ウォーク更家の散歩 (東海道、中山道、日光街道、奥州街道)

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中山道を歩く(完全踏破の一人旅)

忍城(埼玉県行田市)         (続日本100名城) 2017.9.13

2018-02-20 01:23:27 | Weblog

(写真は、忍城の御三階櫓)

前回ご紹介した「田んぼアート」(埼玉県行田市)
を見物した帰り道の路線バスを途中下車して、
映画「のぼうの城」で有名になった「忍(おし)
城」に立ち寄ってみました。

横浜(9:42) → JR湘南新宿ライン・高崎線→
(11:22)行田駅(11:30) → 市内循環バス→ 
(12:01)古代蓮の里(田んぼアート)

古代蓮の里(13:46)→市内循環バス→
(14:04)市役所前 → 「忍城跡」

忍城跡→水城公園(16:38)→市内循環バス→
(16:47)行田駅(16:58)→
JR湘南新宿ライン・高崎線 → 横浜(18:34)



”関東七名城”に数えられる「忍(おし)城」は、
室町時代中期に、成田氏によって築城されました。

北を利根川、南を荒川に挟まれた扇状地の広大な
沼地を巧みに利用した城です。
上杉謙信との戦いにも耐えた”難攻不落の城”
でした。

1590年、豊臣秀吉の小田原征伐に伴い、豊臣方・
石田三成の水攻めに耐え抜いた逸話から、
”浮き城”とも呼ばれました。
(”三成の忍城水攻め”については、このブログの
  最後で、映画 「のぼうの城:あらすじ」
  としてご紹介します。)

江戸時代に入ると、忍藩10万石の城として、
御三階櫓(やぐら)が建設され、城郭改修や
城下町の整備が行われました。

”知恵伊豆”として有名な松平信綱は、忍城主
から川越城主となり、幕府のNO2として実権を
握りました。

忍城は、戊辰戦争の際は戦火を逃れましたが、
明治6年、城の主な建物が競売に付されて民間に
払い下げられてしまい、土塁の一部を残すのみ
となりました。


(忍城の全景:行田市郷土博物館の展示解説図録
 から)


田んぼアートの帰りの市内循環バスを、市役所前
で途中下車して、徒歩5分の「忍城跡」へ向かい
ます。

行田市といっても、私は、中学の社会科で習った
”足袋(たび)の産地”くらいの知識しかありません。

「忍城跡」は、現在、本丸跡には御三階櫓が再建
され、櫓(やぐら)の中は「行田市郷土博物館」
になっています。



上の写真は、本丸の南西に残る「本丸土塁」で、
5メートルほどの高さで、洪水時の堤防の役割も
兼ねていたそうです。





上の写真は、1832建立の「伝進修館 表門」で、
行田市・吉川家から移築されたもので、
かつての藩校・進修館の表門だったそうです。





写真は復元された「御三階櫓」で、内部は
博物館になっています。

館内には、忍城の歴史や、行田市の名産である
足袋に関する資料等が展示されています。
(撮影禁止:200円)



(忍城の中心部分:博物館の展示解説図録から)

館内は撮影禁止なので、忍城全景などの展示品の
写真は、購入した「常設展示解説図録」(500円)
の写真を転載しました。



御三階櫓の最上階からは市内の景色が一望
出来ます。

写真は、博物館の脇の「鐘楼」で、1717年に
桑名藩主・松平忠尭により鋳造され、1823年に、
桑名からここへ移設されました。



上の写真の「東門」からお城を出て、二の丸の
東側へ向かいます。





二の丸東側は、遊歩道になっており、「冠木門」
が建てられています。


冠木門から、忍城跡の隣にある、忍城の水堀を
整備した「水城公園」へ向かいます。

水城公園に向かう途中、写真の藩主・松平忠尭
(ただたか)の「隠居所跡」の石碑が建って
います。
忠尭は、1823年、桑名から忍に移封になりました
が、文教を興し、ここに隠居しました。

また、中央小学校の校門の前には、三の丸への
門だった「成田門」跡の石碑が建っています。
(上の写真)


写真は、「水城公園」で、城を囲んでいた沼の
うち、東南部分が水城公園として残されています。



水城公園を抜けて、水城公園から市内循環バスに
乗り、JR行田駅へ向かいます。




ps.映画 「のぼうの城」のあらすじ

天下統一目前の豊臣秀吉(市村正親)は、唯一
残された敵である北条氏の小田原攻めを開始
します。

北条氏は、関東各地の支城の城主に、籠城して
防戦するように命令します。
周囲を湖で囲まれた”浮き城”の名をもつ「忍城」
もその支城の一つでした。

秀吉に命ぜられた「石田三成」(上地雄輔)は、
2万の軍勢を率いて忍城に迫ります。

当時、小田原城に詰めていた忍城主の成田氏長
(西村雅彦)に代わって、忍城を守っていたのは
「成田長親」(野村萬斎)でした。
長親は、農民たちから“のぼう様”(でくのぼう
の意)と呼ばれて、親しまれていました。

忍城主の氏長は、留守を預かる長親に、攻撃を
受けたら開城せよ、と命じていました。
しかし、「甲斐姫(城主の娘)を秀吉に差し出せ」
との秀吉の軍使の要求に対し、長親は、氏長の
事前の指示に反して、突然、「戦いまする」と
返答してしまいます。

