ウォーク更家の散歩 (東海道、中山道、日光街道、奥州街道)

http://www7b.biglobe.ne.jp/~akamine/
中山道を歩く(完全踏破の一人旅)

伊香保温泉 (群馬県) 2017.12.26

2018-02-28 06:15:54 | Weblog

(写真は、伊香保温泉の石段 )
年末年始は、毎年、温泉にのんびりと浸かること
にしています。
このところは群馬県の温泉にハマっているので、
年末も群馬の温泉で過ごしました。
これまで群馬県の温泉は、草津、磯部、四万
水上万座藪塚猿ヶ京宝川に行きました
が、昨年の年末は、久し振りに「伊香保温泉」
に行って来ました。
「上野」(10:50) → JR特急りょうもう号 →
(12:21)渋川 (乗車券1,193円 
+ 特急券1,030円)

上野駅では、向かいのホームに、上の写真の豪華
列車・四季島が停車していました。


上野駅から特急りょうもう号に乗り、渋川駅で
下りて、渋川駅前から路線バスで30分で伊香保
温泉です。





伊香保温泉の歴史は1,200年前と古く、万葉集に
もその名を残しています。
伊香保温泉の代名詞とも言えるのが写真の石段
です。

急傾斜の土地に造られた365段の石段、その
両側には、旅館をはじめ、土産物屋や飲食店、
射的などの遊技場が軒を連ねています。
この温泉宿と石段の始まりは約450年前、真田
幸村の父の真田昌幸によって造られたものです。

そして明治時代になると、御用邸やハワイ王国
公使別邸も造られました。



365段の石段の一番上にあるのが伊香保神社
です。



境内には、写真の「芭蕉句碑」があります。

句碑の側面には、「安永7年(1778年)戊戌 
初冬雪才建之」と彫られています。

 "初時雨(はつしぐれ) 猿も小蓑(こみの)を
欲しげなり"
 (山の中で初時雨に遭遇したので、蓑を腰に
巻いたが、樹上の猿たちも小蓑を欲しそうに
している。)
芭蕉が「奥の細道」の旅を終え、伊勢へ足を
のばした後、故郷の上野へ帰る途中に、伊賀街道
の長野峠で詠んだものとされている「猿蓑」の
冒頭句です。

また、伊香保神社の境内にはイノシシ注意の
立て看板も・・・

伊香保神社の奥の道を進んで、「河鹿橋」
(かじかばし)へ向かいます。

写真の河鹿橋は、湯沢川に架かる朱色の
太鼓橋です。

河鹿橋の脇には写真の「飲泉所」がありました。

飲んでみると、かなり錆っぽい味が強く、
美味しくはありませんでした・・・

伊香保神社に戻り、伊香保温泉のシンボルの石段
を下りて行きます。
365段の長い石段なので、石段の上の方にある
伊香保温泉バス停で下りて、石段を上から
下りて行って行った方が楽ですヨ・・・

石段をはさんで、土産物屋や饅頭屋が並び、温泉
情緒たっぷりの楽しい風景です!

また、石段街には射的などの遊戯場があります。

温泉街といえばやっぱりこれですよね!

石段沿いに、射的場が5軒もあるのには驚き
ました。

覗いてみると、意外と、若い人達が入っています。


下の写真は、老舗「勝月堂」で買った伊香保名物
の「湯の花まんじゅう」です。

今では、日本全国の温泉で必ず目にするあの
茶色い温泉饅頭ですが、実は、ここ伊香保温泉が
あの温泉饅頭の発祥の地なのです。


2時近くになって空腹になったので、前頁の写真
の「SARA'S Terrace Arraiya」に入り、
上州牛のステーキ(2,052円)を食べました。



食事を終わり、石段沿いの店を覗きながら下りて
行きます。


上の写真は、「小間口」です。

石段の下には源泉が流れており、小間口からは、
その流れを見ることが出来ます。

各旅館の温泉は、この源泉から分流しています。

次頁の写真は、江戸時代に設置された「伊香保
関所」です。
江戸時代には、三国街道の裏街道が伊香保を通過
していたために、関所がここに設置されました。

伊香保関所は休館日だったため、残念ながら建物
の内部は見学出来ませんでした。




(ハワイ王国公使別邸)



365段の石段の一番下にある石段街口バス停から、
路線バスに乗って、伊香保バスターミナルで下り、
今晩の宿の山陽ホテルへ向かいます。(1泊2食付き10,800円)


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銀座で X'mas (GINZA SIX) 2017.12.16

2018-02-27 09:40:41 | Weblog

(写真は、「GINZA SIX」の”本物の
 ”「雪だるま」)
早いもので、今年ももうクリスマスです!
この時期は、各地のクリスマスのイルミ
ネーションをご紹介してきました。

「山手線に沿ってXmas」(2006.12.19~26)、
⇒(汐留)(品川)(恵比寿)(渋谷)
  (表参道)
「大江戸線に沿ってXmas」(2007.12.17~
25)、⇒(新宿)(六本木)(日比谷
公園)
(汐留)
「みなとみらいでXmas」(2008.12.24)、
「山手線に沿ってXmas」(2009.12.21~25)、
⇒(恵比寿)(和田倉噴水)(丸の内)
 (秋葉原)
「 横浜・山手西洋館で X'mas 」(2013.12.21)、
「東京ドイツ村X’masイルミネーション」
(2014.1.4)、
「東横線に沿ってX’mas」(2014.12.11)、
「渋谷で X'mas(青の洞窟SHIBUYA)」
(2016.12.19)

今年ご紹介するのは、銀座のX'masのイルミ
ネーションです。


ポスターの写真は、先月、「GINZA SIX」の
2Fテラスで行われた「Snow Dome City」
の降雪の点灯式の石原義純と道端アンジェリカ
です。



このポスターにつられて、都心に出かけた
ついでに、「GINZA SIX」の「Snow Dome
City」に立ち寄って来ました。

「GINZA SIX」(ギンザ シックス)は、
今年4月、松坂屋銀座店の跡地にオープンした
巨大商業施設です。

GINZA SIXには、ディオール等のブランド店
の他、書店、飲食店など241店が出店しています。


前頁の写真は、そのGINZA SIXの入口に
飾られたクリスマスベルの形をした
クリスマスツリーです。


「Snow Dome City」のイベントは、この
GINZA SIXの2階の奥にある屋外のテラスで
行われていました。(~12月25日)

テラスでは、本物の雪で作られた雪だるまが
置かれており、更に、毎時00、20、40分に、
人工の雪に見立てた白い泡が降ります。

雪だるまの周りはヨーロッパの街並みのジオラマ
です。





上は、上手く写っていませんが、人工の雪が
降っているところを撮りました。


雪だるまの前では、子供連れやカップルが、
記念撮影をしていました。

(今後の降雪イベントの予定は、 21~25日の
12:00~20:00です。)

GINZA SIXを出て、銀座の町並みを散策します。



写真は、私の故郷の熊本のアンテナショップ・
銀座熊本館ですが、応援の意味もあるのでしょう
か、熊本地震以降はお客が増えた様な気がします。





写真は、「ブルガリ」のトレードマークの
蛇のジュエリーのイルミネーションで、
多くの人がカメラを向けています。

古代神話に出てくるというこの蛇は、英知、
生命力、永遠の象徴だそうです。

下の写真のお店では、AI(人工知能)の店員
が接客しています。



それでは、以下の銀座の町並みのX'mas
イルミネーションもお楽しみ下さい。


(銀座三越)


(GINNZA PLACE)


(有楽町マリオン)


