ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

麻布十番 界隈 散策 2017.7.19 


(写真は「二・二六事件」で処刑された22名
 の墓)

昔、流行ったタモリのギャグに、”麻布十番は、
実はフランス語”、というのがありました。
「麻布十番」の”あざぶ”の”ぶ”を下唇を
かんで”ヴ”と発音し、じゅうばん”の”う”
を発音しないで、鼻に抜けて”ジュヴァ~ン”
と発音します。
すると不思議なことに、何故かこれがフランス語
に聞こえるんですねえ。
と、当時、詰まらない事にしきりに感心したもの
でした・・・

という訳?で、今回は、私の昔の通勤経路の
途中駅だった「麻布十番」界隈を散策します。

今でこそ、麻布十番は、地下鉄が乗り入れて、
お洒落な商店街ですが、昔は陸の孤島でした。
六本木に、六本木ヒルズとテレビ朝日が出来ると、
「麻布十番商店街」は変貌します。


麻布十番の商店街の通りは、真っ直ぐに進んで
行くと、上の写真の正面の六本木ヒルズの高層
ビルとテレビ朝日のある欅坂に突き当たります。
このために、”ギヨーカイ関係者”が、夜な夜な
麻布十番を徘徊する様になりました。

これにより、陸の孤島だった”下町の商店街”
は、”中途半端にお洒落な商店街”に変身
しました。


上の写真は、志村けんが、深夜に出没している
という、値段が高いことで有名な中華料理店
です。

上の写真は、地下鉄「麻布十番駅」7番出口の
脇にある地元で"かえるさん"と親しまれている
「十番稲荷神社」です。

十番稲荷神社は、港七福神巡りの一つの「宝船」
の神社で、鳥居の左側には、写真の「宝船」の
石像が祀られています。
また、鳥居の右手には、ガマ池伝説の「かえる
さん」の石像が祀られています。

石像の脇には、下記の「ガマ池伝説」の説明板が
ありました。
それによると、江戸時代には、この辺りは備中・
山崎家の屋敷があり、その敷地内に大きな池が
ありました。
江戸時代に、この辺りで大火があり、山崎家の
周りの家が全て焼失した際に、山崎家の屋敷
だけが類焼を免れましたが、それは、この池の
大がえるが、水を吹いて火を消したため、
と言われたそうです。

老舗グルメと新しいグルメが混在する「麻布十番
商店街」をブラブラします。
お昼時になったので、写真の寛政元年(1789年)
創業の老舗「総本家 長坂更科 布屋太兵衛」の
更科そばに入ります。

お店のパンフレットによると、1789年、信州の
反物商・布屋太兵衛は、麻布の永坂高稲荷下に
「信州更科蕎麦処」を開店しました。

布屋太兵衛の更科蕎麦は、江戸城や大名屋敷にも
出入りを許され、御前に供されたそうです。



という訳で、私もその「御前そばセット」
(1,134円)を注文してみます。

汁は、写真の様に、から汁とあま汁が出てきます
ので、自分で調整出来ます。

宣伝の通りに上品な風味です。

更科蕎麦を出て、麻布十番の商店街をブラブラ
します。

次頁の写真は、慶応元年創業の「豆源本店」で、
江戸時代から、豆の持ち味と風味を守る製法で
豆菓子を作っています。



私は、一番人気の「お徳用おとぼけ豆」(300円)
を土産に買いました。
おとぼげ豆は、青海苔、きざみ海苔、海老の
3種類豆で、噛み砕くと、海苔などの風味と
ピーナッツの甘みが口の中に広がります。

更に、豆源本店の向かいの「麻布かりんと」で、
麻布名物「麻布カリント」(370円)も買い
ました。

太目の黒糖味で食べやすく美味しいです。

豆源本店の前の雑色通りを少し歩くと、左手の
小さな公園に、写真の「きみちゃん」像が
あります。

この像は、野口雨情の詩で有名な童謡「赤い靴」
の「きみちゃん」の実在のモデルの「岩崎きみ」
ちゃんだそうです。

説明板によると、童謡では、横浜の波止場から、
船に乗って異国へ行ってしまったとありますが、
実際には外国には行っておらず、麻布十番の
孤児院で、ひっそりと9歳の短い生涯を終えた
そうです。