このとき、三成側の2万人の大軍に対し、
忍城側はたったの500人でした。
忍城側に圧倒的に不利な戦いでしたが、長親が
戦うと聞き、長親を慕う百姓たちも立ち上がり
ます。

そして、忍城軍は、地の利を生かした戦術で、
いったん三成の軍を退けます。

忍城が手強い相手だと知った三成は、「水攻め」
を決意し、忍城の周辺に巨大な人工の堤を築きました。

これにより水攻めを受けた長親は、三成軍の前
まで舟を漕ぎ出して、舟の上で田楽踊りを舞い
ます。

この舞いには、三成の軍も称賛しますが、三成は
長親を銃撃させ、長親は負傷します。

これを見た百姓たちは、水攻めの為の堤を、
こっそりと壊します。
堤は決壊し、三成の水攻めは失敗に終わりました。

三成が方針を変更して、総攻撃を行おうとした
矢先に、小田原城落城の知らせが忍城にも届き、
忍城側は已むなく開城します。
小田原城の落城時まで持ちこたえた支城は、忍城
だけでした。


(忍城の水攻めのための堤防工事を抜かりなく行う
 様に命じた秀吉の朱印状:博物館の展示解説
 図録から)


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8 コメント

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のぼうの城 (hide-san)
2017-09-29 06:15:54
忍城の見学楽しく拝見しました。

その昔、小説「のぼうの城」をよんで忍城を見て、
小説内にある、舟上の舞はどんなものか気になり、
もうすでに映画化が決定されていたので、
一番に観ました。

確か山本寛斎が舟の上で、能の舞と思いますが、
踊ったのを記憶しております。
忍城見物 (ウォーク更家)
2017-09-29 22:23:09
そうでしたか、「のぼうの城」は、昔小説を読まれたのでしたか。

少し映画の記憶が薄れてきましたが、私の記憶では、山本寛斎ではなくて野村萬斎だったと思いますが、やはり、舟上の舞のシーンが映画のハイライトですよね。
「忍城跡」に押し寄せる (iina)
2017-09-30 09:39:06
「忍(おし)城」と田んぼアートの日帰り強行軍でした。この城は、石田三成の水攻めに耐えるのですね。
日本遺産になっているのも納得です。城を囲んでいた沼が、「水城公園」になってますから往時を忍べますネ。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/9b64e8318c16bb6d7df31840d5e2f1ce


関ヶ原の戦い後の、石田三成の子供たちの後日談は、映画では三成の血は残せという暗示だけです。

調べると、子供たちは3男3女もしくは2男5女がいたとされます。
嫡男・石田重家は剃髪・仏門に入り、後に家康に助命され、104歳まで生きたそうです。
戦は、豊臣家の家老として謀反人を征伐したのだから、出家した者を死に至らしめれば、味方大名が反発する可能性があると考えたとされます。

また、次男・石田重成とその妹・辰姫は、弘前藩藩祖が匿い、辰姫は2代目に嫁ぎ3代藩主を生みます。
http://blog.livedoor.jp/mansaku21/archives/50210665.html

次女の子は、家光の側室になり千代姫を産み、尾張徳川家に嫁ぎ血筋は第7代藩主までつづきます。
三男は、出家しました。
このように三成の血脈は、現代までつづいているそうです。

のぼうの城 (Komoyo Mikomoti)
2017-09-30 16:46:10
最近、続100名城の記事が多いですね。
将来の参考にさせていただきたいです。

どこまでが史実で、どこからが創作かわかりませんが、
「のぼうの城」は原作も読んで映画も見ました。
野村萬斎のはまり役でしょうか、楽しい映画でしたね。
恥ずかしながら、忍城のことは「のぼうの城」で初めて知りました。

結構、整備が進んでいるのですね。
iina様へ (ウォーク更家)
2017-10-02 16:08:10
城を囲んでいた沼が整備されて、水城公園という素敵な公園になっていましたので、往時を”忍びながら”、快適な散策が出来ました。

石田三成の子供たちの後日談についての詳細なコメント、ありがとうございます。
絶えたと思っていた三成の血筋が、立派に残っていたのには驚きました。
Komoyo Mikomotiさんへ (ウォーク更家)
2017-10-02 16:15:42
私の100名城、続100名城の記事を、将来の参考にして頂ければとても嬉しいです。

どこまでが史実かわかりませんが、史実をベースにした映画であることは間違いないので、その点ではやはり楽しい映画ですね。

野村萬斎を主役にするという発想も面白かったです。

私も、忍城の堀が、素敵な水城公園として整備が進んでいるというのは知りませんでした。
忍城&さきたま古墳公園 (みや)
2017-10-24 18:36:05
しばらくHPをチェックしていませんでした。
さきたま古墳群と忍城は、街道歩きにはまる前に訪れたことがあります。
夏場の野球観戦の趣味は変わらずですが、冬場は日帰りで関宿城などドライブがてら行ってました。
映画(TV放映)に感化されて行ったと思っていましたが、
映画が2012年に公開のようなので、映画とは関係なしに行ったようです。
忍城とさきたま古墳群 (ウォーク更家)
2017-10-25 17:02:19
さきたま古墳群と忍城も、行かれていたんですね。
みやさんは、結構、あちこちに足を延ばしていますね。

私も、古墳群にも立ち寄りたかったのですが、バスの便が思う様になかったので、今回はパスしました。
忍城に立ち寄りたいと思ったのは、完全に、映画(DVD)に感化されたからでした。

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