(交通会館)


(和光)

以下も銀座の町並みのX'masイルミネーション
です。
お楽しみ下さい。




















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竜神大吊橋・紅葉狩り (茨城県) 2017.11.26

2018-02-26 09:20:26 | Weblog

(写真は、竜神大吊橋)
前回の「袋田の滝」の紅葉狩りの日帰りバス
ツアーの続きです。
袋田の滝からバスに乗って1時間ちょっとの
「竜神大吊橋」に向かいます。
竜神大吊橋へ向かう途中で、「月待ちの滝」に
立ち寄りました。
高さ17メートル、幅12メートルで、三筋に
流れ落ちる小さな滝です。



案内板によると、古くから、安産祈願のために、
二十三夜の月の出を待って婦女子が集う
「二十三夜講」(月待ち行事)の場とされた
ところから「月待の滝」と呼ばれ、胎内観音を
お祀りしているそうです。


水に濡れずに、滝の裏側に入ることができること
から、別名「裏見の滝」または「くぐり滝」とも
言われています。

寒い中、マイナスイオンの水しぶきを浴びながら、
足場の悪い滝の裏口への降り口へ向かいます。



また、上の写真の水森かおりの歌謡曲
「月待ちの滝 恋歌」も売っていました。

滝の前には、次頁の写真の「滝行体験」
(1回5,000円)のポスターが貼って
ありました。

ぶるぶる・・・


滝の駐車場は、リンゴ園の中にありました。



この辺はリンゴの産地のようです。
月待ちの滝を出ると、バスの中で、昼食に写真の
「ハマグリ飯」が配られました。



味がしみ込んだ歯ごたえのあるハマグリで、
とても美味かったです。

袋田の滝からバスに乗って1時間ちょっと、
「竜神大吊橋」に到着しました。

平成6年竣工のこの「竜神大吊橋」は、「竜神峡」
の「竜神ダム」の上に架けられた長さ
375メートルの歩行者専用の吊り橋で、
三島スカイウォークができるまでは日本一
だったそうです。
(通行料 大人310円)

バスガイドさんの話しだと、景観は、断然、
こちらの方が三島スカイウォークよりも良い
そうです。
竜神湖から高さ100メートルの空中散歩と、
奥久慈の絶景の大パノラマを楽しむことが
出来ます。

橋の入り口に写真のモニュメントがあり、
てっきり狐だと思いました・・・
しかし、背中に刺みたいなのがあります?
そうか!、竜なんだ!
考えてみれば、それはそうですよね、竜神峡
だから、狐では意味不明になってしまいます
ものね。
橋を渡ります。

大勢の人が渡っていましたが、橋が大きいせいか、
ほとんど揺れません。

V字形の渓谷の紅葉がキレイです。



下に竜神ダムが見えます。

橋の途中には、下が透けて見えるガラス張りの
床がありますが、かなり曇りがひどく、
よく見えません・・・


ガラス張り床を諦めて、金属製の網目の蓋の隙間
から覗くと、かすかに、下の景色が見えます。

写真は、橋の真下のバンジージャンプの
ジャンプ台に通じる降り口です。

バンジージャンプ1回の代金が、15,000円だ
そうです。

えぇ~!、高っ~!、高いお金を払って、
怖い目に遭うなんて!、絶対に嫌です。

橋を渡り切った対岸には、100円を入れボタンを
押すと、鐘が鳴らせる「木精の鐘」がありました。




「竜神大吊橋」の見学を終わると、バスは一路、
比較的順調に、横浜駅に戻って来ました。
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袋田の滝・紅葉狩り (茨城県) 2017.11.26

2018-02-25 23:26:51 | Weblog

(写真は袋田の滝)

今年の「紅葉狩り」は、日帰りバスツアーに参加
して、「袋田の滝」へ行って来ました。

茨城県の袋田の滝へ向かう途中の奥久慈の山々は
紅葉の真っ盛りでした。







バスが袋田の滝に到着し、滝の入口へ向かって
歩いて行きます。
(観瀑料金300円:バスツアー団体250円)

滝の入口から先はトンネルになっており、その
突き当りに展望台へ上るエレベーターがあります。

このエレベーターは、紅葉のピーク時には、
1時間以上の待ち時間になるらしいのですが、
この日は幸か不幸か、展望台周辺の紅葉が
完全に終わっていたので僅か5分待ちでした。

(ちなみに、1時間待ちの場合は、このバスツアー
の集合時間との関係で、エレベーターで上がる
展望台は断念しなければなりません。)


エレベーターを出ると、目の前が展望台で、更に
その脇に、より高い展望台があったので、その
階段を上って、先ずこの一番高い位置の展望台
から袋田の滝を眺めます。





四段になった岩場に、滝が無数の白い筋になって
落ちています。
袋田の滝は、最上段の滝からの落差が
120メートルもあり、「日本三名瀑」の一つに
数えられているそうです。

ちなみに、三名瀑とは、華厳の滝(日光)、
那智の滝(熊野)、袋田の滝だそうです。

残念ながら、袋田の滝の周辺の岩場の紅葉は
完全に終わっており、お目当ての紅葉と滝の
コントラストの絶景写真は撮れませんでした
・・・


それから、今度は、エレベーターで下りて、
トンネルを戻って行くと、トンネルの途中に
切れ目があり、ここにも観瀑台があります。

この観瀑台からは、滝の上段と中段部分は見る
ことが出来ませんが、轟音と共に流れ落ちる水の
流れを、間近に見ることが出来ます。


かなりの水量があり迫力です!

この観瀑台の脇に、対岸に渡ることが出来る
「吊り橋」があったので、トンネルの中を
元の入口まで引き返すのを止めて、吊り橋を
渡った対岸の散策路を歩いて元の入口を
目指します。



「吊り橋」の上は、袋田の滝の横からの撮影
ポイントになっていて、大勢の人が橋の上から
撮影していました。


また、この吊り橋の上からは、先程こちら側を
眺めていたトンネルの途中の観瀑台が見えます。
(上の写真の赤丸印の部分。)

川を跨いだトンネルの反対側の散策路を歩いて
行くと、スタート地点の滝の入口の土産屋や
食事処が並ぶ辺りまで戻って来ました。








今回の紅葉狩りは、奥久慈の山々は紅葉が
綺麗だったのですが、肝心の袋田の滝の周辺が
すっかり終わってしまっており、タイミング
としては失敗でした。

バスツアーは、ピーク時を見極めてから直前に
申し込むと満席です。

だからといって、早めに申し込むと、予想が
外れて、紅葉狩りのピーク時とずれてしまいます。

この様に、バスツアーはピーク時の見極めが
難しいので、見極めに自信が無ければ、個人で
行った方が良さそうです。

ps.
これまでの個人で行った「紅葉狩り」については、
2015/11(水上温泉)、2015/11(谷川岳)、
2014/12(皇居乾門)、 2008/11(清澄庭園
を見てね。
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横浜・山下公園のバラ園 と 芸術劇場(多部未華子 「オーランドー」 ) 2017.10.12

2018-02-24 21:43:31 | Weblog

(写真は、山下公園のバラ園)
地元の神奈川新聞が、山下公園のバラの満開を
伝えていたので、山下公園をウォーキング
してから、山下公園の近くの「神奈川芸術劇場」
(日本大通り)で芝居「オーランドー」を見て
来ました。
山下公園は、関東大震災の復興事業として、震災
の瓦礫を埋め立てて造られた臨海公園です。
昭和5年開園の山下公園のバラ園は、開園時に
寄贈されたバラの品種を中心に育てられている
そうです。



