・・・・・・・・・・最初に申し上げておきます。
僕らの十日間戦争は終結を迎えました
ちょっと脱力のあまり、ブログのアップが遅れましたことをお詫び申し上げます。
さて。
☆7月8日からですね。
正確には7日から、ホリホリが始まりました。
フローリングのあちこちでおしっこをしながらホリホリホリホリしています。
部屋のあちこちに新聞を重ねた産卵床などを作ってみました。
あわよくば土ではなくてそういったとこで産まないかなー、という飼い主にありがちな思考回路で皆さんのブログを参考にしていくつか産卵場所を作りました。
段ボールに穴をあけて新聞とタオルで覆うやつとか。いろいろ。
数日はそんな感じで様子を見ていたのですが、これはダメだなと覚悟を決めて10日夜から土の産卵床に入れました。
夜だけ産卵床に入れて、日中は脱水予防のためトロ舟で過ごしてもらうパターンです。
仕事が休みの日は一日ずっと観察していたのですが、だいたいぴぃたんの今までの行動からホリホリが始まるのは早くても17時頃だったので、産むなら夜中だと確信してました。
どうしても病院の先生の言うように「好きな時に土の上に行ける環境」が作れなかったので、べつに産卵床を用意するかたちになりました。
昔ぴぃたんが使っていた衣装ケースなんで大きさが心配でしたが、まぁ大丈夫な大きさかな。
ホリホリの頻度は加速するのに産まない。
ご飯は食べない。
この頃の私の精神的疲労はMAXでした。
これ、タマゴ詰まり以前に餓死したらどうしよう。
自分の中で2週間と決めていました。
食べなくなった日からきっかり2週間。
それでも産みも食べもしなかったら病院へ行こうと。
ちょうどその2週間目が私の仕事が休みの日でもあったので、そこまではどんだけ不安でも我慢する。
9日10日あたりは仕事中も「帰ったら死んでたらどうしよう」とそればっかりで、ものすごい集中力で仕事を終わらせて定時退社していました。
傍から見たらめっちゃ優秀な社員。
☆7月11日。仕事が休みでしたので一日家に引きこもりました。
この日も日中は徘徊のみで、夕方からホリホリがスタートしました。
この日はホリホリスタートと同時に産卵床に入れました。
そこから翌朝まで、実に12~13時間ちかく、どんだけ暴れても心を鬼にして放置しました。
夜中、音がするたびに目が覚めたけど、のぞいてはならない。
そう、それはまるで鶴の恩返し。
決して覗いてはなりませんよっていう(思考回路が疲れてる)
☆そして翌7月12日朝
どれだけ土を掘り返してみてもやっぱり産んでいませんでした。
いよいよやばいのでは・・・・・土が悪いのかな・・・・100均の土だしな・・・・(←そういうとこだぞかいぬし
12日夜。
帰宅するとぴぃたんはめずらしくお水の中にいました。
産んでも産まなくてもいい。ぴぃたんが元気であれば。
そう思いながらぴぃたんの鼻先をつんつんしようと思って指を伸ばしました。
そのときです。
ぴぃたんは昔から私の手からごはんを食べています。
よって指は「ごはんが出てくるもの」と認識しています。
そのぴぃたんが指を見て口を開けました!!!!!!
「これは!!!」
と思ってご飯を入れて見たところ
食べたー!!!!!!
(写真は翌朝のものです)
それはそれはガツガツと!!!
ほっといたら一袋全部いくのではってくらいの勢いで!!!!
いやさすがに泣きましたね。
リアル涙が頬を伝いましたね。
このまま餓死してしまったら。それだけがここ数日の不安だったんですから。
詰まったら病院で手術でも何でもお願いするからと思ってたんですが(その考え方もどうかと思う)餓死だけはそのタイミングが分からなかったので、どこで病院に駆け込めばいいのかわからなかったんですよ。
このときは信じられない量を食べました。
最終的には「もうやめて、別の意味で死ぬから」と止めました(笑)
☆7月13日朝
びろーん☆
目覚めた私を待っていたのは伸びきった亀でした。
先日までの徘徊も、ホリホリも、暴れることもなにもないのどかな朝。
私の顔を見たらすぐにごはんをもらいに定位置に寄ってきました。
思えばそれも10日ぶり。
「まだ欲しい」
いやいや昨夜あんだけ食べたから(笑)
しばらくは体力回復のために毎日ご飯をあげることにします。
体重も落ちたしね。
結果的には産みませんでした。
12日以降、すべての産卵行動がなくなりました。
たぶん土の深さとか硬さとかがダメだったんだろうかと思います。
土の質ももしかしたら(100均の土だったしな・・・・)
でも今年の様子は明らかに昨年までとは全然違いました。
きっと本当にタマゴを見る日は近い気がする。
しばらくは新しい土を吟味する日々です。
とりあえずは皆様に終結のご報告まで。
いろいろ思ったことや考えたこと。おもしろかったこと(笑)
またあらためて別に書きたいと思います。
あぁ疲れた。
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