かわいそう~・・・

麻布十番は、坂の多い街で、その由来を書いた
案内表示を読みながら、坂道を散策します。

写真の「暗闇坂」は、昔は、木々が鬱蒼と茂り、
昼間でも暗かったことから、この名前が付いた
そうです。

現在では、坂を上り切ると、江戸名所図会にも
登場する次頁の写真の「一本松」があります。

「一本松」の根元には、昭和38年に町会が建立
した次頁の写真の石碑があり、以下の様に
刻まれています。

 ”「江戸砂子」によれば、天慶2年(939年)
ごろ、源経基(つねもと)が、平将門を
討伐する際に、一軒の民家に泊まって
料理を振舞われました。
   経基は翌朝、装束を改めて出立しました
が、そのときに脱いだ衣服を掛けたのが
この一本松です。”

また、ここ「一本松」の辺りは、関が原の合戦で
送られてきた首級を、家康が検分して埋めた所
だったので、江戸初期には「首吊塚」と呼ばれて
いたそうです。

更に、「一本松」は、江戸時代には「麻布七
不思議」の一つに数えられました。
それは、甘酒を竹筒に入れて、この松にお供え
すると、咳が治ったからそうです。
そして、池波正太郎「鬼平犯科帳」の第4
シリーズ第16話のタイトルは「麻布一本松」
です。

古来から脈々と植え継がれてきたこの一本松は、
現在で5代目だそうです。

「一本松」の前は、写真の様な変則十字路で、
「暗闇坂」、「大黒坂」、「狸坂」、
「一本松坂」が変則的に交差します。

(写真の赤色線が暗闇坂、青色線が大黒坂、
黄色線が一本松坂、茶色線が狸坂。)

一本松の先は、元麻布ヒルズ等の高級マンション
やインターナショナルスクールが立ち並ぶ高級
住宅街です。



(西町インターナショナルスクール)
暗闇坂と交差する「大黒坂」を下りて行くと、
蔦に覆われていて分かりづらいですが、大谷石
とステンドグラスが特徴の「安藤記念協会」が
あります。

一本松に戻ります。
この一本松で交差する「大黒坂」を下りて行くと、
左手に「大黒坂」の由来となった港七福神の
「大黒天」を祀る下の写真の「大法寺」があり
ます。



更に大黒坂を進むと、右手に「賢崇寺」
(けんそうじ)の上り坂の参道があります。

「賢崇寺」は、1635年、佐賀・鍋島藩の初代藩主
・鍋島勝茂が、疱瘡で亡くした息子の忠直を
弔って建立しました。

若くして亡くなった息子の忠直の戒名の「興国
院殿敬英 賢崇大居士」から「興国山 賢崇寺」と
号しました。
以降、「佐賀・鍋島家」の菩提寺として、初代・
鍋島勝茂から、10代・鍋島閑叟(かんそう)
まで、歴代の当主の遺骨が五輪塔に納められて
います。

(歴代当主の五輪塔)

10代藩主・鍋島閑叟(かんそう)は、長崎の警護
を担当する佐賀藩主として海外の情報に精通し、
ベリー来航よりも45年も前から強い国防意識を
抱いていました。

(鍋島閑叟:NHK・BS「英雄たちの選択」から)
閑叟は、西洋の最新技術を研究して、ベリー来航
前に、既に最新式のアームストロング大砲の
国産化に成功しており、更に、蒸気機関車、
電信機、写真機なども研究中でした。

そしてベリー来航!
幕府は、佐賀藩に命じて、閑叟が造ったアーム
ストロング大砲を、品川の台場などに順次設置
してゆきます。
そして、驚くことに、何と!、閑叟は、家来に
蒸気機関を研究させ、独力で、蒸気船「凌風丸」
を建造してしまいます。!