次頁の写真は、関東大震災の際に横浜市が
行った外国人救済措置に対する返礼として、
インド商組合から寄贈された「インド水塔」
です。





上の写真は、横浜市の姉妹都市のサンディエゴ
から寄贈されたミッションベルです。

(氷川丸)


(赤い靴はいていた女の子の像)

(ベイブリッジ)

(飛鳥Ⅱ)

(赤レンガ倉庫)


(マリンタワー)
神奈川芸術劇場の「オーランドー」の座席は、
開演直前に購入したために、端っこの少し
見ずらい席しか残っていませんでしたが、
舞台には近い席だったので、役者の表情は
よく見えました。





「オーランドー」は、英国女流作家のヴァージニア
・ウルフ原作の”時と性を超える物語”で、
16世紀のイングランドが舞台です。
美貌の少年貴族・オーランドー(多部未華子)が、
彼を寵愛するエリザベス女王(小日向文世)を
はじめ、数々の女性を虜にしながら、16世紀から
21世紀までの時を生きていくという、数奇な運命
の奇想天外な物語です。

(神奈川芸術劇場のチラシから)

(神奈川芸術劇場のチラシから)

オーランドーが恋に落ちるロシアの美しい姫を
小芝風花、 貴族の女性達を、野間口徹、
戸次重幸、池田鉄洋が演じています。
(演出は、神奈川芸術劇場・芸術監督の白井晃)

ロシアの美姫サーシャに、手ひどくフラれた
傷心のオーランドーはトルコに渡ります。
そして、ある日突然昏睡状態になった美しい青年
オーランドーは、目覚めた朝、何と!艶やかな
女性に変身していました!

小日向文世も、そして他の共演者も、時には男性
として、時には女性として、オーランドーの
数奇な運命の中で巡り合う役を演じます。

この芝居では、何と!、6人(多部未華子、
小日向文世、小芝風花、野間口徹、戸次重幸、
池田鉄洋)で、20役以上を演じています!

これも、やはり舞台ならではの面白さだと
思いました。

舞台では、多部と小芝が、二人でフィギュア
スケートで滑る場面がありましたが、舞台
ならではの小道具で上手くスケートシーンを
演じていました。

また、多部未華子と小日向文世の、まさかの
強烈な”生キス”のシーンもありましたが、
私の席は舞台に近かったので、二人がキスを
する時の表情がよく見えて、度肝を抜かれ
ました!


(稽古風景:オーランドーのプログラムから)
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福岡・宗像大社・大島 3/3     (世界遺産) 2017.10.7

2018-02-23 10:29:50 | Weblog

(写真は、沖ノ島を遥かに臨む「沖津宮 遙拝所」)

9月30日~10月7日に熊本へ帰省した帰りに、
世界遺産の宗像大社・辺津宮の境内で、
高宮祭場と神宝館を見学した話しの続きで、
世界遺産宗像大社の最終回です。

世界遺産・宗像大社は、「沖ノ島」の沖津宮、
「大島」の中津宮と遥拝所、「宗像市内」の辺津宮
の三社の総称です。

次頁の航空写真で、宗像市内の辺津宮から
11km離れた大島の「中津宮」、
更に49km離れた沖ノ島の「沖津宮」を
直線で結んだ先には、145km離れた朝鮮半島の
釜山があります。

この直線ルートは、古代から、朝鮮半島との政治、
経済、文化の海上路でした。
そして、沖津宮のある「沖ノ島」は、九州と朝鮮
半島とを結ぶ玄界灘のほぼ中央にあり、遣隋使や
遣唐使も、この沖ノ島を目印にして渡航していた、
という記録が残っているそうです。

「沖ノ島」は、古来より、「お不言さま(おいわず
さま)」(島に立ち入り見聞きした事は口外
してはいけない)と呼ばれ、島全体が御神体です。
従って、「沖の島」は、昔から女人禁制で、
以前は男性は禊を行って上陸出来ましたが、
世界遺産登録後は、上陸は全面禁止になりました。

残念!!
でも「安心して下さい!、ちゃんと遥拝出来ます
よ!」

「沖ノ島」には行くことが出来ませんが、沖ノ島を
遥拝出来る「大島」までは、我々一般人でも、
気軽に行けます。

という訳で、宗像大社・辺津宮の前のバス停から、
路線バスに乗り、約10分の神湊(こうのみなと)
へ向かいます。
宗像市の沖合い10キロに浮かぶ人口700人の
「大島」へは、ここ神湊の神湊港からフェリー
で25分です。(片道560円) 
(客船・しおかぜだと、たったの15分です。)



周囲8キロ、人口900人の島ですが、福岡県では
一番大きい島なので「大島」の名前が付いた
そうです。

風もなく海は穏やかですが、世界遺産指定から
間もないせいか、フェリーは観光客で超満員です。


大島が見えてきました。




フェリーが「大島港ターミナル」に着岸すると、
観光バス「グランシマール」が待ち構えています。


(300円、1日乗車券700円)

先ずは、観光バスで約10分の島の反対側にある
「沖津宮遙拝所」(おきつみや ようはいしょ)へ
向かいます。

観光バスが峠を下ると、眼下に真っ青な海が
見えました。

海岸の近くのバス停で下り、そこから石段を
上ります。









沖津宮遥拝所に参拝してから、青い海の水平線に
目を凝らします…



天候も良いので、ここ「沖ノ島遥拝所」からは、
前頁の写真の赤線矢印の位置に、ぼんやりと
「沖ノ島」が見えるハズなのですが?

島影さえ見えません・・・

念のため、カメラのズームで覗き込んでみますが、
やはり見えません・・・

この時期は、中国からのPM2.5の影響で、
見えづらいらしいです。

沖ノ島の遥拝を諦めて、観光バスで「日本海軍の
砲台跡」へ向かいます。


島の牧場を抜けると、大規模なテーマパーク
の様な絶景が目の前に広がってました。


この広々とした草原の一角には、上の写真の
砲台跡が残ってました。

ここまでの疲れが吹っ飛ぶ様な素晴らしい景色
です。

大島観光の際には、ここ風車展望所からの絶景は
絶対に外せません!


最後に、観光バスで、大島ターミナルに戻り、
ターミナルの近くの宗像三神の端津姫神
(たきづ ひめのかみ)を祀る「宗像大社
中津宮」へ歩いて行きます。


港の横を進んで行くと、数分で「中津宮」に
到着しました。






一つ目の鳥居と二つ目の鳥居をくぐり、石橋を
渡って、急な石段を上っていきます。




中津宮の本殿・拝殿に着きました。


本殿は、宗像氏貞の建立、切妻屋根の拝殿は、
福岡藩主・黒田氏の再建です。

中津宮の本殿・拝殿は、海を隔てて、宗像市内の
辺津宮と向かい合う様に鎮座しています。



中津宮には、鎌倉時代から現代まで、七夕祭が
あり、「七夕伝説」発祥の地といわれています。


帰り道は、フェリーで神湊へ戻り、神湊から、
西鉄特急バスで1時間、福岡天神へ向かい、
天神から地下鉄で福岡空港へ向かいました。


ps.
フェリー、路線バス、大島島内観光バス、全て
本数が非常に少ないので、上手く時間を合わせ
ないと、全ては回れないので、上手く組み合わせ
が出来ない場合は、一部タクシーを利用するのも
一方法かなと思います。
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福岡・宗像大社の神宝館 2/3     (世界遺産) 2017.10.7

2018-02-22 07:33:02 | Weblog

(写真は、沖ノ島で発掘された国宝の純金製指輪)
9月30日~10月7日に熊本へ帰省した帰りに、
世界遺産の宗像大社・辺津宮に立ち寄った
話しの続きです。

宗像大社・辺津宮の境内に「神宝館」
(しんぽうかん)があったので、入館
してみます。
(800円)

(800円:写真撮影不可)

神宝館には、ここ宗像大社・辺津宮から60キロ
離れた「沖ノ島」から発掘された8万点に及ぶ
一括遺物の主な物が展示されています。
そして、何と!、驚くことに、戦後、十数年
かけた沖ノ島の調査で発掘された、4~9世紀の
出土品・約8万点の全てが国宝に指定されて
いるのです!

