(写真は外宮)
4/19~21の3日間、「朝一番に行く伊勢神宮
内宮・外宮・別宮めぐり3日間」のバス旅行に
行って行きました。
早朝に新横浜駅から新幹線に乗り、豊橋駅で観光
バスに乗り換えて、東名高速、伊勢湾岸自動車道、
東名阪自動車道、伊勢自動車道と、延々と
3時間半も乗って、ようやく伊勢の「二見浦」
(ふたみがうら)に着きました。
(東名高速からトヨタの工場)
(伊勢湾岸自動車道からナガシマスパーランド)
「二見浦(ふたみがうら)」は、古来より、伊勢
参宮を控えた人々が汐水を浴びて心身を清めた
禊場でした。
正面に見える「夫婦岩」(二見興玉神社)は、
約700m先の沖合の海中に沈む猿田彦大神の
「興玉神石」(おきたま しんせき)を拝む
ための鳥居の役目をしているそうです。
大小2つの岩が仲良く並ぶ姿から、夫婦円満や
良縁成就の願いが叶うそうです。
境内には、御祭神のお使いとされる「二見蛙」
(無事にかえる、お金がかえる)が多数奉献
されています。
二見浦を出て、観光バスで、伊勢神宮の「外宮」
(げくう)へ向かいます。
そもそも、「伊勢神宮」には、「天照大御神」
(あまてらす おおみのかみ)が鎮座する「内宮」
と、「豊受大御神」(とようけ おおみかみ)が
鎮座する「外宮」があります。
内宮の天照大御神は、日本で最も貴く国家の
最高神とされています。
これに対し、これから行く「外宮」(豊受大御神)
は、米をはじめ、食物・穀物を司る神です。
何と!、江戸時代のピークには、日本の全人口の
2割弱が「お蔭参り」に参加したという、驚きの
記録が残っています。
特に、農家の人々は、五穀豊穣を祈って、田植え
の前にやって来たので、「伊勢参り」が、春の
季語になったくらいです。
そのため、農家の人々にとっては、”食物・穀物”
を司る「外宮」の豊受大御神への参拝が欠かせ
なくなりました。
外宮の建物や祭りは内宮とほぼ同じです。
そもそも、伊勢神宮の正式名称は「神宮」といい、
内宮・外宮の両正宮をはじめ、14の別宮、
109の摂社・末社・所管社が、伊勢、松坂、
鳥羽、志摩などに広く鎮座しています。
観光バスは、外宮に到着しました。
外宮の表参道から、「日除橋」(ひよけばし)を
渡り、一の鳥居をくぐります。
写真は、産業と衣食住の神様・豊受大御神(とよ
うけのおおみかみ)を祀る「外宮の正宮」です。
写真を撮り忘れましたが、外宮の正宮の裏にある
「御饌殿」(みけでん/みけどの)では、毎日、
朝と夕の二度、神饌(しんせん:御飯、御水など)
を調理して、天照大御神に奉る祭りが、
約1,500年もの間、1日も絶えることなく続け
られています。
この際に供物として使用する米は、五十鈴川の水
を使い、古来から伝わる稲作で育てられています。
(外宮の別宮の中で最も格式が高く、豊受大御神の”荒神魂”を祀る「多賀宮(たかのみや」)
(風雨の順調を司る「風宮(かぜのみや)」)
(お神楽、奉納、ご祈祷、ご朱印授受などを行う
「神楽殿(かぐらでん)」)
写真は、式年遷宮の資料館「せんぐう館」ですが、
昨年10月の台風21号による浸水被害のため、
残念ながら閉館中でした・・・
※以下の紙人形の写真は、宿泊した戸田屋ホテル
に展示されていた「斎王群行」(さいおう
ぐんこう)です。※
「斎王」とは、天皇が即位する毎に、天照大神の
御杖代(みつえしろ)として、伊勢に派遣されて
いた未婚の皇女です。
「斎王群行」とは、伊勢へ向かう王朝絵巻そのもの
の斎王の行列のことで、500人もの官人官女が
付き従いました。
斎王制度は、674年から660年以上にわたって
続き、60人以上の斎王が伊勢に派遣されました。
※以下の紙人形の写真は、ホテルに展示されて
いた20年に一度の式年遷宮の「遷御の儀」
(せんぎょのぎ)で、3年前の式年遷宮の際に、
TVニュースでよく見た風景です。
※遷御の儀は、伊勢神宮の「式年遷宮」の
クライマックスと称され、旧殿から新殿へ
神体を移す神事です。
東海道中膝栗毛 (21世紀版・少年少女古典文学館 第20巻) | |
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「東海道中膝栗毛」では、お参りをすませて、外宮
を出たところで、突然、弥次さんが腹痛を起こし
て、往来で屈み込んでしまいます。
道のかたわらで休んで丸薬などを飲みますが、
痛みは少しもおさまりません。
喜多さんは介抱しながら、やっと1軒の宿を
見つけて、弥次さんを横にします。
そこへ宿の亭主がやってきて、「妻が臨月で、
昨日から身体がすぐれないので、今、お医者を
呼びに行っています。一緒に診てもらいますか?」
喜多さんが、一緒に診てもらう様に頼んでいると、
隣の部屋にいた宿のおかみさんに陣痛が起り
ました。
亭主は慌てて、「お医者様より、産婆さんだ!」
と産婆さんを呼びに行かせました。
やってきた産婆さんは、相当の慌て者で、
いきなり、寝ている弥次さんを妊婦と勘違いして
診察を始めます。
「どこが痛い?」
「腹じゃ、腹じゃ」
「それじゃ、元気なのが出てくるな。さあ、
皆来て、腰を持ち上げて下され!」
と、てんやわんやの大騒ぎ。
すると。隣の部屋で赤子の泣き声!
「あれ、いやだよ。あんたは妊婦じゃないじゃない
か。」
「何が、『あれ、いやだよ』だ。自分で勝手に
間違えやがって。こちらも大変なんだ。元気
なのが出そうで・・・」
「めでたい。めでたい。三国一の玉の様な男の子が
生まれた。」と宿では喜びの声。
便所から出て来た弥次さんも、爽やかな表情を
して、「便所で思う存分に安産して、心地よく
なったぞ。」
「お互いにめでたい、めでたい。」
宿屋の亭主が、皆にお祝いの酒を振舞って、産婆
さんの勘違いを肴にして、家中、大笑いとなり
ました。
弥次さん喜多さんは、伊勢参りをすませると、
伊勢から奈良街道をのぼって、宇治、伏見を
経由して京へ向かいました。
1日目は、夫婦岩と外宮を参拝してから次頁の
写真の鳥羽の戸田屋ホテルに宿泊し、2日目は、
前回ご紹介しました様に、早朝の人が少ない
時間帯に内宮に参拝しました。
(ホテルの部屋からの眺め)
写真は、宿泊した戸田屋ホテルの夕食時の天然鯛
の解体ショーです。
夕食の写真ですが、ビールを飲むのに気を
とられて撮影を忘れたので、同じ料理の食堂の
メニューの2枚の写真でスミマセン・・・