(凌風丸:NHK・BS「英雄たちの選択」から)

この様に、佐賀藩は、薩摩・長州・土佐藩などを
凌ぐ、”幕末最強の軍事力”を有していました。
そこで、幕末の動乱期になると、幕府や雄藩は、
佐賀藩を味方に引き入れようと必死になります
が、佐賀藩は立場を鮮明にせず、鳥羽・伏見の
戦いには参戦しませんでした。

このため、新政府内部には佐賀征伐の声まで
挙がりました。
しかし、戊辰戦争以降は、佐賀藩は新政府軍に
加わり、最新式の兵器を提供しました。
この様に、当初は、佐賀藩は討幕運動には不熱心
でしたが、その後の新政府軍への最新式兵器の
提供が大きく評価され、「薩長土”肥”」として、
新政府の一角を担う事になります。

最後の藩主の十一代・鍋島直大は、神道だった
ために、遺骨は、前記の歴代の当主の五輪塔
には納められず、寺の境内に神社を建てて
遺骨を納めていました。
現在は、上の写真の様に、その神社の跡に灯篭
だけが残っています。

また、ここ「賢崇寺」は、「二・二六事件の青年
将校の墓」があることでも知られています。

ここには、写真の「二・二六事件」で処刑された
22名の「二十二士の碑」があります。
22名というのは、死刑になった20名に、
事件後に自決した野中四郎・河野寿の2名が
加えられているためです。

死刑になった20名については、反逆罪のため
遺体の引渡しすら行われませんでした。
そこで、死刑になった栗原安秀の父が、自らここ
賢崇寺に入門して、当時の賢崇寺の住職と共に、
墓の建立に奔走したそうです。
現在の墓碑は、昭和27年の十七回忌法要のときに
建立されました。
また、ここ賢崇寺には、平成27年に54歳で
亡くなった女優「川島なお美」の墓もあります。

夫の鎧塚氏が、上の写真の女優帽を被る墓を
デザインしたそうです。
墓前には、たくさんの花とワインのロマネ・
コンティが手向けられていました。

なお、賢崇寺は、東京大空襲で、境内のほとんど
が消失したため、本堂は昭和47年に再建された
そうです。

賢崇寺を出て、「童謡・赤い靴のきみちゃん像」
の前の雑色通りに戻り、更に進むと、右手に下の
写真の「麻布 善福寺」へ向かう参道があります。

「善福寺」の参道には、写真の「柳の井戸」が
あります。
説明版によると、「空海」(弘法大師)が、
ここの柳の木の下で錫杖(しゃくじょう)を
立てたところ、水が湧き出してきたそうです。
関東大震災や東京大空襲の際は、多くの人々が
飲料水として利用したそうです。

更に、境内には、 「親鸞」のついた杖から生えて
きたという推定樹齢750年の「逆さ銀杏」
(さかさいちょう)があります。

逆さ銀杏の名の由来は、銀杏の枝が、下の方に
伸びて逆さになっているように見えることから
きているそうです。

逆さ銀杏は、大戦時の空襲で被災して小さく
なったものの、現在でも都内最大のイチョウ
であり、国の天然記念物に指定されています。



また、ここ善福寺は、幕末に「最初のアメリカ
公使館」となり、そのことを示す上の写真の
記念碑が建っています。

初代の駐日公使であるハリスが在留していました。

そして、善福寺には、次頁の写真の慶應大学の
創設者「福沢諭吉の墓」があります。

善福寺が、元々福沢家の菩提寺だったことや、
諭吉が生前にこの周辺の眺望を気に入っていた
こと等もあり、ここに墓が建てられたそうです。

諭吉が亡くなった1901年2月、葬儀は、慶応の
塾生を始め何と、1万5000人もの会葬者が
あったそうです。

善福寺には、更に次頁の写真の「越路吹雪」の
歌碑もあり、代表曲の「愛の讃歌」の歌詞が
刻まれています。





そして、この善福寺の裏庭だったという場所には、
上の写真の高所得者向けマンション「元麻布
ヒルズ」がそびえています

この敷地は、バブル景気直前の1983年に、森ビル
が善福寺から譲り受けて開発に着手したそうです。

さて、ここで問題です。
この元麻布ヒルズビルのユニークな形は、ある
ものを模したものと言われていますが、それは
何でしょう?
う~ん?
正解は、仏具の「和蝋燭(ろうそく)」です。

善福寺の正面から山門を見上げた際に、背後の
巨大なマンションが借景として違和感が無い様に
と、仏具の和ロウソク状のシルエットにした
のだそうです。

えぇ~?、皆さん、違和感ないですか?
苦肉の策なのかも知れないけど、私見としては
違和感あるなぁ~・・・

善福寺を出て、「赤い靴のきみちゃん像」の前の
雑色通りを少し歩くと、仙台坂に突き当たります。
「仙台坂」は、その名の通り、江戸時代に仙台藩・
伊達家の下屋敷があったことが由来です。