主な展示品は、古墳時代から平安時代にわたり、
中国・朝鮮半島製品を含む、各種の銅鏡、
金銅製の馬具類のほか、土師器、三彩陶器、
滑石製品、玉類、刀剣類などです。

これらの8万点もの国宝が発掘された沖ノ島は、
玄界灘に浮かぶ絶海の孤島であり、1500年も前
から、神様のご託宣を仰いでいた場所です。

この島の祭壇には、当時の最高の宝物が捧げ
られていました。
捧げられた物は、決して人間の手で触れては
ならない、との厳しい掟があったため、戦後の
発掘調査が行われるまで、1500年もの間、
そのまま手つかずでした。

発掘調査が行われるまで、”不言様(おいわず
さま)”と呼ばれたこの島は、島の物を
一木一草一石たりとも持ち出してはならず、
この島で見たり聞いたものをしゃべっては
ならない、そして女人禁制という厳しい掟が
存在しました。

戦後、十数年かけた沖ノ島の調査で12万点を
超える品が発掘されましたが、そのうちの
8万点が一括国宝に指定されました。

この一括国宝の数は日本一であり、「海の正倉院」
と称されています。

12万点もの出土品は、ここ神宝館に収められて
いますが、沖ノ島には未だ、残りの陶器や磁器の
破片がいたるところに点在しています。

そして、この発掘調査を支援したのが、映画
「海賊と呼ばれた男」で有名な出光石油の
出光佐三でした。

館内は撮影禁止なので、以下の写真は、世界遺産
認定時の日刊スポーツ・号外版の写真と、神宝館
のパンフレットの写真からの転載です。

特に、下の写真の「純金製指輪」は、とても
古代の指輪と思えないくらいピカピカの
真新しい印象で、デザインもティファニーで
売っている様な?現代的な感性で感動しました!

(日刊スポーツから)


(日刊スポーツから)



(日刊スポーツから)


(日刊スポーツから)



(日刊スポーツから)


(日刊スポーツから)



(日刊スポーツから)


(神宝館パンフレットから)



(神宝館パンフレットから)


(神宝館パンフレットから)



(神宝館パンフレットから)


(神宝館パンフレットから)

それにしても、”8万点”の国宝というのは、
数が多すぎてピンときません・・・

8万点をどうやって数えたのでしょう?

そして8万点のリストはどのくらい分厚い本
なのでしょうか?
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福岡・宗像大社 1/3 (世界遺産) 2017.10.7

2018-02-21 00:03:16 | Weblog

(写真は、宗像大社・辺津宮の本殿)

9月30日~10月7日に、所用で実家の熊本へ帰省
しました。

7日の帰京日は、高速バスで熊本から福岡・博多駅
へ向いました。

JR博多駅から、鹿児島本線で、世界遺産「宗像・
沖ノ島と関連遺産群」に立ち寄ってから、福岡
空港へ向かい帰京しました。

順を追って説明しますと、先ずは、JR博多駅から
鹿児島本線に乗り、東郷駅で下車します。



東郷駅前から、路線バスで20分の世界遺産「宗像
(むなかた)大社・辺津宮(へつみや)」へ
向かいます。



宗像大社前・バス停で下車して、「宗像大社・
辺津宮」の鳥居をくぐり、池にかけられた石橋を
渡って、本殿に向かいます。




拝殿の奥の赤い建物(上の写真の右側)が「本殿」
ですが、拝殿では、ちょうど結婚式が行われて
いましたので、残念ながら拝殿の正面からの写真
は撮れませんでした。

赤い本殿の屋根の下には、次頁の写真の青丸印
の「懸魚(げぎょ)」と呼ばれる装飾が下がって
います。

懸魚は、火災から建物を守るための魚を模した
願掛けです。


本殿は1578年に大宮司・宗像氏貞が、拝殿は
1590年に小早川隆景が、各々再建した国重文で、
共に、安土桃山時代初期の神殿建築様式です。


境内には、写真の様に、江戸時代初期の建立と
いわれる「末社」がたくさんあります。






本殿の右の高宮参道の入り口を通り、「高宮祭場」
へ向かいます。
高宮参道を少し進むと、左側に、下の写真の
「第二宮」(ていにぐう)と、「第三宮」
(ていさんぐう)があります。





古事記や日本書紀に書かれている様に、宗像大社
の神様は、実は、天照大神(あまてらすおおみ
かみ)の3人の娘(宗像三女神)なのです!

長女・田心姫神(たごり ひめのかみ)は、
ここから60キロ離れた「沖ノ島」の「沖津宮」、
次女・湍津姫神(たぎつ ひめのかみ)は、
ここから11キロ離れた「大島」の「中津宮」、
三女・市杵島姫神(いちきしま ひめのかみ)は、
”九州本土”のここ「辺津宮」に祀られています。

そして、第二宮は沖ノ島の沖津宮の分社で
(次頁の写真の(2))、第三宮は大島の中津宮
の分社なのです。(下の写真の(3))



ちなみに、第一宮は、ここ辺津宮の拝殿と本殿を
指します。(上の写真の(1))

大和朝廷の時代、大陸への海路は、重要な
”海の道”でした。
この海の道を守っているのが、「宗像三女神」
なのです!
この航海安全祈願は、現代では、車の交通安全
祈願となりました。

実は、最初に、交通安全のお守りを売り出して、
車のお祓いを行ったのが宗像大社なのです。


第二宮、第三宮から、高宮参道に戻り、更に、
道の石段を上って行きます。



かなり急な石段で、ようやく、”祭神の市杵島
姫神(三女)が降臨した場所”と伝えられている
下の写真の「高宮祭場」(露天の「古代祭祀」
遺構)に着きました。







この高宮祭場(たかみやさいじょう)の地中に
ある「下高宮祭祀遺跡」は、この社殿が建立
されるもっと前から、祭事が行われていた聖域
です。


奥の木は、女神が降臨したとされるご神木
「神籬(ひもろぎ)」で、前頁の写真の様に、
注連縄(しめなわ)が掛かっています。
(赤丸印)

ここ高宮祭場では、毎月「月次祭(つきなみ
さい)」が、毎年10月3日には、「神奈備祭
(かんなび さい)」が行われています。

つまり、この信仰の場は、古代から現在まで、
宗像地域の人々によって守られており、
この信仰の引継ぎが、世界遺産に認定された
理由でもあるのです。

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忍城(埼玉県行田市)         (続日本100名城) 2017.9.13

2018-02-20 01:23:27 | Weblog

(写真は、忍城の御三階櫓)

前回ご紹介した「田んぼアート」(埼玉県行田市)
を見物した帰り道の路線バスを途中下車して、
映画「のぼうの城」で有名になった「忍(おし)
城」に立ち寄ってみました。

横浜(9:42) → JR湘南新宿ライン・高崎線→
(11:22)行田駅(11:30) → 市内循環バス→ 
(12:01)古代蓮の里(田んぼアート)

