(「妙蓮寺駅」の改札の前にある
「妙蓮寺の山門」)
いや~、参りました。
コロナの非常事態宣言が長引いていて、外出自粛
が続いているため、いよいよ、手持ちのブログの
ネタ切れです!!
今のところ、外出は、通院と、週1回の食材の
買い出しだけです。
従って、手持ちは、地元の「菊名池畔商店街」へ、
食材の買い出しに出掛けた際の写真しかあり
ません・・・
この食材の買い出しの写真を、何とか、私の
巧みな文章力?で、散策のブログにまとめ
上げようと思います。
乞うご期待!?
我が家から徒歩15分、妙蓮寺の「”高級”
住宅街」の坂を下りて行き、「菊名池畔
商店街」を抜けると、東横線の「妙蓮寺駅」
です。
因みに、我が家は、妙蓮寺の「”高級”住宅街」
の隣に位置する「”普通の”住宅街」ですが、
人に聞かれたら”妙蓮寺の高級住宅街の方”と
答えることにしています。
詐欺師が「市役所から来ました」と言わずに、
「市役所の”方”から来ました」と言うのと
同じ手口です。
高級住宅街の一番手前が、上の写真の外国人が
経営する幼児の英会話スクールです。
私も、ここに入園していれば、就職してから
英会話で苦労することもなかったのになあ~
・・・
高級住宅街の急な坂道を、妙蓮寺の商店街へ
向かって下りて行きます。
写真は、我が家から徒歩15分の「菊名池畔
商店街」です。
商店街を歩いていくと、下の写真の様に、
「妙蓮寺」に突き当たります。
写真の正面奥が妙蓮寺で、写真の手前を左右に
横切るのが「旧綱島街道」です。
次頁の写真の左側が、東横線の妙蓮寺駅です。
大正末期には、この辺りは、菊名池ぐらいしか
ない辺鄙なところだったそうです。
大正15年、妙蓮寺の敷地の真ん中を、東急東横線
が通る計画が立てられました。
東急は、寺の引っ越し交渉をしますが、当時の
住職は、移転を嫌い、寺の敷地内を東横線を
通らせることを主張しました。
住職の主張は、引き換えに、境内に「妙蓮寺前駅」
(現在の妙蓮寺駅)を設けるというものでした。
そのため、現在も、妙蓮寺の反対側の駅前の
商店街の一部は、お寺の所有地なのだそうです。
ふ~ん、妙蓮寺は、駅前商店街からの家賃収入も
あって豊かなのかなあ~?。
妙蓮寺駅は、上下ホームのそれぞれに改札口が
あり、写真の様に、下り線の改札の真ん前が
「妙蓮寺の山門」です。
日本全国の鉄道で、お寺の名前が付く駅名は
たくさんありますが、駅の改札の真ん前が山門
という駅は、私の知る限り、日本中でここだけ
です!
妙蓮寺は、日蓮宗のお寺で「長光山妙蓮寺」
といい、池上の本門寺の末寺になります。
本堂は、もともと台地の斜面に立地しており、
このため、裏手には、写真の様に、落差
4メートルの滝があります。
妙蓮寺から、菊名池畔商店街へ戻り、来た道を
歩いて戻ると、写真の「菊名池弁財天」の鳥居に
突き当たります。
「横浜七福神」巡りの弁財天は、この弁財天です。
弁財天の脇の石碑の碑文によると、この菊名
池弁財天は、千年以上の歴史があるそうです。
(右手に剣を持つ弁天像)
菊名池弁財天の裏側は、「菊名池プール」で、
流れるプールもあります。
このプールは、夏休みになると、近所の子供たち
で大賑わいになりますが、果たして今年の夏
までにコロナは収まるでしょうか。
上の写真の様に、水道道(すいどうみち)を
はさんで、左側の「菊名池プール」の向いには、
右側の「菊名池公園」があります。
かっては、「菊名池プール」と「菊名池公園」は、
全長が1キロもある、一つの大きな池だった
そうです!
平安時代の記録によれば、この広大な菊名池は
灌漑用水地で、その後、江戸時代までは、続けて
灌漑用水として利用されていたそうです。
昭和7年、東横線が開通すると、この菊名池に
貸ボート屋が開業し、ちょうど現在の井の頭
公園池の貸ボートの様な雰囲気だったらしい
です。
しかし、戦後は、この周辺の人口の急増で、
下水が流れ込み、汚臭が酷くなります。
このため、菊名池の大部分は埋め立てられ、
現在の小さな池が残りました。
現在は、2本のポンプで菊名池の水質を浄化
させているそうです。