(写真は「おわら風の盆」)
ずっと以前から、一度は行きたいと思っていた
富山・八尾(やつお)の「おわら風の盆」に、
念願叶って行って来ました。
江戸時代に始まった「越中八尾 おわら風の盆」
は、二百十日の台風を封じ、五穀豊穣を願う祭り
として、民謡「越中おわら節」の哀愁ある旋律に
合わせて歌い踊ります。
9月1日~3日の間、”坂のまち・八尾”は、
おわら一色に染まり、三日三晩、歌って踊り
明かします。
午後5時過ぎに、我々の乗るパック旅行のバスは、
八尾町の井田川沿いの駐車場に到着しました。
駐車場の川向うの高くそびえる石垣の上の町並み
が八尾町です。
バスを降りて、橋を渡り、八尾の町へ向かって、
写真の石垣の坂道を上って行きます。
この様な石垣の上の高台に八尾の町があるのは、
度重なる井田川の洪水を避けるためだそうです。
風の盆恋歌 (新潮文庫) | |
高橋 治 | |
新潮社 |
「風の盆恋歌」は、ここ八尾町の「風の盆」を舞台
にした恋愛小説ですが、この小説の冒頭で、
八尾町へ向かう石垣の坂道が、下記の様に描写
されています。
「越中八尾と呼ばれる富山県八尾町には”坂の町”
という別名があって、緩く”くの字” なりの
坂が、奥へ奥へとのびている。
遥か下に、町の北側を流れる井田川が光って
いる。
その井田川までの急な崖の斜面を、石段の様に
家々の屋根が下っていた。
雪流し水と呼ばれる疎水が、古い造りの家の
まだ沢山残る町並みの軒下を、かけ下りる様な
勢いで流れている。」
(雪流し水と呼ばれる疎水)
八尾の町並みは、「日本の道100選」にも
選ばれた、写真の様な格子戸や白壁が美しい
趣きのある通りです。
(町の外れの養蚕神社)
既に、午後3時ごろに各町でスタートしたという
風の盆の「町流し」を見ることが出来ました。
午後3時ごろにスタートした風の盆の町流しは、
いったん休息に入り、午後7時ごろに再び
スタートします。
再スタートの午後7時まで、「越中八尾観光会館」
に入り、展示されている八尾曳山(ひきやま)を
見物します。
養蚕や和紙によって繁栄を極めたという八尾の
財力を示す豪華な曳山です。
日が落ちて秋風がそよぎ、ぼんぼりに明かりが
ともると、通りは幻想的な雰囲気に包まれます。
ぼんぼりの明かりに照らされた石畳の道に、
哀調を帯びた三味線や胡弓(こきゅう)の
音色が聞こえ始め、観光客の人垣が、
引き寄せられる様に移動して行きます。
切ない音色と歌声が響く中、編み笠で顔を
隠した着物姿の男女が、粋でそして優雅に
踊ります。
法被姿の男性は勇壮に、そして、浴衣姿の女性は
しなやかに、洗練された「町流し」の踊りを繰り
広げます。
昔は、照れや恥ずかしさから人目を忍んで踊った
名残りで、編み笠を顔が見えないくらいに深く
被って踊るのだそうです。
小説「風の盆恋歌」では、「町流しの踊り」を
以下の様に描写しています。
「ゆるやかなテンポにのり、手をのばし、体を
反らせ、倍速のテンポで早い振りを交え、
突然、美しい形で静止してみせていた。
見ている中に、いつ、その静止が来るかが
待たれるようになる。
静止したと思う次の瞬間には、踊り手は
なめらかな動きにとけこみ、動いたと思うと
静止に入る。
その静止と動きの繰り返しが、一種危険な
ものをはらんでいる。」
そして、主人公のえり子は、『この踊りは、動き
の美しさより、止まった時の線の美しさを見せる
ものなのね。』とささやきます。
(風の盆の記念切手)
11の町で、それぞれ異なる衣装と踊りで、また、
各々異なるスケジュールで、「町流し」を踊る
ので、1か所に留まらず、移動しながら見物する
のが、風の盆の見物の基本です。
週末ということもあり、町流しの踊りの周りは、
大勢の観光客で埋まり、身動きが出来ません。
家の中を覗いてみると、あちこちで三味線の音色
が響いています。
(臨時の三味線教室も開催)
今年は、11年ぶりに金曜日から3日間の開催に
なったので、3日間で昨年を2万人上回る
26万人の人出になったとのことでした。
胡弓などの楽器が雨に弱いため、雨の場合は中止
になることもあるリスクの大きな祭り見物ですが、
この日も、8時から突然のにわか雨で、一時中断
してしまいました。
これから、夜通し未明まで、心行くまでおわらを
楽しもうという矢先に帰らないといけません
・・・
「町流しの踊り」は、実際には、夜明けまで
続けられるのですが、我々のパック旅行は、
帰りの混雑を避けるために、9:15で打ち切って
引き上げなければなりません・・・
「野外演芸場での踊りが終わると、見物客の数が
急に減る。
八尾の町の中には旅館は数件しかない。
富山、金沢、高山などの方角をめざす観光バス
が出て行き、車で来た客も大方は帰って行く。
だが、人が少なくなった八尾の町は淋しくは
ならない。
見せるためだった演舞場での踊りが終わり、
二日目の深夜からやっと自分たちだけが楽しむ
風の盆になるからである。」
(小説「風の盆恋歌」から)
(風の盆のパンフレット)
(風の盆のパンフレット)
(帰りの駐車場から望む八尾の町並み)
ps.
下の写真は、我々が見物した「おわら風の盆」を
報じる翌朝の北日本新聞です。