古代蓮の里(13:46)→市内循環バス→
(14:04)市役所前 → 「忍城跡」

忍城跡→水城公園(16:38)→市内循環バス→
(16:47)行田駅(16:58)→
JR湘南新宿ライン・高崎線 → 横浜(18:34)



”関東七名城”に数えられる「忍(おし)城」は、
室町時代中期に、成田氏によって築城されました。

北を利根川、南を荒川に挟まれた扇状地の広大な
沼地を巧みに利用した城です。
上杉謙信との戦いにも耐えた”難攻不落の城”
でした。

1590年、豊臣秀吉の小田原征伐に伴い、豊臣方・
石田三成の水攻めに耐え抜いた逸話から、
”浮き城”とも呼ばれました。
(”三成の忍城水攻め”については、このブログの
  最後で、映画 「のぼうの城:あらすじ」
  としてご紹介します。)

江戸時代に入ると、忍藩10万石の城として、
御三階櫓(やぐら)が建設され、城郭改修や
城下町の整備が行われました。

”知恵伊豆”として有名な松平信綱は、忍城主
から川越城主となり、幕府のNO2として実権を
握りました。

忍城は、戊辰戦争の際は戦火を逃れましたが、
明治6年、城の主な建物が競売に付されて民間に
払い下げられてしまい、土塁の一部を残すのみ
となりました。


(忍城の全景:行田市郷土博物館の展示解説図録
 から)


田んぼアートの帰りの市内循環バスを、市役所前
で途中下車して、徒歩5分の「忍城跡」へ向かい
ます。

行田市といっても、私は、中学の社会科で習った
”足袋(たび)の産地”くらいの知識しかありません。

「忍城跡」は、現在、本丸跡には御三階櫓が再建
され、櫓(やぐら)の中は「行田市郷土博物館」
になっています。



上の写真は、本丸の南西に残る「本丸土塁」で、
5メートルほどの高さで、洪水時の堤防の役割も
兼ねていたそうです。





上の写真は、1832建立の「伝進修館 表門」で、
行田市・吉川家から移築されたもので、
かつての藩校・進修館の表門だったそうです。





写真は復元された「御三階櫓」で、内部は
博物館になっています。

館内には、忍城の歴史や、行田市の名産である
足袋に関する資料等が展示されています。
(撮影禁止:200円)



(忍城の中心部分:博物館の展示解説図録から)

館内は撮影禁止なので、忍城全景などの展示品の
写真は、購入した「常設展示解説図録」(500円)
の写真を転載しました。



御三階櫓の最上階からは市内の景色が一望
出来ます。

写真は、博物館の脇の「鐘楼」で、1717年に
桑名藩主・松平忠尭により鋳造され、1823年に、
桑名からここへ移設されました。



上の写真の「東門」からお城を出て、二の丸の
東側へ向かいます。





二の丸東側は、遊歩道になっており、「冠木門」
が建てられています。


冠木門から、忍城跡の隣にある、忍城の水堀を
整備した「水城公園」へ向かいます。

水城公園に向かう途中、写真の藩主・松平忠尭
(ただたか)の「隠居所跡」の石碑が建って
います。
忠尭は、1823年、桑名から忍に移封になりました
が、文教を興し、ここに隠居しました。

また、中央小学校の校門の前には、三の丸への
門だった「成田門」跡の石碑が建っています。
(上の写真)


写真は、「水城公園」で、城を囲んでいた沼の
うち、東南部分が水城公園として残されています。



水城公園を抜けて、水城公園から市内循環バスに
乗り、JR行田駅へ向かいます。




ps.映画 「のぼうの城」のあらすじ

天下統一目前の豊臣秀吉(市村正親)は、唯一
残された敵である北条氏の小田原攻めを開始
します。

北条氏は、関東各地の支城の城主に、籠城して
防戦するように命令します。
周囲を湖で囲まれた”浮き城”の名をもつ「忍城」
もその支城の一つでした。

秀吉に命ぜられた「石田三成」(上地雄輔)は、
2万の軍勢を率いて忍城に迫ります。

当時、小田原城に詰めていた忍城主の成田氏長
(西村雅彦)に代わって、忍城を守っていたのは
「成田長親」(野村萬斎)でした。
長親は、農民たちから“のぼう様”(でくのぼう
の意)と呼ばれて、親しまれていました。

忍城主の氏長は、留守を預かる長親に、攻撃を
受けたら開城せよ、と命じていました。
しかし、「甲斐姫(城主の娘)を秀吉に差し出せ」
との秀吉の軍使の要求に対し、長親は、氏長の
事前の指示に反して、突然、「戦いまする」と
返答してしまいます。

このとき、三成側の2万人の大軍に対し、
忍城側はたったの500人でした。
忍城側に圧倒的に不利な戦いでしたが、長親が
戦うと聞き、長親を慕う百姓たちも立ち上がり
ます。

そして、忍城軍は、地の利を生かした戦術で、
いったん三成の軍を退けます。

忍城が手強い相手だと知った三成は、「水攻め」
を決意し、忍城の周辺に巨大な人工の堤を築きました。

これにより水攻めを受けた長親は、三成軍の前
まで舟を漕ぎ出して、舟の上で田楽踊りを舞い
ます。

この舞いには、三成の軍も称賛しますが、三成は
長親を銃撃させ、長親は負傷します。

これを見た百姓たちは、水攻めの為の堤を、
こっそりと壊します。
堤は決壊し、三成の水攻めは失敗に終わりました。

三成が方針を変更して、総攻撃を行おうとした
矢先に、小田原城落城の知らせが忍城にも届き、
忍城側は已むなく開城します。
小田原城の落城時まで持ちこたえた支城は、忍城
だけでした。


(忍城の水攻めのための堤防工事を抜かりなく行う
 様に命じた秀吉の朱印状:博物館の展示解説
 図録から)


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ギネス認定・田んぼアート  (埼玉県行田市)  2017.9.13

2018-02-19 22:53:32 | Weblog

(写真は、神話をテーマにした「田んぼアート」)
”世界最大の田んぼアート”としてギネスにも
認定された「行田・田んぼアート」に行って
来ました。

横浜から、湘南新宿ライン・高崎線に乗り、
乗り換えなしで、行田駅で下車します。

駅の脇の下の写真の観光案内所で、「田んぼ
アート」への行き方を教えてもらいます。

親切な案内所のおばさんが、バス乗り場へ案内
してくれて、注意点を教えてくれました。

それによると、「田んぼアート」へ行くには、
行田駅東口から、11:30発の「市内循環バス」
に乗りますが、同じ行先の11:30発の循環バス
が2本あり、そのうちの「観光拠点循環コース」
の方に乗らないといけません。
同じ行先のもう1本に乗っても「田んぼアート」
には行かないので注意して下さいとのこと
でした。

「田んぼアート」行きは、1~2時間に1本程度
と、本数が少ないので、事前にバスの時刻表を
チェックしてから出掛けることをお勧めします。

市内循環(観光拠点循環コース)・右回りで
約30分、「古代蓮の里」で下車します。
(150円)

お腹がすいたので、先ず、「古代蓮会館」の前の
食堂で、写真の「ぶっかけ蓮きんぴらうどん」
(560円)を食べます。


「古代蓮の里」の「古代蓮会館」のタワーが
「田んぼアート」の展望台を兼ねています。
(400円)

「古代蓮会館」は、休業日が不規則なので、こちら
もホームページでの事前チェックが不可欠です。

古代蓮の見頃は、6月下旬~8月上旬ということ
もあり、1階の古代蓮の展示には目もくれずに、
田んぼアートの展望台に上ります。

(展望台の1階の古代蓮の展示スペース)

「行田・田んぼアート」は、埼玉県行田市の”古代
蓮の里”に隣接する水田で、2008年から行われて
いるプロジェクトで、田んぼをキャンバスに
見立て、色の異なる複数の種類の稲を使って文字
や絵を描きます。

古代蓮会館の展望室に登らないと、田んぼアート
全貌を見ることが出来ません。

上の写真の周囲の車の大きさと比較すると分かる
様に巨大な田んぼアートです!

