北海道のある町の進学塾、業務停止処分のすべてが今日のテレビで放映されていた。
世も末の状態だ。もうすでに、教育産業は過当競争の時代に入って久しい。新規に参入したとしても、先は見えている。生徒は年々減少するにもかかわらず、なぜ過当競争なのか。
それは、この産業は設備投資が極端に少なくて済むからである。教場と教師がそろえば、どれくらい生徒を集められるかで商売が成り立つ産業なのだ。
しかも、物を売るのならその品質の優劣は誰の目にも明らかだが、教育産業はサービス業なのだ。実態のない販売なのである。
一度売ってしまえば、どんなに品質が悪くても返品は皆無なのだ。
しかし、この事件ほどのひどさは初めてである。しかし、起こるべくして起きた事件と受け止めるべきであろう。
ほかの町の出来事では済ませれまい。仙台でも、周知のあすなろ騒動が続いている。
減少する生徒の奪い合いの泥仕合である。どこに、将来ある子供たちを育てていく教育の思想と信念があるというのか。
父兄が、子供への教育を金で買うという姿勢で臨むかぎり、生徒は客であり、いかにそのサービスを高く売りつけるかという塾の体制に反撃はできない。
まず、親が目を覚ますことから始めなければだめであろう。悪質商売は、それを見抜く消費者の力がなければ根絶できないのだ。