21世紀のパゾリーニのために
映画「テオレマ」&トークショー 川村毅+浅田彰
4月20日(水)PM6:00~8:30 京都造形大学 50名
川村毅は劇作家・演出家
浅田彰は哲学者ともに80年代に有名になり、今はともに造形大にいる。まあ、相変わらず個々の人文や演劇世界で注目されるひとたちだ。
パゾリーニはイタリアのこれまた世界的な芸術家。その彼が60年代に録った映画「テオレマ」(定理)の上映会。なぜ、パゾリーニか。それは若くして殺されたひとで、ようやく,死後40年たって、翻訳されたこと。日本的に注目されていること。川村毅が第三エロチカを解散し、「新宿八剣伝 第5卷」を書いてのつぎに、バゾリーニの戯曲「豚小屋」を上演すること。
それらになにか芸術としての面白さを感じたからだ。
芸術とは芸の方法であって、特別なことではない。個別的、先見的、暗示的、抽象的、哲学的であるし、日本においては非日常的で金持ちの道楽的なものにみられやすいものだ。
確かに無駄な世界であり、大学生がたくさんいるその姿は大いなる日常的むだな群れだ。でも、彼らがいてその街が安心して存在している。
映画はあるブルジョアジーの一家がそこに訪れた男に揺さぶられ、彼が突然いなくなり崩壊していく様を描いている。
暗示的な映画であった。
帰り、東大路通りにでるまでてくてく夜の左京を歩く。京大周辺学生住宅地。おしゃれな洋風居酒屋がさらりとある。学生たちのひとグループを追い越したのだか、別に酔ってるわけではないが、自分たちののりで夜の町に女の子たちが石川さゆりの「津軽海峡冬景色」「天城越え」を軽やかに歌っていた。別に歌っていても大丈夫な住宅地なのだ。「惚れ神」はでないよな。ここになんかボーダーラインがある。
楽しそう学生たちは鴨川ホルモーの世界だよな。
コアなアートからのんべんだらりだけれど、すっとしている安心住宅地は平和が息づいているのだ。
映画「テオレマ」&トークショー 川村毅+浅田彰
4月20日(水)PM6:00~8:30 京都造形大学 50名
川村毅は劇作家・演出家
浅田彰は哲学者ともに80年代に有名になり、今はともに造形大にいる。まあ、相変わらず個々の人文や演劇世界で注目されるひとたちだ。
パゾリーニはイタリアのこれまた世界的な芸術家。その彼が60年代に録った映画「テオレマ」(定理)の上映会。なぜ、パゾリーニか。それは若くして殺されたひとで、ようやく,死後40年たって、翻訳されたこと。日本的に注目されていること。川村毅が第三エロチカを解散し、「新宿八剣伝 第5卷」を書いてのつぎに、バゾリーニの戯曲「豚小屋」を上演すること。
それらになにか芸術としての面白さを感じたからだ。
芸術とは芸の方法であって、特別なことではない。個別的、先見的、暗示的、抽象的、哲学的であるし、日本においては非日常的で金持ちの道楽的なものにみられやすいものだ。
確かに無駄な世界であり、大学生がたくさんいるその姿は大いなる日常的むだな群れだ。でも、彼らがいてその街が安心して存在している。
映画はあるブルジョアジーの一家がそこに訪れた男に揺さぶられ、彼が突然いなくなり崩壊していく様を描いている。
暗示的な映画であった。
帰り、東大路通りにでるまでてくてく夜の左京を歩く。京大周辺学生住宅地。おしゃれな洋風居酒屋がさらりとある。学生たちのひとグループを追い越したのだか、別に酔ってるわけではないが、自分たちののりで夜の町に女の子たちが石川さゆりの「津軽海峡冬景色」「天城越え」を軽やかに歌っていた。別に歌っていても大丈夫な住宅地なのだ。「惚れ神」はでないよな。ここになんかボーダーラインがある。
楽しそう学生たちは鴨川ホルモーの世界だよな。
コアなアートからのんべんだらりだけれど、すっとしている安心住宅地は平和が息づいているのだ。