展望室の高さは、50mもあるのに、田んぼ
アートが大きすぎて、カメラに完全には収まり
切りません。

上の写真の3つの赤丸印の様に、左から
0メートル、10メートル、50メートルと、
道路にスケールが描かれていますが、何と、
横幅は150m以上もあり、確かに巨大アート
です!

デザインは毎年変わり、その年ごとの趣向を
凝らしたアートを楽しむことができます。

展望室の上の写真の説明によると、ボランティア
や一般参加者の協力により、毎年、この特殊な
田植えが行われます。

一般的な米の他に、古代米、餅米、観賞米などの
7品種の稲が使われています。

これらの稲の葉や穂の色によって、緑、黄緑、
濃紫、黄、白、橙、赤といった色が作られる
そうです。

そして、品種によって異なる生育具合を、肥料の
量などを上手く調整しながら育てるそうです。

7月下旬から8月にかけて、稲が色濃くなり
絵柄がはっきりと映し出されます。

そして、今月(9月)には、田んぼアートは
少しずつセピア色に変化し始め、10月に
入ると終わりです。

稲の成長具合によって、少しづつ絵の色が
移り変わっていくので、時期によって表情が
異なるのだそうです。


前頁の写真が、デザイン画(設計図)だそうです
が、実際とちょっと発色が違うのは、今年の異常
気象で、本来の色が発色しない稲があったからだ
そうです。

今年は、田んぼアート10周年ということで、
2枚の田んぼアートが用意されました。


1枚は、ここ行田の足袋(たび)作り100年の
老舗が、ランニングシューズ作りに挑む、
という池井戸潤の小説「陸王」がテーマです。

小説は、”海もない、空港もない、でも「陸王」
がある埼玉県”が舞台です。

来月(10月)のTBS日曜劇場「陸王」の宣伝用
みたいです。

もう1枚のテーマは「神話」で、スサノウノ
ミコトと、イナダヒメノミコトを描いています。
ここの田んぼアートは、人物の影や文字まで、
非常に緻密に表現されていて、とても稲で
描いたとは思えません。

近くから見ると、どの様になっているのでしょう
か?

気になるので、展望室から下りて、写真の赤丸印
の所へ行ってみました。










写真の様に、複数の種類の稲を使って色の違いを
出していますが、田んぼのあぜ道からは、
デザインの全体像は全く分かりません・・・





こちらは、辛うじて「TBS」の文字が
読み取れます。

趣向を凝らしたデザインに、行田市の本気度を
感じました。

毎年デザインが変わるので、次はどんなデザイン
になるのか楽しみです。

埼玉など近くの方は、見に行ってみてはいかが
でしょうか。
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岐阜県・白川郷 (世界遺産) 2017.9.3

2018-02-18 09:05:25 | Weblog

(写真は、展望台からの白川郷の全景)


9月2日に、富山・八尾の「おわら風の盆」を
見物した我々のパック旅行のバスは、翌朝、砺波
(となみ)駅の横のビジネスホテルを出発して、
白川郷へ向かいます。



白川郷の駐車場で下りて、「であい橋」(吊り橋)
を渡り、白川郷の集落(世界遺産)へ向かいます。
白川郷の集落の中に入ったら、先ず、速足で、
展望台行きのバス乗り場を目指します。
20分に1本の展望台行きのバスに乗りました。
(往復400円)

写真は、そのバスの終点の白川郷の全景が
見渡せる「荻町城跡展望台」です。

眼下に広がる114軒もの「合掌造り」と
呼ばれる茅葺屋根の集落、水田、集落を取り囲む
山々、まるで昔の日本の原風景です。

ここは、白川郷で最高の撮影ポイントです。

展望台からの写真で分かる様に、白川郷の
合掌造りの全ての屋根が、南北に平行に
造られています。

それは、南北に細長い白川郷の渓谷には、谷筋に
沿って南北の風が吹き抜けるので、各家が風を
受ける面積を少なくするためだそうです。

その構造のおかげで、屋根裏の窓を開放すれば、
その吹き拔ける風で、夏場の蒸し暑い屋根裏が
カラリと涼しくなり、蚕が蒸し暑さでやられる
ことを防げたのだそうです。

そして、南北に平行な”屋根の向き”により、
”屋根の面”は東西に向くことになり、一日中
屋根に太陽が当たるようになり、屋根に厚く
積もった雪は溶け易く、濡れた屋根も乾き易く
なります。





展望台からバスで集落に戻り、合掌造りの建物を
眺めながら散策します。
大きな茅葺(かやぶき)屋根を、三角形に組む
丸太の組み方が、手のひらを合わせた「合掌」の
形に見えるので、「合掌造り」と呼ばれます。

この合掌造り独特の屋根の傾きは、豪雪地帯の
雪下ろしの作業をしやすくするためだそうです。

「合掌造り」は、一般的には、1階は、居住
スペース、紙すき、硝煙製造の作業場です。
上階は、釘を全く使わずに、太い柱と梁を組み、
荒縄とマンサクの枝で縛り上げた、堅牢で
柔軟な造りの養蚕の作業場です。
白川郷では、合掌造りの数か所の建物内の見学が
できます。
次頁の写真は、築300年以上という国重要文化財
「和田家住宅」です。

江戸時代に、代々庄屋を務めたという和田家は、
屋敷構えとして、石垣や防風林、消雪用の
石組溝や池を構え、土壁や庭園が当時の裕福ぶり
をうかがわせます。

中に入ってみます。(300円)
往時には、20人以上もの人が、この建物に住んで
いたというから驚きです!

(仏壇の間)


(囲炉裏)


1階が生活空間で、2階から上は、養蚕業などの
仕事のスペースとして使用されていました。

合掌造りのもう一つの特徴は、両妻(家の側面)
に明かりを取るために設けられた前頁の写真の窓
です。

2階から上の床には、下の写真の様な格子状の
隙間があり、冬には、囲炉裏から立ち上る暖気で
暖かさがが保たれる様になっています。


次頁の写真の様に2階の天井は意外と高く、
展示物で、蚕業や煙硝(火薬の原料)作りで、
栄えていた往時の生活を垣間見ることが
できます。


黒光りする立派な柱が、歴史を感じさせます。

写真の様に、屋根組みには釘を1本も使わず、
丈夫な縄で固定されています。

この縄が雪の重さや風の強さに対するしなやかさ
を生み出し、建物の耐久性を増すことになって
いるそうです。



和田家住宅を出て、次に、下の写真の「長瀬家
住宅」に入ってみます。(300円)

「長瀬家住宅」は、何と!、5階建ての合掌造り
です!

