして謙虚になるように努めなければならないと感じています。
発言する内容も人によっては躓かせるような内容が多いので迂闊に会話の中で発言することを控えなければならないと考えるようになりました。

まあね。
基本的に言葉を発する際に気をつけている事は先ほど書いた「聖書的見解に基づく事=塩で味付けられた言葉」を発するようにありたいと願っています。
しかし拡大解釈や黙想などによって得られた考えというのはよく考えて発言しないとおかしな事になりかねません。
おいら自身の中に留めるのみにしておくべき事で他の人に言うような内容ではないことも少なからずあるということです。
そしてもしおいらが発言したことによって悪い面で他の人の動機を促すようなことがあってはならないでしょう。
おいらからは悪いことが出て行くことがほとんどなのですから人の動機を促すならば罪を増し加えていることに他なりません。

もしおいらの話を聞かれるのであれば「ほら話」や「うわさ話」のたぐいの聴くに値しないモノとして認識して頂きたいと思いますな。

まあ人に評価されるようなことは全くしていない人間ですので当然といっちゃあ当然ですな。
また軽率に発言してしまうことがあるので気をつけたいものです。
自分自身がなりたくない人間になって行くのを感じるのは心が引き裂かれるほど辛いのです。
昨日の同乗者との会話でやはりおいらは劣等な人間というのを再認識し直して会衆内でも一番下にいる人間なんだと確認した次第です。
もっと研究して自分自身を変えていきたいモノです。

少し昨日の事で書いておくと補○○○○仕を捉えるように促す記事が○○会で取り上げられていました。
正直なことを書くとあの記事で話を進められるとおいらは身を引き裂かれるような思いをしましたし、心も苦しい状況になりました。
久しぶりに椅子に座ってられない状態になり、自分自身のふがいなさをのろいうちひしがれてしまいました。
まあね。
話半分で聴くぐらいが丁度良いのかもしれません。
少し真面目に聴きすぎましたな..........

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