地名学では、邪馬台国は岡山です。

岡山市に隠された地名「大伯(タイハク)」があります。大伯地名と鯨面出土で邪馬台国に直結します。

邪馬台国論争の開始

2014-05-24 06:25:40 | 邪馬台国
邪馬台国論争が本格的に始まるのは、新井白石の1716年成立の『古史通或間』です。「魏志は実録に候」と述べています。
  「邪馬台国大和国(やまとこく)説」⇒「筑後国山門(やまと)郡説」。
本居宣長は『古事記伝』で邪馬台国(やまたいこく)と読み、大和朝廷とは繋がらず、九州にあった小国「九州熊襲説」を説いています。

この二人が邪馬台国研究の先駆者です。
明治、 大正、昭和、平成に渡って延々と続く論争の原点です。
明治時代は、内藤湖南(畿内大和説・京都帝国大学)・白鳥庫吉(北九州説・東京帝国大学・1865~1942)の白熱の論争があったそうです。
現代まで長く尾を引く邪馬台国論争は、二人の論争がスタートとされています。

「邪馬台国東遷説」は和辻哲郎(東京大学・1889~1960)が最初です。
邪馬台国は九州に存在し、後に東遷して大和朝廷になったという説です。

邪馬台国畿内説では『吉備国・投馬国説』とされています。


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