長瀬家は、加賀藩の漢方医でした。



1階は居間で、前頁の写真の500年前の壮麗な
仏壇があり、また美術品、食器などが展示
されています。



上階には、和田家と同様に、機織り機、農具、
馬の鞍など、昔の生活用具が展示されています。



上の写真は、平成13年の屋根の葺き替え作業の
写真で、全国からのボランティアも含め500人
以上が参加したそうです。

長瀬家を出て、慌ただしく、下の写真の「神田家」
に入ります。(300円)



神田家の合掌造りは、江戸後期に、石川県の
宮大工が10年もの歳月をかけて建造した
そうです。
ここの床下では、火薬の原料となる硝煙
(しょうえん)を作っていました。

下の写真は、「曲がり梁」で、雪の重みで根元が
曲がって丈夫な木を利用した梁(はり)です。


次頁の写真は、中2階の「火見窓」で、使用人の
寝室にあり、囲炉裏の火の用心をするための小窓
です。



(中2階)

(4階)


神田家を出て、合掌造りの合間を縫って散策
します。


どこを向いても長閑な田舎の風景です。






上の写真は、合掌造りの食事処です。


五平餅、みたらし団子、飛騨牛の串焼き等、
グルメの食べ歩きも楽しそうです。


上の写真は、合掌造りの土産屋で、どこか
懐かしい雰囲気です。


我々のパック旅行のバスは、白川郷での自由時間
が2時間しか無かったので、展望台から白川郷の
全景を眺め、合掌造りの建物内の見学を3軒
終わったところで時間切れになってしまいました。

合掌造りの美味しそうな蕎麦屋、喫茶店、
土産物屋などもあったのですが、立ち寄る
時間が無くて心残りでした。
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金沢・兼六園 2017.9.2

2018-02-17 21:38:22 | Weblog

(写真は、兼六園のシンボル・二本足の
 「徽軫(ことじ)灯籠」)

今回の9/2~3日の日程で、風の盆、白川郷、
ひがし茶屋街へ行ったパック旅行の話しの
続きです。

9月2日の朝、横浜を出て、昼過ぎに金沢駅に
着いたツアーは、金沢駅前から、前回ご紹介した
「ひがし茶屋街」を見物したあとに、直ぐ近くの
「兼六園」へ向かいます。

1日目:横浜駅 → 東京駅 (10:08) → 新幹線
  かがやき525号→(12:43)金沢駅
 (観光バス)→ 「ひがし茶屋街」→(観光バス)
→ 「兼六園」→(観光バス)→ 「越中八尾」
  →(観光バス)→ 砺波(となみ)泊

2日目:砺波 →(観光バス)→ 「白川郷 →
 (観光バス)→ 越後湯沢
  越後湯沢駅 (19:01) → 新幹線とき号→
 (20:12)東京駅 → 横浜駅



「兼六園」は、ご存知の様に、岡山の後楽園、水戸
の偕楽園と共に、「日本三名園」の一つで、
金沢城跡の東南にあります。


日本三名園は、共に、江戸時代の「池泉(ちせん)
回遊式」の大名庭園です。

池泉回遊式庭園とは、中心に池を設け、その周囲
を巡りながら観賞する江戸時代の代表的な庭園
形式です。

偕楽園の梅、後楽園の芝に対して、兼六園は松が
有名です。

特に、下の写真の”北陸に冬を告げる風物詩
「雪吊り」”の作業を終えた「兼六園の松」の
イメージが強いです。

(兼六園のパンフレットから)

兼六園は、もともとは、金沢城の外郭として城の
一部でした。

「兼六園」の名前の由来は、宋の詩人・李格非
(りかくひ)の書いた「洛陽名園記」の文中から
とったもので、「宏大、幽邃(ゆうすい)、
人力、蒼古(そうこ)、水泉、眺望」の”六勝を
兼ねた名園”、という意味だそうです。


以下に、兼六園の見どころを写真でご紹介します。

山崎山という小さな山の上り口の石段の脇に
「芭蕉の句碑」があります。
 ”あかあかと 日はつれなくも 秋の風”
 (「奥の細道」から:金沢にて)
 (立秋も過ぎたというのに、夕日は相変わらず
  赤々と照りつけ残暑はきびしいが、さすがに
  風だけは秋の気配を感じさせる。)

次頁の写真は、兼六園のシンボルの「徽軫灯籠
(ことじ とうろう)」で、片足だけを池の中に
入れた”二本足の灯籠”です。


前方にある虹橋を琴に見立てると、後方の灯籠が
琴の絃(いと)を支える駒に見えるので、徽軫
(ことじ=琴柱)と名付けられたそうです。

上の写真は、「霞ヶ池」(かすみがいけ)で、
兼六園の中心部にある大きい池で、池の中には、
蓬莱島という亀の形をした島が浮かんでいます。



上の写真は、虎が吠えている姿に見えることから
「虎石」と名付けられた石です。
龍石、獅子巌と共に、兼六園の三名石の一つで、
兼六園を守る魔除けの石です。

下の写真は、「眺望台」で、兼六園の六勝のうち
の1つ「眺望」は、ここからの眺めを指すそう
です。



前頁の写真は、「七福神山」(しちふくじんやま)
で、築山に、七福神をなぞらえた天然石が置いて
あります。

七福神山は、12代藩主斉広が造った竹沢御殿の
庭園の一部で、護岸の石組み、雪見橋や雁行橋、
雪見灯籠などの配置もほとんど当時のまま残って
います。



上の写真は、「明治紀念之標」で、兼六園を
見下ろす様な日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
の像です。

西南戦争で戦死した郷土軍人を祀るために、
明治13年に建てられました。



上の写真は、「根上りの松」で、40本以上の根が
土から盛り上がったように見える松で、13代藩主
の前田斉泰が植えたと言われています。

約2メートルも地上部分にせり出した松の根の
壮観な立ち姿が有名です。



上の写真は、「黄門橋」で、長さ6メートル、
幅1メートルもある一枚石です。

”黄門”とは、中国名で中納言のことであり、
3代藩主・前田利常(としつね)が 、従三位
権中納言に昇進した際に名付けられました。

次頁の写真は、日本で最初の「噴水」です。

この噴水の上にある霞ヶ池を水源としており、
自然の水圧だけで、約3.5メートルも噴水が
上がっています。

1861年に、前田斉泰が、金沢城内の二の丸に
水を引くために試作させたと言われています。


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金沢・ひがし茶屋街 2017.9.2

2018-02-16 16:17:36 | Weblog

(写真は、金箔ソフトクリーム)   
今回、9/2~3日の日程で、風の盆、白川郷へ
パック旅行で行ったときの話しを、スタート
まで戻します。

パック旅行ツアーは、9月2日の朝、新幹線で
昼過ぎに金沢駅に着きました。
夕方にスタートする「風の盆」まで、未だだいぶ
時間があるので、パック旅行は、金沢駅前から、
金沢の街の中心の「ひがし茶屋街」へ向かいます。
「ひがし茶屋街」は、江戸時代末期の茶屋の特徴を
良く残しており、重要伝統的建造物群保存地区に
指定されています。

1820年に加賀藩の許可を得て、ひがし茶屋街が
開かれ、以来、城下随一の賑わいを見せていた
そうです。

茶屋街の通りに面して、1階は、紅殻格子(べに
がらごうし)と呼ばれる揃いの出格子で、2階は、
座敷を備える吹き抜けの縁側のお茶屋です。

茶屋街に並ぶ店々は、外観は、江戸時代の茶屋の
風情を残したまま、中は、和菓子屋、金箔などの
土産物屋、食事処などに改装されています。

江戸時代のセットのような街中をプラプラと散策
しました。

メインストリートは、大勢の観光客で大混雑
ですが、浴衣姿の若い女性もちらほらと
見かけられます。



先ず、上の写真右側の建物の「箔一」(はくいち)
に入り、金沢名物の「金箔ソフトクリーム」を
食べます。(891円)