仙台坂を少し上り、韓国大使館の前を通りますが、
時節柄か、厳重警備中の警察官がたくさん
いました。
仙台坂の標識の写真を撮ろうとしたら睨まれて
しまいました・・・



上の写真の韓国大使館の道路向いは、下の写真の
美味しいことで有名なキムチ専門店「韓国食品
センター」です。




更に、仙台坂を上り切ったところで右折すると、
右手に、写真の「麻布 氷川神社」があります。



ここ麻布氷川神社は、アニメ「美少女戦士・
セーラームーン」の聖地としてファンの間
では有名だそうです。

私は詳しくありませんが、アニメでは、”火川
神社”の名で登場し、かつ「セーラーマーズ・
火野レイ」が、ここ麻布氷川神社の巫女をして
いるらしいです。

ps.
今、テレビを見ながらこのブログをアップしよう
としていたら、テレビ朝日の「じゅん散歩」で、
たまたま「麻布十番」をやっていました。



「麻布十番」は、「テレビ朝日の”お膝元”」
みたいなニュアンスで、テレ朝・夏祭りと
セットで麻布十番を紹介していました。




(麻布十番から見た六本木ヒルズ)

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コメント一覧

ウォーク更家
十番の由来
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
「十番」は、昭和37年の地番整理の際に復活した地名の割には、その由来が、いまいちはっきりしないようですね。

そうですか、赤い靴の異人さんは北海道の宣教師でしたか。
私も、赤い靴の女の子が亡くなったのが麻布十番だったというのは今回初めて知りました。
Komoyo Mikomoti
こんにちは。
http://blogs.yahoo.co.jp/ya3249
タモリは、言葉の音に関する感覚がするどいですね。
話は違いますが、なぜ「十番」なのか、ずっと気になっています。

赤い靴の話は、北海道のバスガイドさんに聞いたことがあります。
歌に登場する異人さんは、北海道の宣教師だったようですね。
亡くなったのは麻布十番だったんですね。
ウォーク更家
麻布の近くが勤務地
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうでしたか、hide-sanさんは、麻布に近い場所が勤務地だったこともあるんですね。
この辺りのソバ屋や、暗闇坂などについては詳しいんでしょうね。

赤い靴の銅像は、私もどこかで似たような像を見た気がしていましたが、なるほど、言われてみると確かに韓国の慰安婦に似てます。
hide-san
懐かしい
http://blog.goo.ne.jp/hidebach
転勤で勤務地が麻布に近かったこともあり、
ソバ屋や暗闇坂など懐かしいですね。

赤い靴の銅像座らせると韓国の慰安婦に似ていそうですね。
ウォーク更家
フランス語に聞こえる
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうそう、当時、襦袢をそのまゝ発音してもフランス語に聞こえるというギャグもありました。

ええ、から汁とあま汁の2つの汁を楽しめるのというのも嬉しいいですよ。

なるほど、確かに、暗闇坂は、時代劇の辻斬りの場面で出て来そうですね。

そうですか、一本松は、吉岡一門十人と決闘した一乗寺下り松と似た雰囲気でしたか。

ええ、雲ジイのもじゃハウスに出て来そうですね。
iina
ジュヴァ~ン
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/24bad9ef1d960bdc1a8d283d892b1a6b
「麻布十番」を、”ジュヴァ~ン” と発音するとフランス語に  聞こえます。
襦袢をそのまゝ発音しても、面白くないですね。

「ガマ池伝説」のある「十番稲荷神社」があったり、1789年創業の老舗・更科そばを見つけると、ウォーク更家さんだけに
更科そばを食べに入るのも道理です。
から汁とあま汁の2つのお汁を楽しめるのも、嬉しいいです。

「暗闇坂」には、辻斬りでも出そうですょ。
さらに、「一本松」とくれば「一乗寺下り松」の決闘でもあったみたいな雰囲気です。次は、ご案内済でした。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/317508e3f71ecdbc9baceb5e1b1051a4

最後に、もじゃハウスで締めでした。 ^^

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