南宋の金履祥(仁山・1232~1303)の『通鑑(つがん)前編』への記録。
全18巻。 編者の金履祥は朱子学者。
「日本いう。呉の太伯の後なりと。けだし呉亡んで、その支庶(ししょ:傍流)、海に入って倭となる。」 周の王族の姓は姫氏であった。そのため、周から出た呉も姫姓であった。
『日本書紀』は平安時代に、721年~965年の7回の講書が行われた。
『日本書紀私記』は、 『日本書紀』を講した博士の私記です。
『日本書紀私記零本』に『姫氏国名者。倭国之名也。』と記録されています。
「倭国が「姫氏国と呼ばれていた」という記録です。
承平度の講書(936~943年)初見説があります。
全18巻。 編者の金履祥は朱子学者。
「日本いう。呉の太伯の後なりと。けだし呉亡んで、その支庶(ししょ:傍流)、海に入って倭となる。」 周の王族の姓は姫氏であった。そのため、周から出た呉も姫姓であった。
『日本書紀』は平安時代に、721年~965年の7回の講書が行われた。
『日本書紀私記』は、 『日本書紀』を講した博士の私記です。
『日本書紀私記零本』に『姫氏国名者。倭国之名也。』と記録されています。
「倭国が「姫氏国と呼ばれていた」という記録です。
承平度の講書(936~943年)初見説があります。
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