金箔1枚がそのままかけられています。
ソフトクリームは美味しかったですが、金箔は
味がしませんでした・・・

食べ終わると、唇に金箔がたくさん付いて
いました。


やはり、茶屋の中を見ておきたいので、1820年に
建てられたという前頁の写真の茶屋建築の「志摩」
に入ってみました。
(国重要文化財:撮影可:500円)

2階の優美で粋な造りの客間、典型的なお茶屋の
庭、井戸、石室などを、創建当時のままの姿で
見る事が出来ます。

次頁の写真の台所の説明には「お茶室は
あくまでも遊芸を楽しむ所で、料理は
仕出し屋等から取り寄せられていた」と
書かれています。





茶屋建築は、2階を客間(座敷)とするため、
2階部分を高く作り、通りに面して、高欄と
張り出しの縁側を設けているのが特徴だそうです。

2階の客間で、ひがし茶屋街のお茶屋の説明を
受けます。
その説明によると、一見さんお断りで、地元の
金持ちの旦那だけがお客だったそうです。
そして、驚くことに、武士は、お茶屋への出入り
禁止だったそうです。



琴、琵琶、太鼓などが置いてあり、お座敷の
雰囲気を味わうことが出来ます。

(2階から眺める中庭)

上の写真は、「石室」への入口の石段で、石室
とは、食物などを保存するための石組み造りの
貯蔵庫で、内部には井戸が掘られているそうです。



「志摩」を出て、茶屋街の景観を楽しみながらを
散策します。


ツアーバスの駐車場に戻り、重箱に入った「利家
御膳」(1050円)を、バスの中で食べながら、
越中八尾の風の盆へ向かいます。





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越中八尾 「おわら風の盆」 2017.9.2

2018-02-15 07:48:04 | Weblog

(写真は「おわら風の盆」)

ずっと以前から、一度は行きたいと思っていた
富山・八尾(やつお)の「おわら風の盆」に、
念願叶って行って来ました。

江戸時代に始まった「越中八尾 おわら風の盆」
は、二百十日の台風を封じ、五穀豊穣を願う祭り
として、民謡「越中おわら節」の哀愁ある旋律に
合わせて歌い踊ります。

9月1日~3日の間、”坂のまち・八尾”は、
おわら一色に染まり、三日三晩、歌って踊り
明かします。
午後5時過ぎに、我々の乗るパック旅行のバスは、
八尾町の井田川沿いの駐車場に到着しました。
駐車場の川向うの高くそびえる石垣の上の町並み
が八尾町です。



バスを降りて、橋を渡り、八尾の町へ向かって、
写真の石垣の坂道を上って行きます。

この様な石垣の上の高台に八尾の町があるのは、
度重なる井田川の洪水を避けるためだそうです。

風の盆恋歌 (新潮文庫)
高橋 治
新潮社
(高橋治:新潮文庫:520円)
「風の盆恋歌」は、ここ八尾町の「風の盆」を舞台
にした恋愛小説ですが、この小説の冒頭で、
八尾町へ向かう石垣の坂道が、下記の様に描写
されています。

「越中八尾と呼ばれる富山県八尾町には”坂の町”
という別名があって、緩く”くの字” なりの
坂が、奥へ奥へとのびている。
遥か下に、町の北側を流れる井田川が光って
いる。
その井田川までの急な崖の斜面を、石段の様に
家々の屋根が下っていた。
雪流し水と呼ばれる疎水が、古い造りの家の
まだ沢山残る町並みの軒下を、かけ下りる様な
勢いで流れている。」




(雪流し水と呼ばれる疎水)


八尾の町並みは、「日本の道100選」にも
選ばれた、写真の様な格子戸や白壁が美しい
趣きのある通りです。





(町の外れの養蚕神社)


既に、午後3時ごろに各町でスタートしたという
風の盆の「町流し」を見ることが出来ました。








午後3時ごろにスタートした風の盆の町流しは、
いったん休息に入り、午後7時ごろに再び
スタートします。
再スタートの午後7時まで、「越中八尾観光会館」
に入り、展示されている八尾曳山(ひきやま)を
見物します。



養蚕や和紙によって繁栄を極めたという八尾の
財力を示す豪華な曳山です。



日が落ちて秋風がそよぎ、ぼんぼりに明かりが
ともると、通りは幻想的な雰囲気に包まれます。

ぼんぼりの明かりに照らされた石畳の道に、
哀調を帯びた三味線や胡弓(こきゅう)の
音色が聞こえ始め、観光客の人垣が、
引き寄せられる様に移動して行きます。

切ない音色と歌声が響く中、編み笠で顔を
隠した着物姿の男女が、粋でそして優雅に
踊ります。
法被姿の男性は勇壮に、そして、浴衣姿の女性は
しなやかに、洗練された「町流し」の踊りを繰り
広げます。



昔は、照れや恥ずかしさから人目を忍んで踊った
名残りで、編み笠を顔が見えないくらいに深く
被って踊るのだそうです。

小説「風の盆恋歌」では、「町流しの踊り」を
以下の様に描写しています。

 「ゆるやかなテンポにのり、手をのばし、体を
  反らせ、倍速のテンポで早い振りを交え、
  突然、美しい形で静止してみせていた。

  見ている中に、いつ、その静止が来るかが
  待たれるようになる。

  静止したと思う次の瞬間には、踊り手は
  なめらかな動きにとけこみ、動いたと思うと
  静止に入る。

  その静止と動きの繰り返しが、一種危険な
  ものをはらんでいる。」

そして、主人公のえり子は、『この踊りは、動き
の美しさより、止まった時の線の美しさを見せる
ものなのね。』とささやきます。


(風の盆の記念切手)

11の町で、それぞれ異なる衣装と踊りで、また、
各々異なるスケジュールで、「町流し」を踊る
ので、1か所に留まらず、移動しながら見物する
のが、風の盆の見物の基本です。

週末ということもあり、町流しの踊りの周りは、
大勢の観光客で埋まり、身動きが出来ません。



家の中を覗いてみると、あちこちで三味線の音色
が響いています。




(臨時の三味線教室も開催)

今年は、11年ぶりに金曜日から3日間の開催に
なったので、3日間で昨年を2万人上回る
26万人の人出になったとのことでした。

胡弓などの楽器が雨に弱いため、雨の場合は中止
になることもあるリスクの大きな祭り見物ですが、
この日も、8時から突然のにわか雨で、一時中断
してしまいました。

これから、夜通し未明まで、心行くまでおわらを
楽しもうという矢先に帰らないといけません
・・・

「町流しの踊り」は、実際には、夜明けまで
続けられるのですが、我々のパック旅行は、
帰りの混雑を避けるために、9:15で打ち切って
引き上げなければなりません・・・



「野外演芸場での踊りが終わると、見物客の数が
 急に減る。 

 八尾の町の中には旅館は数件しかない。

 富山、金沢、高山などの方角をめざす観光バス
 が出て行き、車で来た客も大方は帰って行く。 

 だが、人が少なくなった八尾の町は淋しくは
 ならない。

 見せるためだった演舞場での踊りが終わり、
 二日目の深夜からやっと自分たちだけが楽しむ
 風の盆になるからである。」

 (小説「風の盆恋歌」から)


(風の盆のパンフレット)


(風の盆のパンフレット)


(帰りの駐車場から望む八尾の町並み)

ps.
下の写真は、我々が見物した「おわら風の盆」を
報じる翌朝の北日本新聞です。


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